是非食していただきたい!
とある土地には生贄の風習があった。十年ごとに一人の生娘を山奥の神殿に捧げるのだ。そしてその神殿に住む獣がそれを喰らう代わりにその土地を守る。
本来ならば許されないその行為は、あまりに強すぎる獣に対抗できる術が無く、繰り返されていた。
そして今日もまた生娘の命が散るのだ。
「わ、悪く思うな!」
少女は真っ白なワンピースを着せられ山奥の神殿に転がされる。手足を縛られている彼女はとても美しい容姿をしていたが、それを転がした男達はただ目を逸らすように逃げ出した。
彼らにとって前回の生贄から十年が経った今日、生贄に出しても構わない孤児の生娘が居なかったことに絶望していた。とても下劣な考え方だが、彼等は必死だった。自分の子以外を生贄にしようと。
そんな中、彼らの村に何の関係もない、旅の娘が来たのは僥倖だった。
旅の娘はなぜだか一人で旅をしていた上に細く、力もなく、無理矢理縛ってここに連れてきたというのに怯えているのか叫びもしなかった。
ここに連れてきた男たちは必死に自分に言い訳しながら、その場から逃げ出した。それを責めれるほどの存在はどこにもいない。
そして太陽が廃れた神殿の天井の隙間から差し込む中、荒れた床に転がされた彼女は───獣の足音を聞いた。
『今日の娘は…何やら毛色が違うようだな』
現れたのは人の言葉を話す大きな虎だった。美しい白い毛並みの虎は済んだ青の目を細め、品定めする様に娘を見下ろす。
「…しん、じゅう?」
『ほう。私を前にして言葉を発せれるのか中々の度胸だな?ならば…』
「…」
『…』
「…」
『…』
虎と娘は何も言葉を発さず暫く見つめ合う。今回の生贄に選ばれてしまった不幸な旅人の娘、そしてそれを喰らいに来た虎。殺伐としている二つの存在は思わず黙っていた。
今までの話で、二つほど前提が間違えていた。
虎は正直逃げたくなった。
娘は正直歓喜していた。
「理想だわー!」
『……は』
「簡単に皮膚なんて突き破り骨まで砕きそうな、なんて素敵な牙! 鋭く傷つけ、切りつけてくれそうな爪!」
『…』
「来たかいがあった!」
この場にいる者の中で、いちばん不幸だったはずの娘が、歓喜しながら手を自分の胸あたりで組んで祈るように微笑んでいる。
美しい容姿と相まって神に許しを乞う巫女の様な清廉さだった。
…見た目だけを言うのならば。
『おまえは、何を言っているんだ…?』
今年で千歳を迎えた虎は目の前の存在が理解出来ず、ゆっくりと瞬きをする。
「私に発言を許してくださるのですね!」
『…いや、お前勝手にさっきからペラペラ話してただろうが』
「なんて幸福なんでしょう! こんな理想の塊に出会えるなんて」
『待てお前はなんの話しを──』
「さぁ!その美しい爪で切り裂き腹に艶やかで美しい牙を突き刺し、私の腸を引きずり出して、真っ白な毛を真っ赤に染めるほどの私の!血を!浴びながら───是非食していただきたい!」
虎は逃げたくなった。
定石通り行うはずだった行為をせずにこの場を飛び出しそしてこの娘を寄越した村を滅ぼしたくなった。
目の前のこの生き物は虎の知っている人間とは掛け離れていた。というよりこんな生き物を見たことなどなかった。
目をキラキラさせているよりもギラギラさせているという説明が良さそうな視線に、興奮しているのか激しい鼻息。だらんと緩んだ口の端から少しのヨダレを垂らして恍惚の笑みを浮かべる目の前の娘が他にも居るんであれば、見てみたいと虎は少し現実逃避をしていた。
というか、そもそもお前はさっきまで縛られていた気がするんだがと虎は考える。村人がこの娘を連れてくる時に確かに縛っていたはずだ。不本意ながら村人に縛られてきたはずだ。
なのに、なぜこの娘はこんなにもだらしの無い反応なのか。
『恐怖で…頭が狂ったか?』
「あの…?」
『狂ったにしてもこんな狂い方なぞ見たことも無い! くそ! なんだコイツ!』
そもそも生贄として捧げられる生娘は別にこの虎に食われる訳では無い。とある土地を守らせる存在にするために連れ去っているに過ぎない。今までも勘違いしている娘が生贄に捧げられてきたが特に困りはしなかった。村のものに捨てられた生贄達は新たな土地に旅立つのにいっそ感謝すらしていた。
