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眠れる王女と、眠れぬ王子  作者: 八知 美鶴
28/102

28話

 フィンソスはいらついていた。

 ちょっとアルクをからかっただけで、執務室で雑務を手伝うはめになり、しかもルキア王女との約束があるからと、仕事を全部押しつけられた。

 しかもお茶を持ってきたムルガに、陛下もご成婚なさるんだから貴方も一刻も早く結婚するべきだと延々と説教され、アルクと交代して書類整理から解放されて安堵したのもつかの間、中庭でカルと先程謁見室であった商人が抱き合ってる場面を目撃してしまった。

 しかも親密そうに。

 その瞬間、怒りが最高潮に達し、フィンソスは猛然と殴りかかりたい衝動に駆られた。

 が、衛兵がいることに気づき、必死に押さえる。

 あくまでも毅然とした態度で近づこうと、笑みさえ浮べて友好的な態度を装う。

 内心では今すぐ走り寄って二人を引き離し、テッサンを剣で切り刻むことしか頭に浮ばない。

 血まみれの惨劇と純粋な殺意をかぎ取ったのか、商人テッサンはすぐにカルから離れ、引きつった顔で離れていく。

 逃げ出したことに更に怒りを覚え、舌打ちしながら今度あったら無傷で帰れると思うなよと、頭の中で毒づく。

 一人残ったカルは背後の気配を感じて一瞬身体を強ばらせるものの、決然とした態度でフィンソスに向き直った。

 平静を装っているものの目つきは険しく、貴方に文句なんか言われる筋合いはない、とばかりに唇を固く結んでいる。

 その態度に腹ただしいものを感じたが、あくまで穏やかに話を切り出そうと、フィンソスはこれまで何度も女性達をうっとりとさせる笑みを浮べる。

「さっきまでいたのは、アガパンサス商会の人だね。確か名はテッサンと言ったかな。随分親しそうにみえたけど、知り合って長いのかい?」

「フィンソス殿には、関係ございませんわ」

 フィンソスの笑顔に騙されることもなく、カルも失礼にあたらない程度に微笑み返す。

 あらかじめ予想していた答えを返されたが、フィンソスは微笑みを絶やさず食い下がる。

「つれないな。婚約者なのに、教えてくれないとは。ますます嫉妬してまうじゃないか。それならテッサン殿を捕まえて聞いてみることにしようかな」

 脇を通り抜けようとするのを、カルは慌ててフィンソスの腕をつかんで引き留める。

「ちょっ、やめて下さい!」

 冗談ではない。

 そんなことをしたら間違いなくフィンソスは、嬉々としてテッサンに拷問まがいの詰問をするに決まっている。

 そしたら王妃のことまでばれてしまう。

 それだけは避けなければならない。

「わかりました、お話ししますから……少し離れてくださらないかしら」

 引き留めたのは良かったが、フィンソスはそれに便乗するように軽くカルの背中に手を回していた。

「どうして? テッサン殿とはもっと密着していたのに、何故私だと嫌がるのかな。婚約者同士なのに」

 指でカルの頬をなぞり、顎へと持っていくと軽く自分の方へと持ち上げる。

 からかうような表情とは別にフィンソスの視線は険しく、未だに怒りがくすぶっているのがわかる。

 それを刺激しないようカルはあえてフィンソスの好きなようにさせるが、見上げる視線は拒絶の意を表していた。

「何度も申しますが、私達は婚約者ではありません。何を勘違いなさっているのかわかりませんが、フィンソス様と私では身分に差がありすぎます。なので、いい加減からかうのはおやめ下さい。それよりもフィンソス様にはもっと身分に合った相応しい方がいらっしゃるはずです。もっと未来に目を向けたらいかがですか?」

「だからこそ、私に最も相応しい相手は、君しかいないんだよ。君の方こそいい加減理解してくれてもいいんじゃないかな」

 即座に切り返すフィンソスに、カルは目を細めた。

「私を、ですか? 何一つ持っておらず、後ろ盾もない私が貴方に相応しいとは思えません」

「相応しいかどうかはこの際関係ない。わかっているのはただ一つ。私には君が必要だということ。一度は手からすり抜けてしまったが、再びこうして手の中に取り戻した。二度と離す気はないよ」

 懇願にも近いフィンソスの切望した口調に、カルの目蓋に熱いものがこみ上げてくる。

 頷きたいのにそれができないカルは、フィンソスの中にいるが苦痛でしかたがなかった。

 身体中を震わせ、顔を歪めるカルに、フィンソスも苦痛に満ちた表情を浮べる。

「何故そんな顔をするんだ、カルスティーラ。君が頷いてくれたら、私は伯爵家を捨てても構わない。私が妻にと望むのは君だけなんだ!」

 今こうしていることこそが傷つけられ、カルを追い詰めているとはフィンソスは気づかないのだろうか。

 望むのなら幸せだった頃に戻り、素直な気持ちで返事をしただろう。

 しかし時間が戻らないように、変わってしまった自分がフィンソスと幸せになれるとは思えなかった。

 何度も拒絶したのに、諦めないフィンソスにカルは怒りを覚えた。

 何も知らないから平気でそんなことを口にできるのだ。

 その時、カルはテッサンの言葉を思い出した。

『いっそ全部言ッちまえよ』

 そう、テッサンの言うとおりだ。

 忌まわしい過去のことを話せば、フィンソスは今と同じ言葉など言えるはずがない。

 カルは自分が傷ついた分だけ、フィンソスも傷つけたくなった。

 と、同時にフィンソスの態度も知りたかった。

 受け入れるのか、拒絶するのか。

 フィンソスの気持ちを試してみたい。

「今夜……貴方の部屋に参ります。その時、全てをお話します」

「カルスティーラ…?」

 困惑と驚きが入り交じった表情を浮べるフィンソスを見つめ、カルは一歩後ろに下がる。

「オーク国を出てから何があったのかを、貴方にお教えします。その後でもう一度同じことが言えるのなら、あたしは貴方の申し出を受けます」

「俺を試すのか…?」

 怒りと侮蔑が入り交じった声音で、睨みつけるフィンソスに、カルは悲しげに微笑む。

「……そうですね。フィンソス様が本当にあたしを愛しているのか、それとも父の忠義のために望んでいるのか……確かめたいのです」

「カルスティーラ…俺は」

「これ以上は何もおっしゃらないで下さい。答えはあたしの話が終わってからにして下さい」

 何か言おうとするフィンソスの唇に指を軽く押し当て、カルは悲しげな顔で懇願する。

 フィンソスは怒りを露わにしながら渋々頷くと、唇に当てていたカルの指を自分の手のひらに包む。

「…わかった、君が望むなら」

 ゆっくりとカルの手の甲に軽く口づけすると、決然とした表情でフィンソスは城の方へ去って行く。

 フィンソスの背中を見つめながら、カルは自嘲気味に笑う。

 今夜、自分の運命が決まる。

「どちらに転んでも傷つくのは同じね……」

 同情と憐憫、もしくは嫌悪か激昂されるだろう。

 それを考えると今すぐにでもフィンソスを追いかけて、取り消したいと懇願したかった。

 そうしなかったのは、これ以上苦しみたくなかったらだ。

 自分と、そしてフィンソス自身にも。

 美しかった思い出が崩れ去ってしまうのは何よりも悲しいけれど、これを乗り越えたとき、お互いに新しい一歩を踏み出せるはずだと、カルは強く願わずにはいられなかった。


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