表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
やがて彼らは行間に踊る  作者: 黒色天国
アンノウン・イン・ワンダーランド
4/7

お前の、極めて平凡な親友より

例えば何十年か後にこの世を去るとして、その時、自らの人生を顧みるとすれば、一番酷く殴られた記憶はきっとお前なんだろう。

俺は本をよく読むだけの平凡な男だ。今では駆け出しの新聞記者なんてやってるが、国を揺るがすような大事件に関わるなんて…まぁ全く無い事もないだろうが、ただの新聞記者のままで終わるだろう。業界の中じゃ取るに足らない存在だ。


初めて会った時の印象はな、別に良くなかった。入学前のオリエンテーションの日、お前は窓際の最後列に座っていた。顔の右側を包帯で覆っていたから、俺の席からは表情が見えなかった。ただ読んでいる本の表紙は見ることができて、それがつい昨晩読み耽っていたのと同じだった。声を掛けた理由はそれだ。

お前は気難しそうにも、軽薄そうにも見える奴だった。顔の半分が隠れていたのもあったが、あまり人の輪に加わる奴でもなかったからだと思う。お前、どちらかというと不真面目な方だったからな。目立った悪さはしなかったが真面目に規則を守る方でもなかった。だから最初は一匹狼の不良とかそんなだと思ってたんだ。大して鬱陶しがられる事もなかったから、俺はお構いなしに趣味の話を振ったりしていたんだが。


夏課外の頃だったな、お前がうちに泊まりに来たのは。

俺が好きな映画の話になって、じゃあうちにビデオを見に来るかって事になったんだった。

学校が終わって、俺の家に帰るのは一日で一番暑い頃だった。殆ど真上から焼かれるような太陽の下を歩きながら、思い切って訊いたんだ。


「なぁ、その包帯って暑くないのか」


実を言うと、体育の授業で見た時から気になってたんだ。事故で負った火傷の跡を隠すための包帯は腕にも体にも巻かれていた。目を逸らしたり何か言い合ったりしているクラスメイトなんて気にならない風にしていたんで、俺も黙っていたんだけれど。


「…クソ暑い」


これは後になって気付いたことなんだが、お前は誰かの横にいる時、必ず右側に立っていた。話をする時によく目が合ったのは、お前が相手の目を見て話す奴だったからだ。お前は想像してたよりずっと真直ぐで、名前の通りの人間だったんだ。


最初の質問を終えてしまうと、後は簡単だったりする。それから俺は、お前の怪我について聞いたんだった。

それで、お前の包帯は他人に傷跡を見せて気味悪がられるのを防ぐためだと知って、思い切って言ったんだ。じゃあうちに着いたら解いたらどうだって。その日は両親が揃って出掛ける日で、俺たちは留守のうちに一晩好き勝手してやろうと思ってたんだから、気を遣う必要なんてないだろうってな。


「お前耐性あるのか? 結構グロいぞ」

「不潔じゃなければ多分大丈夫さ。お前衛生には気を遣う方だろ」


全く平気である自信なんて無かったけどな。そうじゃなくても乗り切ろうと思ってた。お前ほど趣味の話で盛り上がれる相手なんていなかったからな。



お前が本を貸してくれたのは、文化祭が終わって少しした頃だった。

火傷を負ってから親類の家で世話になっているのは知っていたから、それがお前にとって大切な本なんだろうというのは何となく察していた。

少しばかり恥ずかしい話なんだが、俺はそれが嬉しかった。突然読めと押し付けられた本は何度も読み返した跡があって、けれど大切に大切に扱われているのがよく分かった。そんな本を預けてくれるというのは、夏の日に顔の右側を見た時と同じくらい、信頼してくれているって思える事だったんだ。


その頃、家はあまり帰りたい場所ではなかった。

帰ると必ず両親が居間で向かい合っていて、ある事について話し合っていた。


一家心中だ。


重苦しい雰囲気は無かった。ただ、役所に行ってあの手続きをしなくちゃ、とかそんな感じで話し合っていた。早く皆で死ななくちゃ、どこでどうやって死のうかしら…って感じに。

その話をされた時、俺は静かに諦めた。あぁそういう事なのか、死ぬしかないんだなってな。高校生は案外無知で無力な存在だったから、そう言われてしまうとどうすればいいのか分からなくなった。だから今週の日曜日に死ぬ予定で、それは誰にも話すなと言われたら、そうするしかなかった。


お前が本を貸してくれたのは金曜日だった。俺も結構読む方だったが、家に帰るとどうも思考が緩慢として、ページを捲る手が止まってしまった。それで仕方なく、死にに行く前のちょっとしたドライブの間にも、車に揺られながら少しずつ読み進めることにしたんだ。