「…」
だが、虎はこの娘を連れていこうとは思わなかった。
『…帰れ』
「へ?」
『お前は要らん、帰れ…はぁ、また十年か…いっそ責任とらせて村のヤツら全員送ってやりたい』
「そんっ、そんなぁ! どうしてです!? どうして私以外を食そうなど!!」
訳が分からないと混乱する娘を見ながら虎は思った。お前が一番訳がわからんと。
「全財産あげます!」
『要らん!』
「きっと美味しいですって!」
『要らん!』
「腸には血がたっぷりで喉も潤いますよ!」
謎の自分が如何におすすめの食材かと熱弁する娘から思わず虎は後退りすることで距離を開けた。
薄々虎も気付いていたが「こんなに素敵な食材なのに!」と胸をはる娘は、一種の頭のおかしいナルシストなのだと。
「抵抗致しませんよ!?」
『しろよ』
「いっそつるんと飲み込んでいただいてもいいです!」
『しねぇよ』
「じゃあ何ならいいんですか!?」
『まともな教育受け直してこい』
「勉強は嫌いです!」
『やっぱり馬鹿じゃねぇか!』
思わず身をふるわせカッと目を見開き即座に拒否る娘に本気で人間世界の未来を憂いた。生娘を連れていったが為にこんな変なものしか残らなかったのだろうか? いやしかし、これを連れてきた村人は罪悪感に苛まれていた、つまり異常なのはコレだろう。
『お前は…なんなのだ…』
「貴方様のご飯です!」
『馬鹿なのか! 馬鹿なんだな!?』
「馬鹿な方が食べやすいでしょうー?!」
『良いから帰れよお前!!』
頼むから離れてくれ!と興奮する娘に虎が唸り声をあげ、反射的に威嚇した。それが逆効果だと気付いた時にはもう遅い。
恍惚とした表情で、虎の口の中にえいっとその美しい細腕を突っ込んだ。欠伸をした猫に指を突っ込むような行動だが、相手は虎である。
『っ何をする!』
ペッと吐き出された腕は鋭い牙により少し血が滲んでいた。何故だかそれに罪悪感を感じながらやはり虎は逃げたくなった。
なぜ無理矢理腕を突っ込まれた私がこんなに罪悪感を抱いているのに、それをやった犯人は手に流れる血を残念そうに見つめているんだろう。
未知の変態にとうとう虎はその場から駆け出した。もう付き合ってられなかった。この娘が逃げないならば自分が逃げればいいのだと脱兎のごとく逃げ出した。
「どこに行くのです!?」
『お前のいない所ならもうこの際どこでもいいわ!』
「こんな理想を前に諦めろと!? そんな鬼畜生みたいなことをするぐらいなら食べてください!」
『食べたら喜ぶ上に鬼畜生はお前だ!』
逃げる虎。追いかける血を流す娘。
娘を回収しに来た保護者がやってきた時までそれは続いていた。嬉嬉として虎を追いかける娘に足を引っ掛け転ばしたところで腕を後ろに捻り、床に押し付ける。
男は呆れながら、目の前で虎を見つめる変態に冷静に言葉を落とした。
「落ち着けないんですか、馬鹿姫」
「ドゥレ! 離して! これじゃあ食べて貰えないわ!」
『誰がお前なんか喰うか!!』
虎の完全に怯えきった声色に変態を押さえつけている執事服の男は申し訳なさげに頭を下げた。
「申し訳ありません、この姫異常なので」
『ちゃんと管理しろよ!』
「管理だなんて…はっ! もしかして私に肉付きが良くなるようにという…分かりました! 肥えて参ります!」
話を理解しようともせず欲望のままに叫ぶ変態に思わず引いた視線を虎と男が向け、互いにその視線を向けていたことに気づき親近感を感じ始めていた。
『お前も苦労するな…』
「分かってくださいますか…」
『その変態を元の場所に置いてきたら別の就職先を紹介してもいいぞ』
「本当ですか!?」
「ねぇ! 私を無視して盛り上がらないで?」
どうして無視できるのか分からないという変態と。
むしろどう相手しろって言うんだと顔に浮かべる虎と男。
土地を守る神獣と変態に使える執事の苦労が報われるのはいつなのだろうか…。
仕事に疲れて眠さに欠伸が止まらない昨日書いていたものです。
楽しかったです!(素直)