68限目 憲貞の特待A
「憲様、お待ちしておりました」
「菫、いつも待っていてくれてありがとう」
憲貞はニコニコと笑う耳の下で二つに結んだ少女に笑いかけた。
「お待ちしておりました」
「樹もありがとう」
憲貞の反対が側にいた無表情の少年にも憲貞は笑いかけた。
「構いませんよ。それでは学習室に向かいましょうか」
「君たちは本当に良くできた特待Aだ。私にはもったいない」
「そんな、私たちは桜花会の会長の特待Aになれて幸せですよ」
申し訳なさそうに眉を落とす憲貞に菫は力説すると、樹の方を見た。彼は大きく頷いた。
「しかし、時間外だ。帰っても良かったのだよ」
「いいえ、テストが近いのでしっかりと勉強しなくてはいけません。時間外なんて気にしないでください」
今度は樹が力説すると、菫が大きく頷いた。
3
3人は談笑をしながら、学習室に向かった。
室内には誰もいなかったが、一番奥にある桜花会専用の個室へ入った。個室には四角テーブルがあり、その周りに椅子が置いてあった。壁に囲われているだけで、設備は個室の外に置いてあるものと同じだ。
憲貞が椅子に座ると、樹と菫は「失礼致します」と言って着席するとテーブルに教材を広げた。
更に2人は憲貞が机の上の置いたテキストを手すると、次々と採点していった。
先に確認を終えたのは菫だ。彼女は採点済みのテキストを憲貞の方に向けた。
「ここですが、このやり方でも間違えではありませんし実際答えもあっています。しかし、時間が掛かりますのでこちらの考え方を提案します」
問題文の横に赤字で書かれた数式を菫は指さした。憲貞はその数式を「うーん」とうなりながらじっとみた。樹はその様子を採点をしながら、横目で見た。
「難しい……」
「そうですか。これは分からない数字をαとします。すると、この式が成り立ちます。ですので……」
菫と憲貞は同じテキストに集中しているため、次第に顔が近づいていった。頭触れるか触れないかの距離に来ているが本人たちは気づいていない。それを樹は採点の手を休める事なく目を細めて見ていた。
そして、とうとう二人の頭がぶつかった。
「あっと、失礼した。大丈夫かい」
慌てて、すぐに、体をひいたのは憲貞であった。菫もぶつかったを気にする様子はなく、微笑んだ。
「いえ、こちらこそ失礼いたしました」
少し体を下げるとまた、説明を始めた。憲貞は少し考えている様子があったが首をふり、彼女の説明を聞き始めた。それがある程度終わると、次に樹の番だ。
「どうぞ」
樹は憲貞はすっと採点済みのテキストを差し出した。彼はそれを受け取ると「うんうん」と頷いて見た。そして、ページを開いて、樹の方に向けた。
「これはどういう意味だい?」
「読んで理解してください」
「……樹」
樹の淡々とした言葉に、憲貞は悲しそうな声を上げた。そして、二人のことを交互に見るとため息をついた。
「どうしたんですか? そんなに落ち込んで。いっちーの態度に傷つきました?」
菫が楽しそうな声を上げてた。
「いや、大丈夫だ。続けよう」
憲貞の態度は言葉と違いやる気を感じられるものではなかった。
菫はチラリと樹を見た。彼はあいからず表情を変えないがじっと彼女のことを見つめた。菫は黙って頷いた。
「憲様? おこですか?」
菫は自分の顎を両手でおさえながら、首を傾げ憲貞のことを覗き込んだ。彼はそれを見て目を大きくして笑った。
「いや、すまない。そうではないのだ。ちょっと疲れてて」
「何かありましたか?」
彼女の心配そうにする顔を見ると黙っていることが気が引けてしまい憲貞は、桜花会室でのレイラと亜里沙の話をした。すると、樹が「ほっとけばいいじゃないですか?」とはっきりと感情のみない声でいった。
「そうかい……」
樹の言葉に、困った様な顔をすると菫がにこりとして両手を胸のあたりで重ねてた。
「憲様はレイラ様が心配なんですよね。分かります。また、叩かれたりもっと酷い目にあったりしないかと思いますよね」
「ああ、そうだ。菫は良くわかるね」
悲しそうな顔していた憲貞の顔はパッと明るくなった。そこで、菫は人差し指を立てて、唇の下に持ってきた。
「実は、亜理沙様も心配なんですよね」
「あぁ」
更に憲貞眉を下げた。
「人気がないと言うのは桜花の人間にとって致命的ですよね。桜花会の人間は敬うべき存在でなくてはなりませんものね」
「そうだな」
楽しそうに話をする菫に対して、憲貞は顔が悪くなった。
「亜理沙様は知っているのですよね」
「なにをだ?」
「勿論、桜花不信任案です」
菫の言葉に憲貞は眉をひそめた。
「数年前に桜花会の会長であった中村幸弘が時間を起こしてからできたものです」
菫の言葉に樹が付け足した。もちろんその事は現在の桜花会の会長である憲貞も知ってはいたが、口に出したくはなかった。
不名誉でしかない。
そんなモノは、あの事件を憲貞は忘れたかった。
「桜花会の規約には書かれているが彼女が知っているかは……」
下を向いてため息をついた。そんな、憲貞をみて2人は顔を見合わせた。そして、笑った。
「レイラ様がいるから大丈夫ですよ」
彼らのレイラへの信頼も勿論だが、久しぶりに見た樹の笑顔にも憲貞は驚いた。
「それより、この間違えわかりました? 読んでくださいと言いましたよね?」
無表情に戻った樹は憲貞の目の前にあるテキストを指刺した。
憲貞はその問題がわからないのと勉強にすぐ頭が切り替わらないのとで、目を白黒させていると樹はめんどくさそうに目を細めて菫を見た。彼女は軽くうなずくと口を開いた。
「それはですね……」
彼女が憲貞に説明を始めると、樹は携帯を出して打ち込みを始めた。
しばらくすると、憲貞の勉強が全て終わった。菫は本日おこなった物を全てを確認してうなずくと、カバンから新たな紙の束を憲貞の前に置きにこりと笑った。
「はい。これを明日までにお願いしますね」
「あ、ありがとう」
お礼を言いながら、その紙の束をしまう彼の顔は引き攣っていた。しかし、二人は一切そのことを気にしなかった。
それはいつもの事であった。
憲貞は「それでは」と言って立ち上がると、菫と樹は同じように立ち上がり、挨拶をして頭を下げた。
憲貞は彼らに手を振ると部屋をでて、そのまま真っ直ぐ車に向かった。
桜花会専用ガレージ。
憲貞が車に近づくと、運転手が後部座席の扉を上げて待っていた。挨拶をする運転手に返事をすると車に乗り込んだ。
運転手は扉を閉めると運転席に乗り込み、憲貞に出発の声をかけるとエンジンをかけた。
それからしばらく走ると、マンションの前に止まった。憲貞は、いそいで鞄を持つと運転手に礼を言って自分で扉をあけて出て行った。




