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BOOK MARKER  作者: 姫城 クラン
第一章
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第一章・4 『メビウスな想い-2-』

 ――夢は記憶の情報整理だ。というのは、神経生理学的な見解だと聞いた覚えがある。ただ、何時、何処で聞いたのかは覚えていない。もしかしたら医学的見解だったかもしれない。

 『夢』という曖昧なシステム自体は心理学の分野だ。以前読んだ本で少しだけ興味が出たので調べたこともあるので分かる。

 曖昧模糊な事象は苦手だが、心理学にはささやかながら興味がある。

 人は自分の心すら深く知ることが出来ず、『葛藤』という不条理な感情に振り回されることも時にある。心理学を学ぶことは、自分自身の心の奥深く――所謂、深層心理――に辿り着くことが出来るのではないか。だから私は興味を持つ。

 閑話休題。

 夢は記憶の情報整理という見解に、私は信憑性があると思っている。というのも、私が見る夢は大方前日までに体験した覚えのあることばかりだからだ。

 とは言っても、夢を見ている間は体験した事象だったかどうかは認識していない。目が覚めた時、睡眠時の記憶が鮮明に残っている時に限り、確かに一度体験したことだったと認識できる。

 もしかしたら、夢で見た映像は初めてのものだったかもしれず、起床時に現実の記憶と交錯して体験したと錯覚しているという可能性も、通常であればありうるのだろう。しかし私の場合は、確かに体験した記憶だということを証明する術がある。

 それが日記だ。

 私は基本的に、一日の出来事を日記に記す。その為、夢の記憶と日記を照合すると確実に過去に体験したことを夢に見たのだと断言できる。

 少々前置きが長くなってしまったが、つまり私が言いたいことはといえば。


 ――昨日の屋上での出来事を、まるで高解像度のカメラで撮影したかのごとく鮮明に夢に見てしまったのだ。


 四月十一日の朝。目覚めの気分は悪くない。思考も鮮やか且つ明瞭。ある程度の食欲もあり、適度に健康。しかし同時に、奇妙な感覚を伴っての一日の始まりとなった。

 改めて、昨夜書き記したばかりの日記を見直す。間違いない、久々に見たと思った夢は前日の記憶通りの展開だった。

 “彼との最初の出会い”を記し、昨晩追記をした『去年の日記帳』も開く。こちらにも記憶通りのことが書き記されている。“人生の転機”などと書いてしまった自分に思わず自嘲交じりの笑みを漏らす。寧ろ本当にこれがきっかけで私の未来が予想に反するものになったら、困るのは私自身だと言うのに。


「……まるでオカルトね」


 無意識に、誰もいない部屋で独り言を呟いてしまった。

 そう思わずにはいられない。忘れようにも忘れられず、考えるのを止めようにも無意識の底まで突いて来る。ついには自ら人生の変わり目だと断言してしまった。

 魔法にでも掛けられた、とでも言えば幻想的か。しかし実際には、嫌では無いにしても多少煩わしくはある。

 彼――支見君に何かされたわけではなく、問題なのはあくまで自分自身。私が勝手にコントロール出来ない感情に煩わしさを感じているだけだ。


「(取り敢えず、準備)」


 私は二冊の日記帳を閉じて立ち上がり、部屋の壁に掛けて置いた制服のかかったハンガーを手に取った。

 寝巻きを脱ぎ去り、ブラウスを着てボタンを閉めている内に思考はどこかへ飛び去っていた。スカートのホックを留める頃には、いつもと変わらない心持のいつもと変わらない朝になる。

 いつも通り簡素な朝食を済ませ、全ての身支度を整える頃には、およそ後五分で普段家を出る時間になっていた。

 五分という時間は微妙だ。本を読むには短過ぎて、学校に向かうにはまだ早い。とはいえ、別段早く登校したから問題があるわけではない。

 私はこの微妙な時間を無為に過ごすのもどうかと思い、戸締りを済ませ家を出た。昨晩のうちに読み始めた新刊の小説をブレザーのポケットに入れ忘れることなく。


「行って来ます」


 誰もいない部屋でも、この挨拶だけは欠かさなかった。




 昨日のことが例え本当に人生の変わり目であったとしても、たった一日で私を取り巻く世界が反転することはありえない。無論、私もその様なことは望んでいない。

 教室を訪れてもクラスメイトは私に挨拶を交わすことは無く、私の前の席にいるクラスメイトの席で屯している生徒達は、私が自分の席へ座るや否や、一斉に別の場所へ移動する。

 煩わしくない、本来の私の世界。

 不可解なものを見る眼差しや畏怖の眼差しすらも向けられることが殆ど無い。文字通り、無関係なのだ。

 変わりない流れで半日が過ぎ去り、昼休み。私はまた屋上で昼を過ごそうと思い、教室を出る為に席を立つ。すると、私が立ち上がり切るより少し早く、聞き覚えのある声が私の注意を引いた。


