53話
彼女は全身に溢れる喜びを感じさせながら、温室の中を小走りで歩いていた。
自分には決して叶わないであろうと思い、ずっと悲しみに浸っていたのだから。
けれども、それも今日で終わりになる。
「早く……アスターに会いたい!」
愛しい人を捜し求め、彼女は待ち合わせしている四阿に向かう。
「ああ……」
四阿の近くまで行くと、アスターの後ろ姿が見えた。
「アス…」
声を掛けようとした彼女は、もう一人いることに気づき立ち止まった。
艶やかな黒髪をまとめ、淡い水色の衣装を身につけた可憐な女性。
「セリア…?」
いつも私達に気を遣って温室にはめったに訪れないはずなのに、何故?
困惑した表情を浮べながらも、彼女はゆっくりと近づいていく。
だが、セリアの口から衝撃的な言葉が飛び出し、彼女はその場に凍りつく。
「陛下を愛していました……ずっと昔から」
「セリア……」
強く抱きしめるセリアを、アスターはゆっくりと背中に腕を回す。
その光景に彼女の頭の中は真っ白になり、頭の中で激しい痛みが警報のように鳴り響く。
「そんな……嘘…よ」
青ざめた表情で後退る彼女の耳に、耳障りな声が入ってくる。
「これが現実だ」
「!」
はっとしたように振り返った瞬間、腹部に鋭い痛みが走る。
声を上げようとした彼女の後頭部を、彼は自分の胸に強く押さえ込む。
抉るように体内へ入り込む刃物は深く、彼女の命の他に大切なものを奪っていく。
二人から気取られぬ距離まで彼女を引きずると、彼は乱暴に刃物を引き抜いた。
急に身体を離され、彼女は膝をついて後ろへ倒れ込んだ。
震える手で腹部へと手を当てると、生暖かい液体が勢いよく体外へと流れ落ちていく。
彼女は目の前の相手を見上げようとするが、視界がぼやけて相手の腰についている自分の返り血しか映らない。
だが彼女は声だけで、相手が誰なのか痛いほど理解していた。
オーク国に嫁いできた時から彼女を毛嫌いし、王妃となった今も非難はしても敬うことをしない男。
ただし……殺されるほど嫌われているとは思わなかった。
いずれ認めてくれるだろうと、思っていた。
陛下の腹心の部下なのだから。
「な……ぜ」
血を吐き出しながらそれだけ呟くと、彼は吐き捨てるように呟く。
「お前は正当な王族じゃない。陛下は許したが、私は絶対に許さないし、認めない。それだけでも許しがたいのに、お前は汚れた血を引く後継者を産もうとしている。これ以上汚れた者を、オーク国に持ち込むことは、私が許さない」
微かに目を見開く彼女を、彼は侮蔑のこもった瞳であざ笑った。
「陛下が知らないことを、何故俺が知っているのかって顔をしているな。簡単さ。お前の主治医に問いただしたのだから。医師だけじゃない。お前にかかわるすべてのことを私は監視していた。だからすぐにわかったのだ」
ゆっくりと彼の気配が離れていく。
「……お前はただ陛下の病だけを治すためだけに、ここに来たのだ。それを勘違いしたがための死だ。お前は多くを望みすぎたんだ」
去っていく彼よりも、彼女は投げつけられた言葉と、間近に迫る死に涙が溢れてきた。