30話
「いい香りだな…」
「でしょう?」
優雅な手つきでポットの中に少量のお湯を回しながら注ぐと、すぐに別の器に全部出す。
アルクはその香りを堪能しながら、甘い香りが漂う容器に手を伸ばすが、ルキアにたしなめられた。
「それは香りを楽しむものだから、飲まないでね」
そう言いながら、ルキアは同じように回しながら、ゆっくりとポットの中にお湯を注ぐ。
「少し時間はかかるけど、味は保証するわよ」
弾む声で言うと、アルクは思い出したようにルキアに向き直った。
「そういえばさっきもう一つの趣味を教えてくれると言ったが、なんなんだ?」
「それはね、この花茶のことなのよ」
「花茶?」
頭の上に疑問符が浮かぶような顔で聞き返すアルクを、ルキアは楽しげに見つめ返す。
「そう。きっかけは私が春眠病にかかった時なの。初めは花粉が原因じゃないかって医師達が言い出して、母さまがだったら花を乾燥させて飲ませたらどうかって言ったの。毒には毒をもってってことだったらしいわ。もちろん周囲は反対したんだけど、私は母さまの意見に賛成したの。だって試してみなきゃわからないじゃない? それに花を飲んだら、どんな味がするんだろうって好奇心もあったわ。それであれこれ試して飲み始めたんだけど……最初はものすごい不味かったの。だけど香りだけは良かったから、いろんな種類の花を組み合わせて改良してみたの。そしたらどんどん美味しくなっていったんだけど」
「春眠病の治療にはならなかったわけか」
「ええ。だけどハーブを混ぜることによって、多少睡魔が押さえられることがわかったの。それからは花茶にハーブも加えて、楽しむようになったわけ。そしてこのお茶も、私がブレンドしたのよ」
「ルキアが?」
「ええ。…そろそろいいわね」
ポットを手に取り、それぞれの茶器の中に中身を注ぐ。
薄い琥珀色の液体を疑り深い眼差しで見つめながら、アルクは茶器を手に取る。
「とてもいい香りがするが……味はどうなんだ?」
ルキアも茶器を手に取り、香りを楽しみながら一口飲んだ。
「うん、美味しい。アルクも飲んでみて、貴方のために私がブレンドしたんだから」
笑顔で進められ、アルクは深く香りを吸い込んでから、一口飲んでみた。
「 うまい!」
「ほら、私の言ったとおりでしょう?」
喜ぶルキアをよそに、アルクはもう一口、今度は味を確かめるように飲んでみた。
「…果物のみたいに甘いのに、花の蜜のような香り。けれどくどくなくてさっぱりしている。……材料は何なんだ?」
「乾燥した林檎の果実にリコリス、ラベンダー、あとは薔薇の蕾と薄荷を混ぜてあるの。味に気をつけながら、安眠作用のあるもので組み合わせてみたんだけど…」
「俺のために…ありがとう、ルキア。だが、お前が飲んだら病気が悪化するんじゃないのか?」
気遣うアルクに、ルキアは苦笑した。
「それに関しては、私にはあまり効果がないみたい。たぶん、身体に耐性ができているんじゃないかってお医者様に言われたわ。それよりもアルクの方が多少なりとも、効果があるかもしれないわ」
「俺がか?」
「ええ。だって初めてアルクは花茶を飲んだんですもの。もしかしたら、今日はよく眠れるかもしれないでしょ?」
「…だといいんだがな」
「だったらよく眠れるよう、毎日花茶を用意するわ。そしたらアルクだってそのうち眠れるようになるかもしれないわ」
楽しそうに微笑むルキアに、自然とアルクも微笑む。
「ああ、それは楽しみだな」
「ええ、期待して待っていてね。ねえ、アルク。私もっと石のことを知りたいわ。アルクはたくさんある宝石の中で、どれが一番好きなの?」
「うーん…そうだなぁ」
少し考えるように眉根を寄せてから、ぱっと思い出した。
「星を秘めた石だ!」
「え?」
きょとんとするルキアから離れ、アルクは机の引き出しの鍵を開けると、天鵞絨で覆われた小箱を持って戻ってきた。
「これだよ」
ゆっくりと蓋を開けられ、ルキアは感嘆の息を漏らす。
「綺麗……」
「これはスタールビーという名前なんだ。ほら、こうやって光の加減で光が瞬いているようだろう?」
「本当に…でもどうしてこんな風になるの?」
不思議そうに見つめながらぽつりと漏らすと、アルクは小箱から石を手に取り、そっと星の跡を指でなぞる。
「石の中で細い針のような内包物で偶然できたものなんだ。とても貴重な宝石で、まだ数個ぐらいしか発見されていないらしい」
「アルクの言うとおり星を秘めた石なのね。深紅に白い星 とても神秘的だわ」
「ああ。これを見ると、星を手に入れているような気分になる。そして…」
「そして?」
先を促すルキアを、アルクはじっと見つめながら少しだけ恥ずかしげに頬が赤くなる。
「……笑うなよ。この石に俺は願掛けをしているんだ」
「願掛け…って、どんな?」
「それを言ったら願いが叶わなくなるから秘密だが、叶ったら教えてやるよ。あっ、笑ったな。ちぇっ、やっぱり言うんじゃなかった」
ふて腐れてそっぽを向くアルクを、ルキアは微笑みながら首を軽く横に振る。
「違うの。そんな大切なことを教えてくれて嬉しかったの。だって私達、あと数週間で婚姻を結ぶのに、お互いのことほとんど知らなかったから、それが嬉しいの。これからずっと二人で暮らしていくんですもの、もっといろいろなこと知っていこうね」
優しい微笑みを浮べながらアルクを見つめてから、ルキアはそっとアルクの手の中にあるスタールビーに視線を移す。
「アルクの願いが叶ったら教えてね。私、楽しみに待ってるわ」
「ルキア…」
スタールビーを握りしめ、アルクはルキアを強く抱きしめる。
「ああ、そうだな」
そうなって欲しいと、アルクは強く願わずにはいられなかった。