「永嶺さんはいるかい?」


 教室がいつになくざわついた。私も僅かに動揺した。あまりにも意外過ぎる来訪者が、あまりにも意外な質問を戸口近くの生徒に投げかけていたからだ。


「え? あ、うん。窓際の席にいるけど……」


 訊ねられた女生徒は狼狽を隠せぬまま答えていた。彼女の視線がほんの一瞬だけ私に向けられる。


「有難う」


 突然の来訪者は女生徒に簡潔な礼を述べると、私の方へ歩み寄って来た。クラスの生徒達の注目を浴びながら。

 私は、“煩わしい”、“鬱陶しい”という感情を隠さずに、彼女へ挨拶する。


「こんにちは、渡良瀬さん」


 秀才変人女学生、渡良瀬碧。

 校内では同級生と教師陣に、秀才と変人のレッテルで知られているであろう彼女は、当然別のクラスからこの様に他のクラスへ足を運べば、非常に目立つ存在となる。

 ましてや、用件は殆どの生徒が避ける、私への接触。クラス中の注目を浴びるのも致仕方ない。

 今この瞬間、周囲の生徒が何を思っているのか、手に取るように分かる。


「あぁ、こんにちは。昨日はどうも有難う」


 わざわざ私の席までやってくると、穏やかな表情で、挨拶と礼を述べる渡良瀬さん。天才肌特有の飄々とした印象の強い彼女だが、だからこそなのか根は純粋なのだろう。感謝を口にした時の柔和な表情は普段の印象とは大分違った。


「別に。聞かれたから教えただけ」


 しかしだからと言って、わざわざ昨日のことの礼を言う為だけに来たのだとすれば、私にとっては迷惑極まりない。感謝されることに悪い気はしないが、あまり無駄に人と関わりたくは無いのだ。


「それで、用件はそれだけ?」


 出来る限り相手が会話を続けたくなくなるように、突き放す様に私は訊ねた。


「いや、本題は別さ」


 どうやら彼女に対しては思ったより突き放す効果は無いようだ。渡良瀬さんはしっかりとした口調で否定してから、続けた。


「昨日の僕の質問、何故か答えてもらえなかったのが気になってね」

「質問?」


 私は彼女に何かを訊かれただろうか。本の事に関しては解決した筈だが、他に何か訊かれただろうか。


「帰り際に転入生の事を訊いたじゃないか」


 訝しげな顔をしていたからだろう、渡良瀬さんは補足するように言った。


「あぁ……そのことね」


 すっかり忘れていた。いや、忘れようとしていた。あの時はまだ思考が整理出来ていなかったから、何も答えずに去ってしまったのだった。

 しかし今は至って平常だ。昨日ほど意識はしていない。どうやら用件は他に無いようなので、私はさっさと答えてこの場を去ることにした。


「私の後ろの席。すぐ真横にいる二人よ」


 私は支見君と杉掛の二人を軽く一瞥した。どちらも、私達の会話に聞き耳を立てていたようで、すぐにこちらに反応した。


「俺達がどうかしたのかい?」


 いつもの軽薄そうな態度で、右手に持ったペンを弄びながら杉掛が渡良瀬さんに問いかける。

 渡良瀬さんはほんの少しの間杉掛を見ていたが、すぐに視線を離し、彼の問い掛けに答えることも無く今度は支見君の方へと目を向けた。


「あらら、無視ですか」


 残念そうに言うものの、杉掛の態度からは本当に残念に思っているのか読み取れなかった。


「何か用か?」


 今度は支見君が問いかけた。渡良瀬さんの瞳はしっかりと彼の姿を捉えており、並々ならぬ何らかの“想い”を感じた。

 暫くして、渡良瀬さんが口を開いた。


「君、湊矢……だよね?」

「あぁ。それがどうかしたか?」


 支見君の下の名前を口にした渡良瀬さん。

 私は彼女に転入生の名前を教えていない。どこで彼の名を聞いたのか。何故、彼を下の名前で呼ぶのか。

 興味は無いが少し気になった私は、暫く無意識に二人の様子を観察していた。


「やっぱりそうなんだね。僕は渡良瀬碧、聞き覚えがないかい?」

「碧? 確かに見覚えがあるとは思ったが、碧なのか?」


 知り合いなのか。

 それを理解した途端、私の中にあった興味の熱が一気に冷めた。私は席を立ち、見物人のクラスメイト達の間をすり抜けて、教室の外へと出た。

 意外の連続だった。あの渡良瀬さんと支見君が知り合いだったことも偶然過ぎて驚いたが、あの支見君に、至極普通の知り合いがいたことが。いや、渡良瀬碧は秀才で変人だが、一般的な女学生の知り合いがいた、という意味合いで。

 多少彼に対して失礼ではあるが、私が彼に感じる雰囲気は普通の人とは異なる。同様に、支見君の友人と自称する杉掛も、掴み処がなく不可解だ。

 お陰で一つの先入観で支見君を見ている為、渡良瀬さんの様な普通の友人がいたということに驚きを隠せなかった。


「あ」


 ふと、ブレザーのポケットの中に、本しか入っていないことに気付いた。思い起こしてみると、確かに朝にパンを持って来た覚えが無い。このままだと昼食はないままだけれど、別段摂らなくても困らないし、一応、今から購買に行けば何か買えるはずだ。

 スカートのポケットに入った小銭を取り出して確認する。五百円以上ある。これなら充分買えるが、購買は混み合うので好ましくない。

 私は取り出した小銭をポケットに戻し、本だけを手に屋上へ向った。少し時間を取られてしまったからあまり余裕は無いだろうが、読めるところまでは読もう。屋上の鉄扉を開けた時に吹き込んだ春風を感じながら、そう決めるのだった。

閲読、有難うございます

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