4話
とはいえ最初はルキアがアルクのどちらかという話になったのだが、国王であるアルクが簡単にクローブ国へ行くわけにはいかず、必然的にルキアがオーク国に行くことになったのだ。
とはいえ病気療養で行くとなると、近隣諸国から変な探りを入れられるのを嫌がったオーク国は、表向きはルキアがアルク・オウレンに嫁ぐという体裁が整えられた。
「……ねえ、カル。輿入れって、普通は半年くらいかかると思うんだけど、こんなに慌ただしいと他国から婚姻じゃないって疑われないかしら」
「まあ、普通でしたら。ですけど、シエル様がそこは上手く誤魔化したって言ってましたわ」
「え、なによ。その上手く誤魔化したって言うのは」
聞いてないわよ、とばかりに顔をしかめるルキアに、カルは悪戯っぽく微笑む。
「なんでもアルク様の姿絵を見るなり恋に落ちて、ルキア様は今すぐに会いたいと、婚礼準備もそこそこ身一つでアルク陛下の元へ向かっていると、そんな噂を隣国に流すといっていましたわ」
「なによそれ! 全くのでたらめじゃないっ。私はアルク陛下の姿見を見たことがなければ、恋に落ちてもいないわよ。お兄様ってば、よくそんな嘘を他国に流したわね」
「確かにルキア様はアルク陛下に恋はしていませんけど、身一つで向かっているのは本当のことですわ。実際、婚礼準備が間に合わなくて、必要最低限の物しか用意していませんし……残りの荷物も後で送る手はずになってますもの」
「確かにそうなんだけどね。それで、その噂に関してオーク国側からは何か言ってきているの?」
「いえ、特になかったようですね。まあ、オーク国としては自国の病が外に漏れなければ、どんな噂を流されようと気にしていないみたいですね。オーク国よりどちらかと言えばクローブ国の方が、他国からの注目を浴びているみたいですわ」
「えっ、なんで」
びっくりするルキアに、カルは苦笑しながら口を開く。
「どの国もオーク国と交易を結びたいのに、よく言えば牧歌的な、悪く言えば地味な国が、どうやって婚姻を取り付けたのか不思議みたいですよ」
「地味って…まあ否定しないけど。確かに他国に比べたら農業と酪農中心だから仕方ないけど……でも農産物の品質は高いし、他国に比べたら種類も豊富よ」
「そうですわね。……って、そうではなくて。その農業中心の我が国が、どうして金脈や鉱山で富の国と呼ばれるオーク国と縁組みできたのか知りたいみたいですよ」
「それはもちろん病気繋がりなんだけど…ってそれを公にできないから、私がアルク国王陛下に入れあげているってことになっているのね」
「そういうことです。ただ、それでもまだ半信半疑だと思われているので、オーク国側からも事実だと思わせるために、手伝ってもらうことになっていますわ」
「手伝い?」
「ほら、あれですわ」
カルは窓の外に視線を移し、指をさす。
「遠目ですが、天幕が見えるあそこに、私達を迎えに来たオーク国の兵達が待機していますわ」
「随分と念入りなのね」
それだけオーク国も必死と言うことなのだろう。
ここまで大がかりなことをするからには、それなりの成果を出さなければならい。
とはいえ、療養自体は何度か、他国へ行っているので初めてではない。
今回は似たような症状を持つ者同士を引き合わせることが、初めての試みらしい。
だからといってそれが何かの効果をもたらすかは、医師はもちろんルキアだってわからない。
それはオーク国側もわかっているし、ただの無駄骨かもしれないが、それでもやるしかないと思っているのだろう。
何かしらの成果が出るといいけど…などと、ルキアは他人事のように思った。
それだけいろいろ試したものの、思うような結果が得られなかった故の気持ちだった。
それでも旅を始めてからルキアの体調は、クローブにいた頃より睡魔に悩まされることが少なくなったことが今は嬉しい。
案外オーク国でしばらく療養したら直ってしまうのでは、と考えたが、すぐに環境の変化で一時的なものだと改める。
それでも意識かはっきりしている分、退屈な長旅でもそれなりに楽しく感じる。
「ねえ、カル。オーク国の兵達が迎えに来たってことは、今日中には城に到着するのかしら」
「いいえ、残念ながら今日も野営ですわ」
カルはそう言って、青くて鋭い山脈をさす。
