夢追い人
「~~~♪」
上機嫌だった。
窓の無い四畳半のスペースに年季の入ったイーゼルと板の様な煎餅布団しかない薄暗い部屋だった。
小さいころから夢があった。まだ子供の時分に父親に連れられて美術展に行った時に芽生えた夢だ。有名な海外の画家たちの絵が集められた展覧会だった。そこで子供心に輝かしく彩られた偉大なる芸術家たちの傑作に、自分の作も並べたいと思ったのだ。それより共通校を出た後は首都の美術学校で絵を学んだ。
しかし思うようにはいかなかった。美術学校のお偉方には才能がないと断じられ、同期の者には蔑まれ、夢想家だと陰口を叩かれた。今となっては顔も思い出すことも出来ないが、彼らのことなど追い求める理想の前ではどうでも良いことだった。
美術学校を追い出されたのは桜が舞う頃だっただろうか。それ以降は特定の師を得ることも無く、ただただ目についたものを絵に描いては道端で売った。売れることは稀で常に腹を空かせていたが、偉大なる画家たちもかつては無名だったと思えば我慢できた。実家から呼び出されても無視を決め込み、芸術を追い求めた。先日遂に絵が認められたのか、定期的に金と絵の具を送り付けてくれるパトロンも付いた。
パトロンが付いてからは画材や食料に不自由することも無くなり、絵を売る必要も無く部屋に籠って芸術を追い求めた。不思議と次から次へと描きたいものが湧いて出た。人物画も静物画も風景画も宗教画も描いた。日に日に自分が芸術の高みへと近づいている実感があった。
集大成ともいえる連作に取り掛かったのは数日前だった。ふと太古の昔から現代、近未来に至るまでの時代をそれぞれ描き出してみてはどうか、というアイデアが降って沸いたのである。それから飲まず食わず眠ることも無く筆を振るい続けた。赤の絵の具以外は切らしてしまっていたが、買いに出る時間も惜しかった。換気をする事も無く絵の具の異臭が部屋に満ちた。今を逃せば二度と偉大なる彼らに近づくことは出来ない。強迫観念が休むことを許さなかった。
「――!」
猛然と筆を振るっていた手が止まったのはドアの外の騒がしさに今更気が付いたからではなかった。イーゼルに固定された白地のキャンバスが芸術としての完成を見たからである。キャンバスには赤一色の色彩で描かれたリニアモーターカーが今にも飛び出しそうな疾走感と質感を帯びて描かれていた。
「~~♪」
満足そうに頷くとまだ絵の具の渇き切っていないキャンバスをイーゼルから外し、几帳面に壁に立てかけた。そこには壁一面に今まで描いてきた連作が順々に並んでいた。連作初作、竪穴式住居に住まう人々を描いた一枚が隅に、そこからリニアモーターカーまでの時代を追って描かれていた。牛車に揺られる殿上人たち、太鼓橋を掛ける大工、カードゲームに興ずる酔っぱらい、ビラを配るチンドン屋、噴火するキラウェア。
漸くここまで来た。学生時代ならジンの湯割りを一杯ひっかけでもしたいところだった。だがまだやるべきことがあった。最後の一枚が完成していない。題材はもう決まっていた。宇宙まで伸びるエレベーターだ。
新しいキャンバス、用意した最後の一枚をイーゼルに固定する。絵の具皿に絵の具を足す。最後の一枚を描き上げたら、なんてことは既に考えられなかった。ただ目の前の長方形しか目に入らなかった。
そうして筆を取った。瞬間世界は轟音に包まれた。
翌日、新聞の一面に世間を震撼させる狂気殺人犯が確保されたと白抜きの見出しが載った。夜な夜な老若男女の見境なく襲われ、後日金銭と手足の一本、そして血液が失われた犠牲者の死体が発見されることから週刊誌ではドラキュラとあだ名され恐れられていた。犠牲者の数は、5人。主婦、古物商、写真家、神父、そして最後の一人は出版社の男性であり、死体と共に納品前らしき歴史教科書の見本が発見されていた。
はいどうも。喜々直割です。1年ぶりくらいになりますでしょうか、また友人たちにお題を振られたため小説を書きました。供養のために投稿いたします。今後友人たちに振られたらまた投稿するかもしれません。
お題
桜、煎餅布団、太鼓橋、チンドン屋、牛、竪穴式住居、リニアモーターカー、キラウェア火山、カードゲーム、ジンの湯割り
書き上げて思ったこと
これ海野十三の「電波放送」のオチと一緒じゃないか?