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眠れる王女と、眠れぬ王子  作者: 八知 美鶴
18/102

18話

 息を殺すように部屋の中に入ると、カルは扉にもたれながら大きく息を吐き出した。

 燭台を近くの台に置き、崩れ落ちるようにその場に座り込むと、堪えていたものが熱い雫となって頬を流れ落ちる。

 嗚咽を堪えるように唇を噛みしめ、自身を抱きしめながらカルは墓地でのことを振り返る。

 あれで良かったのだと、そう何度も頭の中で繰り返すが、心は深い悲しみで涙が止まらなかった。

「何故……あんなことを言うの…忘れてしまいたいのに」

 涙が口の中に入り、塩辛さと鉄の味が混ざり、カルはそっと唇を指で撫でる。

「フィンソス……」

 忘れたと、吹っ切れたと思っていたのに、未だに彼を見ると昔のことが思い浮かぶ。

 無邪気で何も知らず、愛されることの喜びで満たされていたあの頃を。

「けれど…」

 父を失うと同時に全てを失ってしまった。

 そして知ってしまったのだ。

 父が亡くなる間際に、カルに残した言葉を。

 父は私達母娘の行く末を亡くなる直前まで心配していた。

「よいか、私が死んだら、後のことはすべてフィンソスに任せてある。だからお前達は何も心配することはない」

 最初、その言葉は婚約のことだと思っていた。

 しかし父の葬儀後、カイザー伯爵家から婚約破棄の書状が届き、その内容に愕然とした。

 元々二人の婚約は、父のほうから願い出たことで、フィンソスは恩師だった父の頼みを断れず、やむなく引き受けた話だったこと。

 しかし公爵家を追放され、爵位を失った今、伯爵家の花嫁として不釣り合いだと、白紙に戻す旨が書かれていた。

 初めはショックだった。

 だが心のどこかで、納得する部分もあった。

 階級の厳しい貴族社会の中、特にフィンソスの母クレオ伯爵夫人は血筋を重んじる人だった。

 今思えばそんな人が、自分とフィンソスの婚約を認めるわけがなかったのだ。

 流民の血が混じった貴族。

 カルは貴族の子女達の間で、そう囁かれていた。

 北欧民族にはない黒髪に紺碧の瞳は、オークの中でも浮いた存在だった。

 だがそれもそのはず。

 金髪に紫水晶の瞳を持つ父と、南国育ちで黒髪に浅黒い肌と濃紺色の瞳を持つ母の血を引いているからだ。

 出会いはオーク国に興行で訪れていた旅の一座にいた母と恋に落ちた。

 当然周囲の風当たりは強く、公爵家の花嫁として一族の猛反対にあった。

 一度は別れたが、母が妊娠したことを知ると、父は再びオークに母を呼び寄せ、周囲の反対を押し切って結婚した。

 そしてカルが誕生したものの、周囲の目は厳しいままだった。

 それでも表向きは穏やかに時が流れていたが、徐々に母の体調が崩れていった。

 元々自由奔放に生きてきた母が、貴族という社会の中でなじめるわけがなかった。

 しかも親しい友人もおらず、常に周囲の目がまとわりつく環境に、母の精神が耐えられなくなってきた。

 その頃から父も身体の調子が悪くなり、娘の行く末が不安になっのだろう。

 まだ十二に満たないカルに、ある日父はフィンソスを婚約者として紹介した。

 当時カルの父クライズ公爵は騎士団団長を務めており、将来有望なフィンソスを家に招いては、何かと鍛錬指導をしていた。

 そのせいもあってフィンソスとは顔見知りだったし、いつも礼儀正しく優しい眼差しをカルに向けてくれていた。

 周囲から敬遠されていたカルとしては、フィンソスの存在は大きく、しかも婚約者だと聞いて夢見心地の気分だった。

 だが周囲の態度はこれを境に、露骨な嫌がらせをカルに向け始めた。

