82話
「普通ならクライズ家の次の後継者は、次男のマルバノ公の長兄の予定だったから、ずいぶん睨まれもしたが。……そういう理由もあって、今でもクライズ家にはあまり近寄れない」
「そう…」
これでマルバノ叔父の、カルに対する態度が納得できた。
流民の血を引いているだけでも許せないのに、フィンソスに横から奪い取られるかと思うと、さぞかし屈辱的な日々を送っていたであろう。
だが、それも昔の話だ。
カル達は去り、マルバノ達は当然の権利を継承したのだから。
「フィンソスは……そういう理由で、あたしと婚約したの。爵位を継承できるから。…だから今も」
「それ以上言ったら怒るよ、カル」
低い声で凄まれ、カルは言葉に詰まる。
「前にも言ったはずだ。私はフォンデルン公の遺言だけのために、君と結婚しようとしていたんじゃない。それに私は爵位には興味がない。今の将軍職は実力で手に入れたもので、十分満足している。だからそんなことが目当てで婚約したと思わないでほしい」
真剣な表情で口にするフィンソスの言葉に、カルは泣きそうになるのを堪えるかのように視線をそらした。
「……貴方の気持ちはわかったわ。けれどあなたのご両親が許さないのでは? 特にクレア伯爵夫人は」
「確かに、母上は君のことを嫌っていた。だが母上が反対しても、私の意思は変わらない。君以外、妻に娶る気はない」
はっきり言い切るフィンソスに、カルは嬉しさと恥ずかしさで俯く。
「……質問に答えてくれてありがとう。あたし……もう、行くわ」
立ち上がりかけたカルに向かって、フィンソスは皮肉な笑みを浮べる。
「随分素っ気ない返事なんだね。……それとも今は、私の告白より、手に入れた物をすぐにでもレクシュ殿に渡すのが先決か?」
「!」
強ばった表情でフィンソスを見おろすと、怒りを孕んだ眼差しで見つめ返される。
「ああ、そういえば言い忘れていたよ。何故君がクライズ家にいるのを知っていたか。教えてくれたんだよ。レクシュ殿が」
「ど、どうしてレクシュ様が貴方に…」
「今日陛下に会いに来たんだよ。今は亡きリシアン前国王の指輪を携えてね」
「そんな……」
「しかもその指輪が我々も知らなかった、秘密の小部屋の鍵だった事。しかもその部屋で前々からレクシュ殿は前国王と密談までしていた。それがどんな内容だったのか、知っているかい? …まったく、恐ろしい女性だよ。他にも我々が知らないことを知っているだろうよ。私個人の意見としては、すぐにこの国から追放することを強く望むね」
「なんてことを! あの方は姫様の母上であり、クローブ国国王の王母なのよっ」
「知ってるよ。だから腹ただしいんじゃないか。口外しないことは間違いないが、それでも我々が知らないことまで知っている事実が許せないんだよ」
そしてカルが窮地に立ったとき、まっさきにフィンソスが動くことも承知しているのだから。
あの後すぐにカルの元へ向かったが、今思えば、アルクと二人っきりにするために、わざとあのタイミングでカルのことを持ち出したとしか思えなかった。
まんまとレクシュに踊らされた自分が情けなく、そして腹ただしいのだ。
「そんなことより、その手紙の内容を読んだのか?」
「…いいえ、私が読むべきものじゃないもの」
「いいや、君が読むべきだよ。その手紙は君に宛てられたものだ」
「だけどあたしはもう…」
「たとえクライズ家を追放されても、君はフォンデルン公の娘であることに変わりはない」
「……」
フィンソスの言葉にカルは迷い、しばらくしてから再び椅子に腰を降ろす。
「…読むわ」
慎重に封を切ると、カルは便せんを取り出し、そっと開く。