80話
「何を考えてるのよっ、あの男は!」
浴室で身体の汚れを落とし、着替えようとした衣装にカルは毒づいた。
てっきり召使いの衣装かと思いきや、令嬢が着るような豪奢な衣類が衝立に立てかけてあったのだ。
フィンソスに怒声を浴びせて、衣装を交換させるように言いたいが、まさか裸で出るわけにはいかない。
近くに控えている侍女を捕まえて衣類を交換してもらおうと思ったが、誰もおらず人の気配もない。
もしかしたら人払いをしたのかもしれない。
だったら仕方ないがまた同じ服を着替えようと探すが、どこにも見つからない。
あの衣装の中には、セリアの手紙も入っているのに!
タオル一枚の姿で部屋を出ようとするカルに、背後から声がかかる。
「そのような格好でどこへ行くのです、カルスティーラ様」
「!」
素早く後ろを振り返ると、反対側の扉から、白髪を綺麗にまとめた優しげな老女が部屋に入ってきた。
「貴方は……マラリス様」
「お久しぶりでございます、カルスティーラ様。ご健勝でなによりでございます」
丁寧に挨拶するマラリスに、カルは一瞬自嘲げに笑うと、同じように礼をとる。
「マラリス様こそ、お元気そうで何よりです。ですが今の私は身分を剥奪された身。どうかカル、とお呼び下さい」
「いいえ。身分に関係なく、フィンソス様の婚約者である限り、私の態度は変わりません」
はっきりと口に出され、カルは微かに顔をしかめる。
さすがフィンソスの乳母だけあって、主人の性格をよくよく繁栄している。
…というよりは、マラリスの影響を、フィンソスが受け継いでいると言った方が正解だろう。
とはいえこんなところで世間話などしている時間はない。
カルはマラリスに、自分が身につけていた服のことを尋ねた。
「ああ、それでしたら洗濯するため、こちらで預からせていただきました」
「その中に手紙が入っていたはずですが、知りませんか?」
「ああ、それでしたらこちらに」
マラリスはポケットの中から古びた手紙を取り出す。
「ああ、よかった」
安堵しながら手紙を受け取ろうとしたが、マラリスはその手紙を再びポケットの中にしまってしまう。
「…どういうこと?」
訝しげに問うと、マラリスはカルの姿を一瞥し、ついたてに掛けてある衣装に視線を向ける。
「まずは着替えてから、お渡しします。その格好では風邪をひいてしまいます」
「……だったら貴方と同じ衣装を用意してほしいのですが」
「何か換えの衣装に問題でもありましたか?」
「今の私は侍女です。このような高価な衣装を、身につける身分ではありません」
はっきりと拒絶するカルに、マラリスは一瞬目を見張るが、すぐに言い含めるようにカルを見つめる。
「貴方が侍女だということは知っています。ですが、フォンソス様から婚約者の様に扱うよう言われている以上、これに従っていただきます」
でなければ、手紙を渡すことはできない、そうマラリスの視線がカルに語っているようだった。
これ以上食い下がっても平行線を辿るばかりだと思い、カルは渋々着替え始めた。
洗濯が終わるまでの間だけだと、暗示をかけながら。