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眠れる王女と、眠れぬ王子  作者: 八知 美鶴
92/102

92話

「忙しい中、来てもらって悪いな」

 午後の昼下がり、中庭の一郭に呼び出したアルクは、疲れた表情をしながらも笑みを浮べる。

「いいえ、私もアルクに会いたかったもの。だけど……私よりアルクの方が心配だわ。執務で忙しいのに婚礼の準備もして……あまり無理をしない方がいいわ」

 心配げな表情を浮べ、ルキア――レイールはアルクのに座るよう促す。

 アルクが長椅子に腰を降ろすと、その隣にレイールも座る。

 そしてアルクの頭を、自分の肩に引き寄せた。

「こうすれば少しは楽になると思うんだけど……」

「このままでも、十分楽になった。ありがとう」

 目蓋を閉じたまま微笑むアルクに、レイールはいいようのない胸のざわつきを感じた。

 深い悲しみと安堵、そして懐かしい安らぎ。

 そんな想いがレイールの胸の内で絡み合い、自然とアルクに寄り添う。

 木漏れ日から差し込む光は優しく二人を包み込み、レイールの記憶を呼び覚ます。

 昔……これにとてもよく似た光景を思い出す。

 あの時も彼は疲れていて、私の膝枕でつかの間の睡眠をとっていた。

 その寝顔を上から覗いては、二人だけの時間を過ごしたものだ。

 睡魔を誘う温室の中で、柔らかな花の香りに包まれ、眠っている彼の疲れがとれるよう、そっと隈を撫でたものだ。

 そして今、彼の血を半分引いているアルクもまた、疲れた顔で眠っている。

 疲れの原因の半分は、自分が起している。

 あれほど彼の苦痛を分かち合いたいと願っていたのに、今は私が与えている。

 複雑な表情を浮かべながら、レイールは優しくアルクの頬に触れる。

 冷たく、柔らかい肌は青みを帯び、唇はうっすらと紫色になりつつある。

 死が間近に迫った者の顔だ。

 レイールの手は頬から顎、首を撫でて心臓の音を探るように下へと降りていく。

 胸までたどると、アルクの鼓動が手から伝わってくる。

 と同時にレイールの胸に咲く薔薇の刻印が、ちりちりと微かな痛みと共に花開くのを感じる。

 けれどもその速度は遅く、開花する前にアルクの魂は尽きてしまうのではないかと不安になる。

「…何を考えているんだ、ルキア?」

 突然声を掛けられ、レイールの表情が強ばった。

 身体を起し、レイールを見つめるアルクの眼差しは、悲しみと怒りが交じる。

 その視線を避けるように、レイールはそっと目蓋を伏せる。

「…アルクは病が憎い?」

「……何故、そう思う?」

「だって……病に冒されなかったら、国王としての責任を果たし、私のような弱小国の王女を娶る事なんてなかったはずでしょう?」

「かもな…」

 即座に答えた瞬間、レイールは素早くアルクの顔に視線を戻す。

「だが病でなくても、今とあまり変わらなかったかもしれない」

 レイールの強い視線に合わせてから、アルクは背もたれに寄りかかる。

「……俺の母上は元々病弱で、長生きはできないと医師に言われていたんだ。そんな母上を父上が見初め、結婚した。当然周囲は反対したが、母上が後継者が産めるほど長生きできないだろうと考え、渋々認めたらしい。また次の王妃を娶ればいいだろう、と。だから母上が妊娠したときは、周囲は驚いたらしい。だが日に日に弱っていく母上を見て、父上は気が気じゃなかったらしい。大陸中から滋養にいい薬を取り寄せ、なんとか母上が元気に子を産めるよう、あらゆる手を尽くした。だがそれでも母上の体力は落ちていき、ある日父上は、医師にこう言われたんだ。このままでは母子共に、命の危険がある、と」

「そんな…!」

「母上もそれはわかっていたんだろうな。だからどんなに父上が説得しても、俺を産むことにこだわった。これが王妃としての最後の務めだと、後で乳母から聞いたよ。……今思えば、母上は王妃としての役目を、十分に果たせなかったことが辛かったんだろうな。だから妊娠したときの喜びと、これだけは他の誰にも譲れない、そんな意地みたいなものがあったんじゃないのかな」

「……それで、アルクが生まれた後は…?」

「数年は生きていたよ。……生まれたとき俺は産声が弱くて、未熟児だったらしい。よく熱を出していては、母上が付きっきりで看病していたようだ。だが母上の体力も限界にきていて、二歳の時に亡くなったと、乳母から聞いた。俺も十歳くらいまでは病弱だったが、成長するにつれ、それもなくなったが…」

