79話
「……これだわ…!」
安堵したと同時に殺気を感じ、カルは素早く本棚の間に隠れた。
同時に扉が荒々しく開かれ、数人の衛兵達がなだれ込んできた。
「もう逃げられないぞ、侵入者め!」
衛兵の声が静まりかえっていた書庫に荒々しく響くのと同時に、カルはすでに隠し扉の方に移動し始めていた。
こんなところで捕まるわけにはいかないのよ!
手紙を落とさないよう懐にしっかりとしまい込み、衛兵の動きに気を配りながら、隠し扉をなんとか手で開けようと試みた。
だが頑丈すぎてびくとも動かない。
こうなったら戦うしかない!
そう覚悟を決め、カルは持っていた短剣に手を伸ばす。
だが背後から突然口をふさがれ、両手を押さえ込まれる。
いつの間に背後に!
カルは短剣を抜き放とうともがくが、耳元で押し殺したような声が囁く。
「ここから無事逃げたければ、大人しくするんだ」
「!」
驚いて硬直するカルに構わず、背後の男は一冊の本を軽く傾ける。
と、先程カルが入ってきた本棚が音もなく動き出した。
人一人分くらい開くと、背後の相手は突き飛ばすようにカルを隠し通路の中に押し込んだ。
その後に続いて相手も飛び込むと、本棚は静かに閉じる。
「どうして……」
呆然とするカルの腕を相手は強引に掴むと、引きずるように走り出した。
「ちょっと待って…」
「説明は後だ。急いでここから出ないと、すぐに追っ手がかかる」
暗闇の中、相手は慣れた様子で走り続ける。
カルはただ引っ張られるままに進み続けるが、遠くから松明の明かりと怒声が聞こえ始める。
「! 追っ手が来たわっ」
「わかってる。あと少しで出口だ。ここを抜ければ問題ない」
そう言っているうちに、二人は隠し通路を脱出した。
突然暗闇から陽の下に出たせいで、カルは眩しくて顔をしかめる。
「ここまでくればとりあえず安心だ。だが、まだ油断はできない。いったん私の屋敷に向かおう」
そう言って引っ張って行く相手の手を、カルは乱暴に振り払う。
「勝手に決めつけないでちょうだい! フィンソス!」
外の光に慣れるように軽く頭を振ると、カルはフィンソスを睨みつけた。
「助けてもらってのは感謝するわ。だけど、何故あなたがあそこにいたの? しかも隠し通路のことを知ってるなんて…。その上どうしてあたしが、あの場所にいたことがわかったのよっ」
「それは屋敷に着いたら説明する。今は大人しくついてきてくれ」
「冗談じゃないわよ。貴方の屋敷に行くなんてごめんだわ! だったらこのまま城に戻るわ」
踵を返し歩き出したカルだが、すぐにフィンソスに両肩を押さえられた。
「馬鹿! そんな格好で城に戻ったら、それこそ質問攻めにあうのはお前だぞ」
フィンソスに指摘されて初めて、カルは自分の格好が酷いことになっていることに気づく。
服に煤や埃、蜘蛛の巣が張り付いており、裾は所どころ破れ、見るも無惨な姿になっていた。
恐らく髪や顔も汚れているのは、鏡を見なくとも容易に想像できるだけに、カルは黙るしかなかった。
恨めしげにフィンソスを見ると、フード付きの長衣を羽織っていたせいか、そんなに汚れてはいなかった。
「……まずは私の屋敷で汚れを落としてからでも遅くはない。それにまだマルバノ様の護衛が、私達を探している可能性がある」
再び手を取って歩き出そうとするフィンソスだが、カルは押しとどめた。
「ちょっと待ってよ。貴方の屋敷にだって、こんな格好で入れるわけないでしょ。質問攻めにあうのには、変わりないじゃない」
「それは問題ないから、心配しなくてもかまわない」
何を言ってもフィンソスの意思が変わらないことがわかると、カルは諦めのため息を吐く。
「……わかったわよ。……ちゃんとついていくから、手を離してちょうだい」
「いや、駄目だ。そう言って逃げ出したら困るからね」
「……逃げるわけないないでしょ。こんな格好で……」
苦虫を噛みつぶしたような表情を浮べる。
脱出できたまではよかったが、これからフィンソスの屋敷に行かなくてはならないという思うと、不安な気持ちでいっぱいだった。