27話
「どうよ、目的は果たせたわけ?」
オーク国の大臣達との打ち合わせが終わり、カルがテッサンを中庭に案内していると、急にテッサンが声を掛けてきた。
しかしカルはルキアのことばかり考えていたため、始めテッサンが何を言ったのかわからなかった。
が、質問の意味が理解できるやいなや、カルは一瞬歩みを止めた。
「どういう意味よ」
再びテッサンに追いつくように歩きながら、カルは不機嫌そうに聞き返す。
「いや、まんまの意味だけど。だって姫さんのためとはいえ、自分からまた戻ってくるなんてさぁ、よっぽどの覚悟がなきゃできないじゃん」
頭の後ろに両手を組みながら、テッサンは気楽そうな口調でカルを見下ろす。
「辛い思いして逃げてきたっていうのに、ここへ来るってことはさぁ、お前じゃなきゃ解決できない事情があるんだろーなって思ったわけ。でなきゃいくら王女付きの侍女とはいえ、お前ならどうとでも断るじゃん。っていうか、姫さんに事情を話せば外してくれると思うし」
言いたいことをぽんぽん言われ、カルは恨めしげな眼差しを送る。
「もうすこし遠回しに聞けないの。ほんっと貴方のそう言うところが腹ただしいのよ。それに……姫様付の侍女にとお願いしたのは私なんだから、自分の勝手な都合でやめるなんてことしないわ。でも……そうね、確かに姫様の付き添い以外の目的もあったわ」
「あった? ってことは目的は達成できたってことだな」
にやりと笑うシュウだが、カルは渋い表情を浮べながらため息を漏らす。
「だいたいはね。まあ…完全に目的を果たすまで、もう少し時間がかかりそう……」
「ほう。さすがのお前でも婚約者の手を振り切るのは難しいみたいだな」
ぎょっとするカルに、シュウはげらげら笑いながら腹を押さえる。
「なーに驚いてるんだよ。俺じゃなくてもわかるさ。謁見室でお前の婚約者を見たんだぜ。えーっと、なんだっけ? 容姿端麗、剣術の腕前も一流、恋多き男性って噂がクローブ国でも流れるんだぜ。しかもお前がその婚約者だってことも俺達は知ってるんだから、わかるのも当然だろ。それに俺の見た感じ、あの男は惚れた女は絶対に諦めないタイプだね。…そうそうとある筋の情報によると、伯爵家の次男坊だろ。ってことは家督を継がなくてもいいんだから、一番の花婿候補じゃん。なんで振っちまうんだよ。他の女ならすぐにでも飛びつくのに、もったいねーな」
「だったら貴方が候補者の一人になれば。喜んでその座をゆずって差し上げるわよ!」
余計なことばかりぺらぺら喋るテッサンに怒りもあらわに、カルは吐き捨てた。
「冗談! 俺は野郎に興味ないの。…なら、なんでしつこく追い回されてるわけ。はっきり断ったんだろ。あの手の男は引き際も心得てるはずだぜ。みじめったらしく女を追いかけ回すほど女に困ってなさそうだがな」
「 義務よ」
「はあっ? なんだよ、それ」
「父の遺言を、フィンソスはそのまま実行しているだけなの。今のあたしには爵位も何もないのに、そのためだけに婚姻をしようとしているだけ。あたしの今後を心配してね」
険しい表情を浮べるカルを横目でちらりと見下ろし、テッサンは苦笑めいたため息を漏らす。
「まあ…わかるような気がする。それが尊敬している人なら、なおさら死に際の言葉を守ろうとするだろうさ」
「そんなの…そんなの勝手だわ! それじゃあたしの意志はどうなるの! 自分のことくらい自分で面倒見られるわ。ここを出てからいろいろ…あった。でもなんとか生きてこられたもの。これからだって誰の手を借りずに生きていけるわ。そうでしょう!」
両手を振わせながら、カルは悲しみ辛さを押し隠した顔で、テッサンを見上げる。
その必死さにテッサンはカルに降りかかった悲惨な出来事を一瞬思い浮かべた。
が、すぐにいつもの陽気な表情に戻り、カルの頭を軽く叩いた。
「けど、一度だって幸せだったわけじゃないだろ」
「!」
「だからお前の親父さんは幸せになってほしくて、そんな遺言を残したんじゃねーの」
「あたし……あたしは幸せだわ。姫様の側にいられるんだもの。それ以外のものなど望まない」
「本当にそう言いきれるのか? 姫さんはもうじきオーク国に嫁ぐんだぜ。そしたら姫さんが頼るのはお前じゃなくて、国王陛下だ。必要とされなくなったお前はどうするんだ。それにお前だってわかってるんだろ。姫さんがお前を幸せにしてくれてたって。一番どん底の辛い時期、誰にも心を開かなかったお前を、すくい上げてくれたのは姫さんだってわかっ」
「わかってるわよ! そんなことを言われなくても。姫様から離れなければならないってわかってるの。けど…その後のことは今は考えたくない…」
「…婚約者の元にいけばいいじゃん」
「父の遺言通りに動いている人間と? 義理で結婚されたって、幸せになれるとは思えないわ。それに……あたしは花嫁として相応しくない」