「……再び病にかかってしまった。王族直系しかならない、特殊な病気に。せっかくアルクのお母様が命を賭けて産んでくださったのに、結局病に冒されてしまったなんて…」

「ああ。だが母上には、そんなことはどうでも良かったんじゃないかな」

「どうでも良かった?」

 訝しげな表情を浮べるレイールを、アルクは穏やかな笑みを浮べた。

「たぶん、な。母上は王族にしかかからない病のことは、婚姻する前から知っていた。それでも母上は婚姻し、出産することを強く望んだ。元々長く生きられないとわかっていたから、愛しい人との赤ん坊を産みたい……そう、乳母が教えてくれた」

「……」

「母上はきっと……生きた証を残したかったんだと思う。俺という証をな。できれば俺の成長を見たかったんだろうが、やはり気力だけじゃ無理だったらしい。母上の願いが叶ったのか、俺は王位を継ぐ年頃には健康そのものだった。王位を継いで不眠病を受け継いだが、母上は満足しているんじゃないかな。俺が王位に即いたことで、自分の責任を果たしたと、生きていたらそう感じていたと思う」

「……」

「まあ、これはあくまで俺の推測であって、母上の本心は違っていたかもしれない。――君はどう思う?」

「ど…うし……て、私に……聞くの?」

 震える声で呟くレイールを、アルクは静かな眼差しで見つめる。

「なんとなく、同じ女性として聞いてみたくなって。それに……俺の話を聞きながら、とても大事なものを失ってしまった、そんな悲しみが、瞳の奥に見える」

 まるで心の中を見透かしているような気がして、レイールは視線をそらす。

「そんなわけ、ないでしょう? 私は赤ん坊を産んだことないのよ……」

「だが、いずれ産むだろう? 俺の子供を。――それとも赤ん坊ができる前に、俺は死ぬのか?」

「!」

 青ざめた顔で素早く振り返るレイールを、アルクは悲しみの入り交じった笑みを見せる。

「俺の命は、君が握っているんだろう? レイール」

 誰も口に出さなかった名を呼ばれ、レイールは目を見開いた。

「ど……して…」

「ルキアの身体が乗っ取られたと聞かされて……信じたくなかった。だが、やはり事実だったんだな。わかってはいたんだ。……ルキアが温室で倒れた時、俺の魂が……鷲づかみされたような感覚に襲われたんだ…」

「アルク……」

「それが君なんだと今、わかった。側にいて、君と繋がっているせいなのか、君が考えていることもなんとなくわかる。君は彼を呼び出して、どうしたいんだ?」

「や……めて」

「彼は遙か昔に亡くなった。それなのに君はここに留まり続けている。何が君を縛り付けているんだ?」

「……やめて」

「彼を甦らせても、失われた時は元には戻らない。そんなことをしても君が傷つくだけだと、本当はわかっているんだろう?」

「違うわっ!」

 ベンチから勢いよく立ち上がると、レイールは憎悪に歪んだ顔で、アルクを睨みつける。

「あなたこそ、私の何が分かるというの! 私が傷つくですって? もう、どれが傷口で、何が痛みなのかすらわからないのに、今さらやめることなんてできないわ!」

 そう吐き捨てると、レイールは酷薄な笑みを浮べる。

「私に唯一残されているのは憎しみだけ。彼が愛したすべてを憎み、彼の血を引く全てを滅ぼすまで、傷が消えることなどないわ」

「レイール……」

「――貴方はかつて私が愛した人の声に誰よりも似ているわ。だからこそ、私にあの時の絶望を思い起こさせる。でもそれもあと少し。貴方の命の灯火は、婚儀の日までよ。それまで生にすがりつくといいわ。その前に命を絶とうとすれば、ルキアを殺すわ。一人で逝くのは淋しいでしょうからね」

「レイール!」

「その名を呼ばないで。でないと私、今すぐ貴方を殺してしまいそうだわ。……そうならないようお互い、式まで会わないことにしましょう」

 冷酷にそう言い捨てると、ルキアは歩き去っていった。

「ルキア……」

 肩を落とし両腕で額を押さえるアルクの前に、濃い影が現われる。

「婚儀は延長すべきですね」

 怒りを抑えた声音に、アルクは苦々しいため息を漏らすと、ゆっくりと視線を向ける。

「盗み聞きとは、ずいぶん悪趣味だな、フィンソス」

「なんと言われようと構いません、陛下の命がかかっている今は」

「だとしても、まだ殺されないさ」

「ですが、それも婚儀の時までです。あと数週間後には陛下の命が失われるとわかっていて、このまま婚儀の準備をする必要なありません。それとも陛下には、自殺願望でもおありなんですか?」

