29話
「またか…」
書類を読んでいる最中、文字が二重に見え始め、アルクは書類を机の上に投げ出す。
背もたれに身体を預けると、じわじわと頭の奥から鈍い痛みが広がり始める。
「今日はもう……無理だな」
こめかみをゆっくり擦りながら、アルクは目蓋を閉じる。
ちくちくと痛みだす目蓋にそっと触れ、軽く目頭を押さえながらアルクは嘆息した。
三週間後に控えた婚礼の準備もあり、アルクはいつも以上に政務をこなしていたが、その分身体の負担も大きく出てしまったらしい。
とはいえ、頭痛のたびに仕事を休んでいては、終わるものも終わらない。
かといって無理にでも仕事をしようとすると、頭痛が激しくなってくる。
「なんで俺なんだ……」
フィンソスも自分と同じ王族の血を引いているのに、病の兆候がまったく見られない。
アルクとて生まれたときから、不眠病を患っていたわけではなかった。
最初に兆候が現れたのは、父の喪が明けてからだ。
代々続いてきたこの不治の病は、前王が逝去し、次の国王が誕生するとかかる。
ここまでは誰もが知っていることだが、何故国王になってからかかるのかが未だ解明されていない。
まるで病そのものが意志を持ち、次の国王を蝕むために蠢いているようだ。
「呪いか……」
父の手記を読んで、初めは馬鹿馬鹿しいと思った。
だが読み進めていくうちに内容が真実みを帯び始め、父が最後に書き残した言葉にアルクぞっとした。
『凶華が現れた』
殴り書きのように書かれた文字、そして十日後に父は息を引き取った。
そして今、アルクも見てしまった。
禍々しいほど咲き誇る大輪の凶華を。
それはアルクの命の輝きを現わしているようで気味が悪く、父の手記通りならば、アルクの死は間近に迫っているということだ。
「冗談じゃ…ないっ。まだ何も始めてすらいないのに…」
ルキアとの関係も上手くいきはじめたばかりで、治療薬だってこれから見つかる可能性が出てきたというのに、まだ死にたくない!
「どうすればいいんだ…」
出口のない焦りと不安と恐怖に苦しんでいると、不意に扉を叩く音でアルクは我に返った。
「どうぞ…」
声をかけると、少しだけ扉を開けて、ひょっこりとルキアが顔を出す。
「今、入っても大丈夫?」
「あ…ああ、構わない」
ルキアは遠慮しながら入ってくると、両手に持っていたお盆を軽く持ち上げた。
「お茶を持ってきたの。温室が駄目になって会う場所もなくなったから……その、ムルガさんが執務室はどうかっていうから…。でも、アルクが嫌なら他の場所でも…」
初めて執務室に足を踏み入れたルキアは、山積みになっている書類と、疲れ切っているアルクの顔を交互に見ながらどうしようか迷っているようだった。
「気にしなくていい。ちょうど一息入れようかと思っていたから。いつも隣の部屋で休憩しているから、そこでお茶を飲もう」
ゆっくりと席を立つと、アルクはルキアから盆を受け取り、隣の部屋へ案内する。
アルクの後について別室に入ると、ルキアは驚いた表情で辺りを見回す。
執務室が重厚な雰囲気に対して、隣室は幻想的な雰囲気だった。
壁一面に備え付けられた棚には、鉱物が標本のように綺麗に陳列されており、鈍い輝きを放っていた。
その脇の本棚には鉱物に関する書物が収められ、執務室と同じ材質で作られた机の上にも、何冊かの書物が乱雑に置かれていた。
食い入るように鉱物を見ながら、ルキアは感嘆の息を漏らす。
「すごい……この鉱物はみんなオーク国で採掘したものなの?」
「ああ、そうだ。これはどれも原石だが、宝石として研磨したやつもあるが…見るか?」
「ええ、是非見てみたいわ」
瞳を輝かせながらルキアは微笑むと、アルクはテーブルに盆を置くと、懐から鍵を取り出して、棚の下にある両開きの戸に差し込む。
小さな音が鳴り、アルクはゆっくりと戸を開く。
「わぁ……!」
驚嘆するルキアの前に現れたのは、研磨され、仕切りのついた硝子ケースに収められた宝石だった。
ルキアも知っている紅玉、緑柱石、金剛石、翡翠、青玉、水晶から名前もわからない美しい宝石達が、美しく加工されていた。
傷がつかないようし仕切りの中に綿が敷かれ、その上にのせられていた。
「こんなにたくさんの宝石を見たのは初めてだわ。……もしかして収集しているの?」
「そうだな……初めは自分の国の鉱物がどれだけあるか調べだしたんだが……書物を調べていくうちに加工されたものも気になりだして……それでこうなった」
「すごいわね……。それじゃ、この宝石はなんていう名前なの?」
「ああ、これは瑪瑙といって縞模様が特徴なんだ、いろんな形や色があって、俺が今持っているのはこの水色なんだ。こっちにある孔雀石とちょっと似ているだろう。けど、孔雀石は小さな房状に対して、瑪瑙は半透明で、縞も大きい……」
いつもの険しい表情は影を潜め、瞳を輝かせながら一つ一つ丁寧に説明するアルクを眺めながら、ルキア徐々に笑いがこみ上げてきた。
ルキアの態度にアルクは怒ったような顔で軽く睨む。
「なにがおかしいんだよ」
「ごめん。アルクがそんな風に楽しそうな顔をするの初めて見たんだもの。いつも不機嫌な顔をしているから、その違いにびっくりしちゃって」
「なんだよ、俺が楽しそうな顔をしてるのが、そんなに珍しいのかよ」
「もちろんよ。だけど嬉しくもあるわ。そんなに心の底から楽しんでる姿って、初めて見たと思うし…。それにアルクの趣味が鉱石集めっていうのが、意外だったっていうのもあるわね」
「悪かったな、女みたいな趣味で」
「もう! そんなこと言ってないでしょ。私がいいたのはアルクの趣味がわかって嬉しいってことなの。だって趣味を教えあうってことは、それだけ親しくなったってことじゃない。素敵なことだと思わない?」
「確かにそうだな……。でも俺は、まだルキアの趣味を知らないから、教えあったとは言わないんじゃないのか?」
「それもそうね。それじゃ今から私の趣味を教えるわ。お茶を飲みながら、ね」
困惑するアルクに、ルキアは楽しげに笑いながら席へと促した。