 特に貴族の女性達からはあからさまな嫌がらせを受けるものの、フィンソスに助けられることもままあった。

 そんなフィンソスにますますカルは惹かれ、そしていつしかフィンソスに頼るようになっていった。

 そんなとき母の体調が悪化し、療養が必要な状態まで追い詰められてしまった。

 やむなく父は母を療養させるために、南国の避暑地に向かわせた。

 付き添いで行くことになったカルは、フィンソスと離れることに不安があり、本音を言えばオークを離れたくはなかった。

 しかし母を一人で行かせることもできず、カルはフィンソスに手紙を送る約束をして出発した。

 そして数週間過ごし、母の容態が少し落ち着いてきた頃、父の訃報が届いた。

 急いでオークへ戻ると、父の顔を見れないまま葬儀は終わっており、公爵家の従兄の誰かが公爵家を継いでいた。

 呆然とする母娘に伯爵家からの書状が届き、全てを知ったのだ。

 最初は信じられなかったがカルは、直接フィンソスに会おうとしたが遠征でオーク国におらず、会うことができなかった。

 それでも諦めきれずカルは手紙を送ったが、返信がないまま母娘は公爵家から放り出された。

 わずかな路銀と食料を渡されて。

 それから母が昔働いていた一座の元に身を寄せたが、前ほど稼ぐことができず、カルが母の代わりに働くようになった。

 それからはあちこちの国で興行に回り、クローブ国にたどり着いた矢先に、母の体調が限界に達してしまった。

 これ以上旅を続けるわけにはいかなくなり、途方に暮れていたカルに、団長が母をクローブ国で療養してはと提案してきた。

 しかしカルには母の面倒を見るだけの金銭がない。

 そこで団長が費用を肩代わりしてくれると申し出てきた。

 その代わりにカルが一座に入り、稼ぐことが条件だと。

 そうするしかないと思いカルは承諾し、一座についていった。

 しかしすぐに嘘だとわかり、カルは母に会うため一座から逃げた。

 捕まりそうになったカルは、その時ルキアの母に助けられたのだ。

 その時どんな交渉があったかは詳しくは知らないが、それなりの大金を払って、カルを引き取ったことだけはわかった。

 その時のカルは辛い境遇での仕打ちに、誰も信じることができず、助けてもらったルキア達ですら心を許すことができなかった。

 だが生き倒れていた母を探しだし、カル共々クローブ国で手厚い看護をうけた。

 そのおかげか、母は安らかに亡くなったと、カルは思っている。

 ただ一つ、憂いの種を残していったが。

「カルスティーラ……お願い。あの人……フォンデルンの側で眠りたい…」

「母様……それは」

「お願い。…たとえ名を消されようとも、私はあの人の妻なの。カルスティーラ……母様の最後の願いを叶えて…」

 命の灯火が消えかけている母を目の前に、カルは嫌とは言えなかった。

 それでもカルは、どうして聞いておきたいことがあった。

「母様は、父様を恨んではいないの? 何よりも自由を愛していた母様を公爵家という檻の中に閉じ込めて、身も心もぼろぼろになって……それなのに!」

「カルスティーラ」

 囁くような声音で諫めると、母は柔らかな笑みを浮かべる。

「確かに貴族の生活は窮屈で、何度も出て行きたかったわ。でもね、貴方やフォンデルンを置いていくなんて、考えたこともないわ」

「…身体を壊してしまっても?」

「ええ。でも…フォンデルンは、私が弱っていくのが耐えられなかったみたい。私は嫌だったけれど、あの人は強引に私を療養させるために屋敷から出したの。…ふふ、貴方を身ごもったときもそうだったけど、あの人は何でも強引に物事を進める人だった。貴方の婚約のことも…」

