5話
案内された天幕はルキアが今まで野宿していた天幕と違い、分厚い獣毛で作られていた。
何枚も縫い合わされた獣毛の天幕は今まで一番暖かく、また寝台や床の敷物も柔らかい獣毛に敷き詰められ、とても快適だった。
しかし…。
「いくら暖かくても、暖炉はいらないんじゃないかしら」
両手で掴める大きさの陶製の携帯用暖炉が、天幕の出入り口付近に置いてあった。
天幕は十分すぎるほど暖かく、ルキアは重くて厚い長衣を脱いでいた。
「今は暖かいですが、夜になると急激に温度が下がりますから、ないと困るんです」
それに、と付け加え、カルは水の入った鉄瓶を暖炉の上に乗せる。
「こうやって湯を沸かすのに便利ですし、姫様が顔を洗うのにも使いますから」
「そうなの……。ここで寒いなら城内はもっと寒いのかしら? 今まで暖かい場所で暮らしてきたけど……私、寒さに耐えられるか不安だわ」
毛織物の重い衣装を見ながら、ルキアは憂うつになる。
「心配しなくても、寒いのは野営する今日までですから。オーク国の建物は防寒設備が完璧ですし、殆どの建物はすべて温泉がひいてありますから、とても快適ですよ」
「…ねえ、カル。さっきもフィンソス殿が言っていたけど、温泉って何なの? 暖かいお湯って聞いたけど、そんなに大量のお湯を沸かすのは大変じゃないの?」
「違いますよ、姫様。温泉というのは、地熱で熱せられた地下水のことです。温度もかなり高いうえに、あちこちから湧き出てくるので、それを利用して建物を暖めているんです」
「へえ、そんな便利なものがあるなら寒くないわね」
「はい。それに温泉によっては、身体に良い効果をもたらすものもありますから、姫様の春眠病を軽減する温泉もあるかもしれませんね」
「まあっ。そんなに温泉ってすごいものなのね。さっきまで憂うつだったけど、話を聞いたら、ちょっと楽しくなってきたわ」
「それは良かったです」
ホッと安堵するルキアに、カルも嬉しそうに微笑む。
カルの表情が緩んだのを見ながら、ルキアは気になることを聞くなら今だと感じた。
「そういえば、氷霊山や温泉のことといい、随分物知りなのね。北国って言っていたけど、もしかしてオーク国出身なの?」
「物知りだなんて……。氷霊山は神の住まう場所だと神聖視されていますし、温泉は誰でも利用できますから、北国の者ならば知っていて当然のことですわ」
「ふーん、そうなの。……ところでカルは、フィンソス殿と顔見知りなの?」
突然話題を変えるルキアに、カルは一瞬顔を強ばらせたが、すぐにいつもの微笑を浮かべる。
「いいえ、知りませんわ。どうしてそんなことをお聞きになるんです?」
「だって、カルにしては珍しく態度が素っ気なかったし、話しかけられたくないっていう雰囲気だったんですもの」
「ああ……なるほど」
ルキアの指摘にカルは軽く頷くと、困った様子で眉間に皺を寄せる。
「お目にかかったことはありませんが、いろんな噂はよく耳にしていましたから。オーク国国王の右腕として数々の武勇伝が共に、華やかな女性関係の噂も広まってましたから。私はあまり噂を信じない方ですけど、今日初めてお目にかかって、噂通りだとわかって、正直関わり合いたくなくて、ついあんな態度をしてしまいました」
「そうなの? それにしてはずいぶんフィンソス殿の方が親しげな感じがしたんだけど」
「そうですか? だとしたら、女性ならだれでもあのように親切な態度をとっているんじゃないですかね。現に姫様もフィンソス殿の顔を見てうっとりしていたじゃないですか」
「そ、それは…。だって、仕方ないでしょう。騎士というより、吟遊詩人だと思ったんだもの」
「確かに。一見すると騎士だなんて思いませんよね。あんなに見目麗しい外見なら、女性達が放っておかないのも納得ですね」
私だったら、絶対嫌ですけど。
独り言のように呟くカルに、ルキアは苦笑する。
「確かに。素敵な方ではあるけど、結婚したら毎日嫉妬で狂ってしまうかもしれないわね。いつ浮気されるんじゃないかって」
「そうですわね……。そんなことより姫様、明日は朝早くにここを発つと思いますので、そろそろお休みになってください」
カルは話を切り上げると、素早くルキアの寝台を整える。
「そうね……。今日は部屋も暖かいし、ぐっすり眠れそう」
カルに手伝ってもらいながら寝間着に着替え、ルキアは毛皮の掛け布に身体を横たえる。
「そういえば、カルはまだ寝ないの?」
「ええ。明日の準備と、暖炉の火の後始末をしてから休みますわ」
「わかったわ。カルも早く休んでね」
「わかりました。お休みなさいませ、姫様」
「おやすみなさい、カル」
挨拶を交わし、ルキアが瞼を閉じると、カルは寝台の側にある明かりを静かに吹き消した。






