54話
刺すような胸の痛みは、消して刃物のせいでも、己の死でもなかった。
「わ…た……、赤……ん」
突き刺された皮膚から、鮮血と共に失われてしまった。
そして……彼女の命も残りわずかで、脳裏に過去の記憶が走馬燈のように流れる。
王家の落胤として生まれ、すぐに修道院に入れられた彼女は、何を知らずに静かな日常を送っていた。
それが二十歳を過ぎたある日、突然使者が現われ、直系の王族だと告げられた。
そして有無を言わさず城へ連れて行かれ、オーク国に嫁ぐため教育を受けることになった。
何度も修道院に逃げようとした彼女は、王族からの圧力で居場所を失った。
城の生活は貴族達の侮蔑、疑惑、悪意の視線を浴びながら、王族としての立ち振る舞いを覚えさせられる。
侍女達からも、失敗するたびに非難めいた態度でたしなめられ、本当に王族の血が流れているのかと、疑い深い眼差しで見られることに耐えなくてはならなかった。
彼女自身も王族ではないと主張したかったが、母の形見である首飾りと、生まれてすぐ修道院に預けた司祭が認めたため、否定することができなかった。
国王は私を王族として振る舞うことを強要し、オーク国との強い縁組みとそれに付随する利益を求め、王子二人は私の存在を無視した。
だが意外なことに王妃は反対もなかった。
ただし、賛成もしなかったが。
一度だけ会見したとき、王妃は皮肉げに笑い、
「陛下はあと何人、そなたのような子を隠しているのでしょうね」
とだけ言うと、二度と離宮から出ることはなかった。
全ては……クローブ国が潤うためだけに、彼女苦痛を強いられてきた。
そしてオーク国に嫁ぎ、彼女はアスター国王陛下の病を治すためだけに、嫁がされたことを知った。
故に名目は王妃ではあったが、扱いは医師とほぼ変わらなかった。
いつからか知らないが、アスターは原因不明の病にかかっていた。
普段は何の問題もない健康体なのに、ある日突然胸の発作が起こるのだ。
どんな薬も効かず、またその発作がいつ起こるかわからない不安に、重臣達はなんとしてでも治る方法を探していた。
そんな折、とある高名な占術師が城を訪れ、国王の病を治すにはクローブ国から妃を娶れと告げられたのだ。
当初はそんな話を鵜呑みにはしなかったが、アスターの病状を言い当てたことと、年々発作が酷くなることに重臣達は焦った。
そして半信半疑でクローブ国から妃を選ぶこととなった。
しかしクローブ国の王族の中に王女はおらず、重臣達の中から妃候補を選ぶことになった。
しかし当時クローブ国の国王は用心深く、重臣達が余計な力をつけることを恐れた。
そしてあるとき、過去に娘を産ませたことを思い出し、急いで教会から彼女を引き取ったのだ。
誰からも必要とされず、孤独に過ごしてきた彼女は、アスターを看病することだけが、ささやかな幸せだった。