 その言葉に、カルの表情が強ばる。

「フィンソス殿のことだけど、彼はフォンデルンに頼まれなくても、貴方に婚約を申し込んだと思うの。今は連絡が途絶えてしまったけど、もう少し落ち着いたら…」

「いいえ、母様」

 全てを否定するように、カルは強く頭を振った。

「公爵家を追い出された今、私はフィンソス様に釣り合う身分じゃないわ。それに……私はもう、オーク国に戻りたいとは思わない」

「カルスティーラ」

「母様の約束は守るわ。だけど私……私は」

 涙を堪えながら俯くカルを、母は寝台に引き寄せる。

「ごめんね、カルスティーラ。これ以上は何も言わないわ」

 カルを抱きしめながら、母はあやすように何度も背中をなでる。

「貴方の行く末をずっと見守られたらいいのに……ごめんね、カルスティーラ」

「母様」

 カルは寄り添うように母を抱きしめ返す。

 そしてしばらくして、メルディナは眠るように亡くなった。

 葬儀はメルディナの強い希望で、土葬ではなく火葬で執り行われた。

 遺灰の一部は小袋に収めて、残りはクローブ国の王族が眠る霊廟に今も保管されている。

「これで……約束を果たしたわ、母様」

 目的の一つが果たされ肩の荷が下りたが、まさかフィンソスから婚約の継続を望まれるとは思わなかった。

 だが、たとえ彼が父の約束を果たそうと思っていても周囲、特にクレオ伯爵夫人がそれを許すはずがない。

 どんなにフィンソスが婚約を望んでいても関係ないのだ。

 カイザー家を仕切っているのは、クレオ伯爵夫人なのだから。

 クレオ伯爵夫人が頷かない限り、フォンソスの望みが叶うことはないだろう。

 それに母が亡くなった時に、一人で生きていくと決めたのだ。

 そしてクローブ国でルキア王女付きの侍女になり、病が治るまで側にいると誓った。

 なのにフィンソスに求められ、忘れたはずの感情に、カルは動揺する。

「この気持ちは捨てたはずなのに…。嫌よ、またあんな思いをするのは……もう二度と、傷つきたくない…」

 ぎゅっと強く自分の身体を抱きしめ、カルは過去を振り払うように何度も頭を横にする。

 その時扉越しから気配を感じ、カルは素早く扉から離れる。

 まさかフィンソスが追いかけてきたのではと、目を見開き、緊張と恐怖で扉を凝視する。

 が、躊躇うような扉を叩く音と、気配にルキアだと気づく。

 まだ起きていたことに驚き、カルは慌てて涙をぬぐう。

 いつものように振る舞おうと、息を整えながら扉に近づく。

 しかしルキアが扉を開けることはなく、代わりに床に何かを置く気配がした。

 躊躇っているカルの耳に微かに扉の閉まる音が聞こえ、カルは思わず安堵の息を漏らした。

 それだけ自分が緊張していたことに気づき、カルは軽い罪悪感を覚えながら扉を開ける。

 やはりそこにはルキアの姿はなかったが、なじみ深い香りに、カルはうれしさと同時に申し訳ない気持ちがわき上がる。

「姫様…」

 そっと手を伸ばすと、小ぶりのバスケットにカルの好きなラベンダーとバラ、ジャスミンが入った香り袋が入っていた。

 その匂い袋を手に取り、カルはルキアと出会った頃を思い出した。

 母が亡くなり、自暴自棄になっていた頃、誰も信用できず自分の殻に引きこもっていた。

 そんな自分を姫様や、王妃様、今は国王となったシエル陛下が根気よくカルの心をほどいていった。

 その気持ちに報いるためにカルは、ルキアの侍女になった。

 なのに今もこうして気遣ってくれることが、カルには嬉しくもあり慰めにもなった。

 今も部屋に入らなかったのは、ルキアなりの心遣いなのだろう。

 香り袋を鼻先に当てて香りを嗅ぐと、心が落ち着いてくる。

「ありがとうございます、姫様」

 侍女なのに、姉のように慕ってくれる姫様に、これ以上迷惑はかけられない。

「あたしはクローブ国の侍女。今も、そしてこれからも」

 爵位も何もないあたしにできることは、姫様を守ることだけ。

 香り袋を胸に抱きしめながら、カルは改めて誓った。


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