94話
「美しく開花したとき私は……」
ぐっと拳を握りしめるレイールだが、不快な気配を感じ取り、すばやく後ろを振り返った。
そこにいたのは、静かな眼差しで見つめる裏切り者が控えていた。
いや、正確には裏切り者の末裔だが。
「そんなところで何をしているの、カル。今はお前を呼ぶ必要はないわ。さっさと消えてくれないかしら。目障りだわ」
冷たく吐き捨てるレイールの言葉だが、カルは静かに微笑んだ。
「私よ、レイール……」
「! ……まさか」
目を見開いて凝視するレイールに、カルは悲しげな笑みを浮べる。
「こんな形で再会したくなかったわ。けれど、こうでもしなければ貴方に私の声は届かないから、彼女の身体を借りることにしたの」
髪に触れる仕草、姿勢、そしてなによりもはかなげな雰囲気を放つ姿を、レイールはいやというくらい見てきた。
「……まさか貴方と再び再会するなんて思わなかったわ、セリア。貴方にも私と同じ力があっただなんて、知らなかったわ」
「……いいえ、私はそんな力なんてないわ。ただ……私は自分の命と引き替えに願ったの。もう一度貴方と会って、話をしたいと」
「話を? 今更なんの話をしようというの」
「全てはそこから狂ってしまった、あの時のことを、貴方にどうしても知ってほしいの」
さっと表情が強ばるレイールを見つめ、セリアは話し始める。
「あの日私は、アスターに別れの挨拶をするつもりで、温室で待っていた」
「別れ?」
「ええ。その日私は、オーク国を離れるつもりだったの。これ以上城に留まり続ければ、いつアスターの妃候補として祭り上げられるは目に見えていたから」
そう言ってセリアは淡く微笑むと、周囲を見回す。
「貴方と出会ったのは、確か温室だったわね」
「……」
オーク国からデュリウス第一王子、クローブ国からは貴方が、両国間の友好のためという名目で暮らすことになった。
貴方はアスターの花嫁候補と言う名目で嫁いできたけれど、オーク国の誰もが認めてはいなかった。
貴賓扱いではあったけれど、ほとんど幽閉状態だった。
周囲の冷たい態度にも毅然としている姿に、私はひそかに憧れていたわ。
だけど偶然温室で見かけたとき、静かに泣いている姿を見て、私は貴方を助けたいと思った。
そうして貴方と何度も話すうちに、薬草の知識に長けていることを知って、私はアスターの病の手助けになるのではと考え、貴方を看護人として推薦した。
そしてアスターと貴方は親しくなり、お互い惹かれ始めていった。
それを側で見ながら、私は不思議と嫉妬も怒りもなかった。
ただただ嬉しくて……そして気づいたの。
アスターに友愛以外の感情はないのだと。
けれど周囲はそうは思わず、辛いのに平静を装っているのだと同情的な視線を向けていた。
その筆頭が、アスターの側近で幼なじみのテイラだった。
私が何度違うと言っても、無理をしているんじゃないかと疑っていた。
慰めの言葉や同情的な眼差しに、私は会うたびに胸の中でモヤモヤした何かが溜まっていった。
そしてそれはある日、テイラの婚姻話でやっと気づいたの。
彼のことが好きなんだと。
私は正直にテイラに告白したわ。
愛している、と。
だけどテイラは、悲しみを紛らわすための一時的な感情だと言って、取り合わなかった。
逆に私こそがアスターの隣に相応しい、そう言って説得する始末だった。
会うたびにそう何度も繰り返され、私はだんだん何もかもが苦痛になってきた。
幸せそうなアスター達を見るのも辛かったし、私の気持ちを拒否し続けるテイラ、出世のためにアスターの愛妾として嫁げと言いくるめる両親。
辛い日々を送っていた私を叔母が心配して、しばらく一緒に暮らさないかと誘ってくれたの。
だけど……それを父が許さなかった。
アスターと貴方の関係は一時的なものだから、その間に自分に振り向かせるよう努力しろ、そう言って父は私をこの国に縛り付けた。
そんなことは無理だって父もわかっているはずなのに、王妃という権力の象徴にずっと執着していた。
私はアスターと幼い頃から一緒だったから、わかっていた。