隣町のパン屋とか、景色の良い山だとかを見て回って、両親は最後にホームセンターで七輪を買ってきた。

俺と妹が軽食を摂ったり本を読んだりしている中で準備を整えて、薬を飲んで眠りに就いた。


「直、どうしたの」


母さんが不安そうにしたのは、俺が薬を飲まなかったからだ。


「…この本、まだ読み終わってないんだ。あと少しだから、それから飲むよ」

「そう。あまり遅くなると苦しくなるかもしれないから、早くするのよ。母さんは先に寝てるから」

「うん、おやすみ」


家族が寝静まってから、俺は残りの数ページを読んだ。解説まで読み終わると、薬を飲んで目を閉じる。それまで経験したことのない睡魔に襲われるがまま、体の力を抜いていく。


割と短い人生だったな。意識は遠のきかけていたが、つい先刻まで本を読んでいたから色々と考え事をしていたんだ。これから死ぬというのに、本を読んだ感想を纏めようと思考を巡らせていた。まだ十六歳だからな。死ぬってことがどういうことなのか、思い至るのに時間が必要だった。

お前が貸してくれた本は、結局どんな最後になるのかは分からなかった。作者が執筆途中に飛行機事故で死んでしまったから、結末は誰も知らなかった。最後の行は文章どころか単語の途中で途切れていて、本当に呆気なく、プツンと終わってしまっていた。


あぁそうか、死ぬってそういう事なのかもな。

だんだんと遅くなっていく思考の中で、俺は思い出した。そういえば、あいつは火傷を負った時に大切な人を亡くしたって言っていた。その人もまた何かを言いかけていたけれど、聞き取れなかったって――


車の窓が割れたのは、お前の顔を思い出した時だった。

本を返さなくちゃって思ったんだ。死んだら返せないなって、そのときようやく気が付いて。

そんな時に派手な音がしたので、俺はなんとか、薄っすらと目を開けた。割れた窓から鍵を開けて、ガムテープで塞いだドアを力いっぱいに抉じ開けたのは、初めて見るような形相のお前だった。


そうだよ、その時だ。

お前に力一杯に殴られて、やっと目が覚めたんだ。

両親も妹も、俺も、何か巨大な悪意に操られているって、ようやく気付いたんだ。



お前が生まれた家について聞いたのは、病院でだったな。

霊とか妖怪とか、全くでは無かったけど俺は信じていなかった。だからまぁ、それを祓う人々というのも、いるのは知っていたけど、現実味は薄かったんだ。お前が半年以上話さなかったのも、理由はそれなんだろう。


驚いたよ。でも信じられないってわけではなかった。実際思い返してみれば、明るく前向きな両親が死を選ぶなんて有り得なかったし、俺と妹も不自然なほど死に対する抵抗がなかった。何か心理学的な洗脳をされたわけでもなかったし…何より、あんな山奥まで追いかけてきてくれたお前の話だったからな。


それから少し入院して、俺はまた普通の高校生活に戻った。お前はそれまでと同じように好きな本について語り合ってくれたし、家族も元通りに仲良く生きてる。俺はそのことについて言いふらしたりはしなかったし、お前も、時々心配して探りを入れるだけだった。


俺は自分の得意分野を活かして働いてる。お前とは高校を卒業してからあまり会わなくなったが、年賀状と暑中見舞いは欠かさず送り合っている。お互い仕事が仕事だから深く話すことはできないし、結婚しましたの一言も書かれない簡素なハガキばかりが溜っていくけれど、別にそれでいいと思ってる。

だって俺たち、本の話ばっかりしてたからな。それ以外の話なんて、必要最低限しかしなかったろ。

でもそれでいいと思えるのは、最初からお前が嘘偽りなく接してくれたからだ。あの本が好きだとかこの本が良かったとか、そうやって話してる時はただの親友でしかないからな。


だからまぁ…何だ。もしお前が、ただの読書家に戻りたいって思ったら。普通の人間でしかない俺に会いにくれば良い。さっきも言ったが、凶悪組織の全貌を明かすとか、そういった綱渡りはしないだろうからな。事故にでも遭わない限り、定年退職するまで働いてその後で生涯を終えるだろうから。それまでの間なら、平凡な日々への道標になってやる。

だからいつでも戻って来いよ。


…ところでお前、猫も好きだったよな。

大学の友人がまた飼い主探しで目を回してるんで、可能であれば手を貸して欲しいんだが…どうだ?


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