73話
呆然と後ろ姿を見ていたアルクだが、すぐさまレクシュに向き直る。
「どういうことです? あんなフィンソスは見たことがない。…彼女とは誰のことなんです?」
アルクの問に、レクシュは憂いを含んだ笑みで返した。
「ルキアの侍女のカルのことですわ、陛下。いえ、正式な名はカルスティーラ・クライズといいます」
「なんだって! クライズといえば、フォンデルン公爵の。だが……フォンデルン公爵が亡くなった後、奥方とご息女は失踪したと聞いていたのですが…」
「ええ、こちらではそういうことになっているみたいですね。ですがお二人はフォンデルン公爵が亡くなってすぐに、クライズ家を追い出されたようです。元々二人を一族とは認めてなかったようですし、体裁を取り繕うため、亡くなったということにしたのではないのでしょうか」
「まさか……」
「事実そうなのです。どういう経緯かはわかりませんが、野党に追われているところを我々が保護したのです。それからいろいろあって、クライズ家の名を捨て、カルという名でルキアの侍女として仕えることになったのです」
「……それはフィンソスのことと何か関係が?」
「さあ……私の口からは何もお答えできませんわ。これはカルの問題ですから、第三者が口をはさむ権利はありませんわ。…それにこれから話すことは、正直フィンソス殿には聞かれたくないことなのです」
「まさか……そのためにわざと…」
「いいえ、今言ったことは本当です。ただ、彼女の手記があるかどうかはわかりませんが、何らかの手がかりはあると私は考えています」
「……だとしても、今の彼女はクライズ家の人間ではない。死んだはずの人間が、家に入ることなど無理だ。ましてやあるかどうかわからない何かを探し出すことなど……まさか!」
「だからフィンソス殿の力が必要になってくるのですよ。彼はきっとカルの手伝いをするはずです。だからそちらの方は心配していませんわ」
「あなたという人は…。彼女を使って、フィンソスを利用しましたね…!」
「フィンソス殿の心配よりも、御自身の心配をするべきなのでは? これから私がお話しすることはとても危険で、陛下の命を掛けていただかなくてはなりません」
「命の危険、だと?」
「ええ、そうです。今も病で辛い思いをされいることは重々承知しておりますが、どうしても陛下のご協力が必要なのです」
「常に命の危険にさらされてきた私に、何の協力をしろと?」
「それは……」
やや躊躇いながらも、レクシュはアルクにそっと耳打ちする。
「な…んだ…と。ルキアを……殺せ…だと」
愕然とするアルクに、レクシュは険しい顔で頷く。
「……そうすれば呪いは解けるはずです」
「あなたは……それでもルキアの母親なのか! 俺にルキアの胸に刃を突き立てろと、お前がそれを言うのかっ!」
礼儀もかなぐり捨て、激しく罵倒するアルクにレクシュの表情も憤りに満ちた表情に変わる。
「私だって娘の死など望んではいないわ! 助けられる方法があれば、どんな手段を使ってでも助けたい! だけど、今まで集めた情報だけでは呪いを解く方法が見つからないのよ。唯一の望みは、あるかどうかわからないセリアの手記を手に入れることだけ。仮にその手記が見つかったとしても、方法が載っている保障なんてどこにもない。最後までルキアを助ける方法を探すけれど、万一間に合わなかった時の、覚悟も私には必要なのよ」
レクシュはアルクから視線を外すように立ち上がった。
「ルキアは幼少の頃、国王付きの乳母によって、国のために生きるように育てられました。気づいた時にはすでに遅く、春眠病の治療も兄であるシエルのためだけに、拷問にも近い治療をこなしていたわ。ただただ国のためだけに自分は存在しているのだと、ルキアは思い込んでしまった。どんなに私達が違うのだと説得しても、ルキアは聞き入れなかった。ただ……カルと過ごすようになってから、徐々に明るくなって…そしてここへ嫁いで……ルキアはやっと生にたいする喜びを得られ始めた」
「なのに、それを俺に奪えって言うのか! 冗談じゃない! 俺はやりたくないっ」