「あの山、氷霊山の麓にオーク国があるんですけど、到着にほぼ一日かかります。日中は明るいから危険が少ないですけど、夜の移動は視界が悪い上に、獰猛な獣に襲われる危険があるんです」
「えっ、そうなの!」
怯えるルキアに、カルは安心させるように微笑む。
「大丈夫ですわ、姫様。そういう場合も考慮して、オーク国から兵をよこしたと思いますわ」
「それなら安心、よね…」
「ええ、姫様が危険に襲われることはないですわ。……ああ、そろそろ到着しますね」
カルはそう言ってルキアの衣装を整え、荷物をまとめていく。
「姫様、外はだいぶ寒くなっていますから、こちらの長衣を着てください」
ずっしりとした毛織物の長衣を渡され、その重さにルキアは顔をしかめる。
「カル……ほんとにこれを着ないと駄目なの。こんな重い服を着たら、肩が凝りそうなんだけど」
「重いのは仕方ありません。オーク国に着いたらもう少し軽くて暖かい物を用意するので、今はそれで我慢してください」
そう言ってカルも似たような長衣を身につけ、渋るルキアの長衣を羽織らせる。
首元まできっちり締められ、苦しそうな表情を浮かべるルキアを無視し、扉に近づいたカルの顔がさっと強ばる。
「? どうしたのカル」
「…いえ、思っていたより外は寒そうなので、フードもかぶってください」
「えー…今でも十分暖かいのに」
「駄目です。姫様はオーク国の気温にまだ順応していないんですから、風邪を引いてしまいますわ。そんな最悪な状態で国王陛下に謁見させるわけにはまいりませんわ。何より、姫様の健康管理を怠った私が咎められてしまいます」
そんなことはないと言おうとしたが、そもそもアルク国王陛下がどんな人物かわからないので、ルキアは黙ってカルの指示に従う。
やがて馬車はひときわ大きな天幕の前に止まると、馬車の扉が開けられる。
従者の手を借りて馬車の外に出ると、柔らかな長い金髪を後ろに束ね、灰色の瞳をした美青年がルキアの前で頭を下げる。
「ようこそ。お待ちしておりました、クローブ国ルキア・クローディ王女様。私はオーク国騎士団団長のフィンソス・カイザーと申します。ここから先は私達がオーク国までの道案内兼、護衛を務めさせていただきます」
すらりとした体躯に、青地に銀糸の縫い取りが入った衣装を見つけた姿は、騎士というよりは吟遊詩人のようだった。
容姿や魅惑的な声に一瞬惚けてしまったルキアだが、すぐに姿勢を正し、フィンソスに膝を折る。
「まあ…ありがとうございます、フィンソス殿」
「クローディ王女様、どうか私のことは、フィンソスと呼び捨てで構いません。……それでそちらは侍女の方ですか?」
ルキアの後から降りてきたカルは、手荷物を侍従に預け、ルキアの後ろに控えている。
「ええ、私の侍女のカルです。身の回りのことは全て、彼女にお願いしてます」
挨拶するようルキアが促すと、カルは少しフードをずらして顔を見せ、深く膝を折る。
「カルと申します。姫様専属の侍女でございます」
しかし一度もフィンソスに視線を合わせることもなく挨拶すると、拒絶するかのように口を閉ざす。
その様子にルキアは違和感を覚えたが、あえて何もなかった様にルキアは振る舞うことにした。
「それでフィンソス、私達はこれからオーク国に向かうんですか?」
「いいえ、ここで一晩過ごしてからオーク国へ向かいます。ここからオーク国までは、ほぼ一日を費やしますから」
カルと同じ答えが返ってきたが、ルキアは初めて聞いたとばかりに、フィンソスに驚いた顔を向ける。
「まあ、一日もですか。ここに到着して気温の低さに驚いたんですけど、オーク国はもっと寒いんですか?」
「ええ。ここよりかなり寒いですね。しかし城内は山肌を削って作られているので、暖かいですし、温泉も引いてありますから」
「温泉?」
聞き慣れない単語に首を傾げるルキアに、フィンソスは曖昧に微笑む。
「暖かい湯が地下から湧き出ているんですが……まあ詳しい話は城に着いてからにしましょう。今は、長旅の疲れを癒やしてください。明日の出発は早いですから」
「はあ…わかりました」
「では王女様方が泊まっていただく天幕にご案内します」
フィンソスに案内されながら、朱に染まり始めた氷霊山を見上げ、ルキアはため息をフードで隠した。