アスターはあまり執着しない質だったけれど、これと決めたものは絶対に手放さない人だった。
アスターが貴方を見つめる眼差しや微笑みは、私に見たことのないもので、それを見ただけでも、一時の関係だとは思えなかった。
貴方達の間には、恋人以上の大切な絆が結ばれていた。
そんな二人を、私が断ち切る事なんて無理だわ。
だから私は二人の婚姻の立会人をするまで、国に残ろうと考え直した。
そうすれば、誰も私や貴方たちのことに関して口出しをすることはないだろうと思ったから。
そしてもう一つ、二人の婚姻を祝福することで、私が本気でテイラのことを好きなんだと認めさせたかった。
けれど……それでもテイラは私を受け入れてはくれなかった。
私は絶望のあまり、今度こそ国を出ようと心に決めたわ。
両親は反対したけれど、日に日にやつれていく私を見て、とうとう叔母の家に行くことを許してくれた。
しばらく叔母の元で暮らし始め、ある晩餐会で素敵な男性と知り合う機会があった。
彼とはオーク国に戻ってからも文を交わしていたし、結婚相手として考えてもいた。
そんなときオーク国の晩餐会で、文通相手の方がやってきたわ。
驚いたけれど、わざわざ来てくれたことが嬉しかった。
しかも彼は私を妻にと、求婚の申し込みをするために訪れたと告げたの。
私は悩んだわ。
彼には好意を抱いたし、結婚も考えてはいた。
ただ心の片隅で、テイラが私の時のように引き留めてくれるのではないか、そんな淡い期待もあった。
けれどテイラは正式に他の女性と婚約し、私は彼の申し込みを受け入れた。
ただ、私よりも階級が低かったけれど、他国へと嫁ぐ私には関係なかった。
代わりに父上は猛反対したが、それは覚悟していたから、私達は辛抱強く説得を繰り返した。
そしてやっと承諾を得て、両家の挨拶も済み、結婚の日取りが決まった。
そして私が国を出て嫁ぐ前日に、あの悲劇が起こった。
私はあの日、アスターに最後の別れを言うために、温室に会いに行ったわ。
アスターとは長い付き合いだったから、いろいろ話したわ。
最後に別れの挨拶をしたとき、アスターは悲しげな顔で会えなくなるのは淋しいと言ってくれた。
私も同じよ、そう言って私はアスターを抱きしめ、遠く離れていても、愛しているわ、そう囁いた。
アスターは私の言葉が親愛の情だとわかっていたから、抱きしめ返し、私も愛しているといったのよ。
その時アスターが何かを感じ取ったように表情を強ばらせ、周囲に視線を走らせたことに私は戸惑った。
そんな私をよそにアスターは茂みに倒れている貴方に気づくと、青ざめた顔で走り出した。
私が追いついたときには、血を滴らせた貴方を抱きしめて愕然とするアスターの姿が目に入った。
頭の中が真っ白になって、私はアスターの悲痛な叫び声で我に返ったわ。
私はすぐに医師を呼んだわ。
けれど間に合わず、医師がアスターを貴方から引き離そうとしたけど、彼は気が狂ったように貴方の亡骸を抱きしめ続けた。
最後は数人の兵士達に気絶させられ運ばれたけれど、目が覚めたとき、アスターは生きる屍になってしまった。
自分の殻に閉じこもり、誰が話しかけてもうつろな表情を崩さず、食事もとらなくなっていった。
その原因を作ったのは……幼馴染みで親友で、腹心の部下だったテイラだった。
もちろん捕まり、厳しい処罰を受けた。
けれどテイラは、貴方を殺害したを悔いるどころか、オーク国のためにしたと、堂々と言い切ったわ。
アスターに相応しいのは私なのだといい、アスターに私と再婚するよう説得した。
だけどアスターがそんなことを聞き入れるわけもなく、テイラを追放したわ。
そこまでレイールに心奪われてしまったのだと気づいたテイラは、追放された翌日、オーク国の繁栄とアスターへの謝罪を遺言に、牢の中で自害した。
それでもアスターの気持ちは変わることはなく、日に日に衰弱していった。
そして周囲の矛先は私に移り、無理矢理王妃に据えることに決められた。
婚姻も何もかもすべて破談にさせられ、ただ国の存続のための贄として私は選ばれてしまった。