まじない師の夢占 其の二
アジブローズと名乗るまじない師が、リューゼの前に現れたのは、今から4日程前の事だった。急な悪天候で足止めを食った、小さな村の、たった1軒しかない宿屋でのことだ。
* * *
――その頃。リューゼ・リ・アビナとセオリエ・ル・ムーアの主従はカゼンダル王国の北東部、ボーマルブ山塊の西側に広がる丘陵地帯を急いでいた。カゼンダルの王都にて、仲間と合流する予定となっていたからだ。しかし些細な揉め事に巻き込まれ、それが元で、彼らの命を狙う闇公配下の者が仕掛けた下級妖魔の『眼』に見つかってしまった。
すぐさま闇の妖術士たちがふたりの背後に現れ、隙あらばと付け狙う。一度、二度と撃退したが、張り付いた魔の輩はそう簡単に消えはしない。
黒色の着丈の長いマントに全身を包んだ妖術士たちは、むやみに人前に姿を現すことは無いが、時に気配を匂わせ不安を煽る。ひとの心に恐怖を植え付ける。焦りと苛立ちを増幅させる。
鍛錬を積んだ青年たちの精神はそんなことでは揺るぎはしないが、立ち寄った宿場で、彼らの後ろの存在に気付く者がいない訳でもない。胡散臭い目をされるのは慣れていたが、必要以上に警戒され、退去を強制されるのではかなわない。
このままカゼンダルの王都まで、付かず離れず影のように付きまとわれるのは鬱陶しいが、さりとて無理に追い祓うおうとして怪我をするのはいただけない。予定の期日も迫っている。主従は後ろを気にしつつ、人目を避けて道を進むようになっていた。
ボーマルブ山塊の南端に位置する村はずれに差し掛かったふたりは、この先で道が二手に分かれのを知る。一方は彼らがこれまで進んできた街道、もう一方は山道を分け入る険しい道。姿をみせぬ追手は、無言で彼らの後方に影法師のごとく付き従う気配。なにも仕掛けてこないのも無気味であった。
「いかがいたしましょうか、公子」
セオリエが伺いを立ててきた。地図によれば、街道はこの先山裾を添うように伸びている。だが、ふたりの脳裏には一抹の不安が浮かんでいた。
見通しの効かぬ道すじ。道標代わりに植えられているトウヒの木立ちは、襲撃者が身を隠すには都合が良し。片側の山肌を覆うモミやマツの樹木の影は、なおさら。昼でも薄暗い山沿いの街道は、行き交う旅人の姿もまばらである。
人間の目の途絶えた暗がりで奴らの同輩が待ち伏せてはいないか、と。
「遠回りになるが仕方ない」
傍らの青年の問いに、リューゼはぶっきらぼうに答えた。
遮蔽物の無い街道上では、敵の攻撃から身を隠すものがない。常に監視する『眼』の前に身を晒し続けるのは、どこから襲ってくるかわからない敵が相手では分が悪すぎる。
「急ごう。雲行きが怪しくなってきた」
セオリエが空を見上げると、押し寄せる低い雲が波のようにうねりだそうとしていた。
こうして彼らは正規の街道筋を離れ、山中の脇道へと足を踏み入れることとなる。ブナやトネリコの林が、すぐに一抱えもありそうなアカマツやモミが密集する森林へと変わっていった。
木々の幹や枝が、多少なりとも『眼』の追跡を遮ってくれるだろう。木々のもたらす浄化作用を嫌う妖魔もいる。執拗な妖術士たち相手とあっては、小細工など気休め程度と分かっていても、主従の足は山道へと向かっていたのである。
だが、間が悪いというべきか、いくらも先に進まぬうちに天候に見放されてしまう。
雨脚は早く、すぐに本降りとなった。雨は彼らの足跡を消してくれたが、同時に体温を奪っていく。日が暮れ道もわからなくなりかけた時、遠くにぼんやりと明かりが見え、それを頼りに彼らは走り出す。
妖術士たちの気配も、いつしか消えていた。
* * *
ふたりが辿り着いたのは、タルモラと云う山と山に挟まれた細長い窪地に拓かれた小さな村だった。放牧や林業に従事する者たちが村民の大半らしいが、長く続く天候の異変のあおりを受けて、生活は苦しいのだろう。村には寂れた空気が漂っている。
どうにか「西の雄鶏亭」という宿屋兼酒場に潜り込むことができたのだが、セオリエとふたり、遅い夕食を取っているところへ、薄汚れた長衣をまとった年老いた男が近づこうとしていた。
この日は彼ら同様、急変した空模様に足止めを食った客で、宿屋は満室だった。「こんなことは滅多にない」と、宿屋の主人だけが上機嫌だ。外は横殴りの雨で一向に止む気配もない。
たいして広くもない酒場は不満を抱えた旅人たちでごった返していたのだが、老いた男は暗い店内を迷うことなく、壁際の目立たない場所に陣取っていたふたりのもとにやってきたのである。
近寄る年老いた男は、リューゼ達になにをもたらすのでしょうか。