「そんなわけないだろう? 俺だってそう簡単に命を渡すつもりはない。それに……」

 アルクは不敵な笑みを浮かべ、フィンソスを見上げる。

「もちろん、手伝ってくれるだろう」

「当然です、それが私の使命ですから。一番の解決策は婚儀を中止にすることですが…」

「まあ、それは無理だろう。延期にしたところで、俺の運命が変わるとは思えないしな」

「ではこのまま、婚儀の準備を進めるのですか」

「そうだな。それに……各国に招待状を送った今となっては、今更延期にするのは無理があるだろう」

「……となると、やはりルキア王女の中にいる亡霊をなんとかしなければなりませんね」

「亡霊……か。俺は、あれもルキアのもう一つの一面だと思っている。……彼女と話したとき、俺のことを昔愛した相手のようだと言った。その時思ったんだ。もしかしたらルキアも彼女に似ているんじゃないのかと」

 訝しげな眼差しを向けるフィンソスに、アルクは背もたれに寄りかかりながら話を続ける。

「彼女はルキアを選んだ。最初は同じ血族だからだと思ったんだが、もしかした他にも共通する点があるかもしれない」

「共通……ですか?」

「そう、彼女は国王の落胤として生まれ、修道院で育った。だが王女だとわかると、無理矢理城へ連行され、王族としての教育を叩き込まれた。そして逆らうことも許されず、オーク国へ嫁がされた。ルキアは元々王族として生まれたが、兄王よりも重い春眠病にかかった。そのせいで離宮に隔離され、春眠病の治療という名目で、辛い投薬生活を続けてきた。そして病のためオーク国へ嫁いだ」

「……どちらも自ら望んでオーク国に嫁いだわけではない、そう言いたいんですか?」

「ああ。どちらも国同士の都合で、利用されただけだからな。本音は嫁ぎたくなかった。いろんな共通点が重なって、ルキアが彼女の器として選ばれたのかもしれない。……まあ、今回は俺も父上に騙されたわけだがな」

 遺言のことを言っているのだとわかり、フィンソスはそっと目蓋を伏せる。

「それは……」

「別に今更せめる気はないし、今となってはルキアと出会えて良かったと思ってる。ただ、病だと思っていたのが、呪いだったってことが残念だがな」

 辛そうな表情で漏らすと、アルクはゆっくりと立ち上がる。

「それでもルキアはなんとか生き残ろうと、必死で彼女と闘っている。だから俺も、逃げるわけにはいかないんだ、フィンソス」

「陛下…」

「だからといって、すんなり命を差し出すつもりはない。たとえ婚儀を延期したとしても、俺の命が消える日は変わらない。なら俺も最後まであがくさ」

「ですが、婚儀中に陛下の命が失われたら、オーク国は終わりです。どの国もオーク国を狙っているのに、目の前で陛下が倒れれば、その場で争いが起こります」

 必死に止めさせようとするフィンソスに、アルクは難しい表情を浮べて考え込んだ。

 と、アルクは一つの案を思いつき、フィンソスに顔を近づける。

「ところで……来賓客はどれくらい来ている?」

「え? 来賓客ですか? ……他国の王室関係者はもう到着して、城の別館で過ごしていただいております。近隣諸国の貴族方は当日もしくは前日に入城してもらう予定ですが…」

 困惑した様子で答えるフィンソスに、アルクはニヤリと笑う。

「わかった。…悪いがフィンソス、すぐにレクシュ殿を呼んでくれ」

「レクシュ殿を?」

「ああ。俺に考えがある」

「何を…」

「それはレクシュ殿と会ってから話す。だから早く呼びに行ってくれ」

「……わかりました」

 渋々頷くと、フィンソスは近くにいた衛兵を呼びつけ、アルクの護衛として付けさせてから去っていった。

 フォンソスの心配に呆れながら、アルクは軽いため息を漏らす。

 今オーク国にはアルク達の婚儀のために、国交のある王族達が集まり始め、フィンソスはピリピリしている。

 しかも先程のレイールの会話を聞いた後では、嫌でも緊張感は増すのは当然だろう。

 執務室に戻りながら、アルクはレイールとの会話を思い返してみる。

 レイールは明らかにアルクの出生について、ひどく動揺していた。

 そして愛しい人――アスターとどんな関係だったのかわからないが、会うことにとても執着している。

 しかも婚儀の日に。

 さっきだって奪う気になればできたはずなのに、レイールは脅すだけでそれ以上何もしてこなかった。

「それとも……できないのか?」

 婚儀の日、アスターと会う……これはどういうことなんだ?

「そしてその時、俺とルキアはどうなる……?」

 死かそれとも……。

 執務室に戻ったアルクは、壁に掛けられている暦に目を向ける。

「あと……一週間足らずか……」

 悲しみと焦りが入り交じった声で呟くと、扉を叩く音にアルクはゆっくりと振り返る。

 返事をすると、待ち望んだ相手の声が聞こえる。

 扉のその先に、アルクは微かな希望をつかみ取るように、ぐっと拳を握りしめた。

「入れ」

 決然とした表情を浮べ、扉が開くのを待つ。

 最後まで諦めないと、心に誓いながら。


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