皮肉げに微笑むカルを、テッサンは違うと言いたかった。
だがそんなことを言ったところで、今のカルは拒絶するだけだ。
だからテッサンは否定も肯定もしなかった。
代わりに、
「だったら、俺のとこに嫁に来るか?」
「な、なんですって!」
仰天するカルを眺めながら、テッサンはにやにや笑いながら先を続けた。
「お前の婚約者ほど爵位は高くはないが、男爵って言う貴族の称号は持ってるし、俺も次男坊だから家督を継がない自由な身の上だぜ。まあ、容姿端麗じゃあないが、剣術の腕前はそれなりに強いし、心配しなくても浮気しないからさ、どうよ俺。けっこうお買い得だと思うけどな」
本気とも冗談とも取れないテッサンの態度に、カルは怒りを通り越して呆れてしまった。
それに本人はモテないと言うが、クローブ国の侍女たちの間ではわりと人気があり、仲のいいカルに嫉妬心を抱いている侍女仲間も何人か知っている。
確かにフィンソスほど美男子ではないが、決して醜いわけでもない。
笑うと少し下がる目尻や柔和な顔立ち、身分にかかわらず誰にでも気さくに振い、気取ったところがないのが主な人気の秘密だ。
だから王妃付きの護衛に選ばれ、商人の長として馴染んでいるわけなのだが…。
知らぬは本人だけね、などと内心嘆息しながら、カルは軽く頭を振る。
「貴方と一緒にいてとても楽しいけど、それだけじゃ駄目。きっと上手くいかないと思うわ」
「それって俺達に足りないのが、情熱ってやつ?」
「まあ…そんなところね。あたし達の関係は他人から見れば恋人同士のように見えるかも知れないけど、お互い恋愛感情なんて持ち合わせてないってわかっているでしょ。それにあたしの身体は汚れてる。そんなあたしがそもそも結婚できるなんて思ってないわ」
諦めたように笑うカルを、テッサンはそっと抱きしめた。
「バッカだな、お前は。それくらい知ってて、嫁に来いっていったんだぜ。俺を見くびるなよ」
優しい声でテッサンはカルの耳元で囁く。
「そしてお前の婚約者もだ。いっそ全部話ちまえよ。それで手のひら返すようにお前から離れてったら、その程度の野郎だったんだって踏ん切りがつくだろう」
「それは…っ」
最後まで言い終える前に、テッサンにきつく抱きしめられ、カルは苦しげな息を漏らす。
「どうせ遅かれ早かれ決着をつけなきゃならないんだ。だったらさっさと済ませた方が、立ち直るのも早くなるかもよ」
テッサンの言葉にカルは、ぎゅっと目蓋を閉じ、苦しげに呟く。
「…もし、立ち直れなかったら? あたし、母様のようになってしまうのが怖いのよ…」
「そしたら俺が拾ってやる。だから何も心配せず、お前自身の考えを吐き出しちまえよ。大丈夫だって、俺が後ろで見守ってやるからさ」
「……わかったわ。ありがとう」
ほっと息をつくと同時に、テッサンはカルから身を引く。
「じゃ、今から告白といきますか」
「はっ?」
困惑するカルに、テッサンはじりじりと後退していく。
「こっちに向かって、もの凄い形相でお前の元婚約者がやってくるから、俺は一足先に王妃さんのとこに戻らせてもらうわ」
カルが慌てて後ろを振り向くと、城から出てきたフィンソスが迷わずこちらに向かってきた。
遠目からだと微笑を浮べている様子で、歩き方も悠然としてるのだが、背後に渦巻くどす黒い殺気が二人に向かって突き刺さってくる。
特にテッサンに対してだが。
「ちょ、ちょっと、さっき後ろで見守っているっていったばかりじゃない! あたしを一人残して行く気!」
すぐさまテッサンを振り返ると、そこには先程までの親しさが拭い去られ、商人としての顔に変わっていたが、口調は変わらない。
「冗談じゃない。笑顔で殺気立つ危ない奴と、関わり合いたくないね。見守るどころか、いきなり剣を突きつけられそうな勢いじゃねーか。理性を失っている野郎と喧嘩するほど、俺は命知らずじゃないねっ」
「裏切り者! 半分は貴方のせいでもあるのよっ。誤解されるような真似をするからじゃない!」
「それはお前が珍しく弱音を吐いたからだろ。仲のいい友人として、慰めるのは当然じゃねーか。それを勝手に嫉妬されるなんて、お前の元婚約者は心が狭いに決まってる」
「何、勝手なこといってるのよ!」
フィンソスがあと数十歩まで近づき、テッサンは極上の笑みを浮べ、恭しく礼をとる。
「それではカル殿。ご依頼の品は近日中にお届け致しますので、今日はこの辺で」
愚痴は後で聞くと、いう意味を込めて話を途中で打ち切り、逃げるようにテッサンは立ち去った。
その後ろ姿に向かってカルは、小声で毒づく。
「覚えてなさいよ、この礼は何倍にもして返してあげるから!」
背後からひしひしと感じる怒りの気配を感じ取りながら、カルはすぐさま反撃できるよう胸を押さえながら深呼吸する。
そして内心の動揺を悟られまいと平静を装い、フィンソスと対峙した。