14話
執務室の中は重厚な調度品と乳白色の壁紙、暖炉には小さな火がゆらゆらと燃えている。
部屋の壁を背に、アルクは黒檀で作られた机の上に置かれた、山積みの書類を、黙々と目を通していた。
内容を確認し判を押し終えてやっと一段落すると、椅子の背もたれに寄りかかりながら、アルクは両手で目頭を押さえる。
「……ふう」
「だいぶお疲れのようですね、陛下。少し休憩でもしたらいかがですか?」
ゆっくりと両手を外し、アルクは声の方に向かって、意地悪な笑みを浮かべる。
「お前が仕事を代わってくれるなら、大歓迎なんだけどな」
「まさかご冗談を。陛下の仕事を手伝うことなど恐れ多くて、とても出来そうにありませんよ。それに今は、別の仕事を仰せつかっておりますので」
優美にお辞儀をし、フィンソスは後ろに隠し持っていたバスケットをアルクの前に掲げる。
布巾をゆっくりと捲ると、暖かいお茶のセットと焼き菓子が入っていた。
「いつから、ムルガの元で働き出したんだ?」
「つい先程…とはいっても、陛下の元にいく途中、偶然のムルガ殿と会いましてね。ちょうど私も陛下のところへ行く途中でしたので、引き受けたんです」
「引き受けた? よっぽど暇なんだな、お前は」
アルクの皮肉に、フィンソスも負けじと嫌な笑みを浮かべる。
「別に引き受けなくても良かったんですよ。ムルガ殿はずいぶんとご立腹な様子で、陛下の元に向かっておられましたし。私個人としては高見の見物でも…などと考えてみたんですけれど、連日連夜仕事で忙殺されている陛下に、これ以上負担がかかるのは哀れだと思って、愚痴を聞きつつ引き受けたのです。なんでも、王女の贈り物に宝石やにドレスではなく、見習い騎士の衣装を渡したみたいですね。おまけに花嫁だというのに、婚礼の衣装の準備やしきたりなどの指示もしていないと、嘆いてもいましたね。そんなムルガ殿を、ここに連れてきた方がよろしかったですかねえ、陛下?」
にやりと笑うフィンソス、をアルクは苦々しい表情で睨みつける。
「……悪かった、感謝している」
「最初からそのように言ってほしいものです。……それはそうと、ムルガ殿から聞いたこと、本当なのですか?」
やや困惑気味に尋ねるフィンソスをちらりと見て、アルクはバスケットを脇によけながら頷く。
「ああ。ルキアが動きやすいものが欲しいと言ってきたから、衣装を用意させたんだが…何か問題でもあるのか?」
平静な顔で尋ねるアルクに、フィンソスは呆れたように片手を額に当てる。
「はぁー…なんだってそんなものを贈ったんですか。動きやすい衣装なら他にもあるでしょう? 侍女服とか……何故よりにもよって騎士見習いの服なんかを…事前に知っていたら渡さないよう止められたのに…。これじゃあムルガ殿でなくても愚痴を言いたくなりますよ。で、それ以外にもドレスや宝石類は贈ったんですか?」
「いや、言われてないから贈ってない」
頭を振りながらそう答えるアルクの肩を掴み、フィンソスは揺さぶって罵倒しそうになった。
その怒りを抑えつつ、フィンソスは引きつった笑みを浮かべながらアルクを諭す。
「いいですか、陛下。いいや、あえてここは従兄として言わせてもらうが、せめて宝飾品もつけて贈ってくれ。他にも美しいドレスをを何着か贈るとか、どうしてそういうことに頭が回らないんだ。見習い服だけなんて……きっと向こうはお前のことを変わり者のケチな国王だと思われてるぞ」
肩を叩きながら、これだから仕事バカは…などと呟くフィンソスの態度に、アルクはむっとした顔で腕を振り払う。
「ケチとは何だ。欲しいとも言っていないのに、贈りつける方が無礼じゃないか。しかも俺はルキアの好みなんて知らないし、知る必要なんてないだろう。そんなことを考えている時間を、滞っている仕事に費やす方が有意義だ」
「私はそうは思わないな。お互いを知るには重要なことだ。たとえ政略結婚といえど、これから生涯を共に過ごすのだから」
「そのことだが…」
眉間にしわを寄せるアルクに、フィンソスは一瞥を向けて黙らせる。
「…謁見室でのことは、聞かなかったことにする。国家間で交わされた約定は、お前の勝手な判断で覆すことは出来ないぞ。もっと国王としての自覚を持て。そんなに嫌なら離縁は出来ないが、側室を迎えればいいだろう。お前なら、誰だって選び放題じゃないか」
冗談半分に言っている口調だが、フィンソスの目は笑っていない。
アルクはフィンソスの言い方にかっとなるが、気を落ち着かせようと強く拳を握りしめる。
「俺は、王族として生まれたからには政略結婚は当然の務めだと思ってる。ルキアが気に入らないわけじゃないが、どうして持病持ちの王女を正室に迎え入れるんだ? 俺だって病を抱えながら政務をしているのも大変で、いつ倒れたっておかしくないのに。お前達は俺の病がルキアとの婚姻で解決すると考えているが、俺はそうは思えない。跡継ぎを残せないまま、お互いの病が悪化したら、直系の血筋は絶えるんだぞ。それともお前が俺の後を継ぐのか、フィンソス」
怒りが入り交じった視線で睨みつけるアルクに、フィンソスはそっと目蓋を伏せる。
「まさか。従兄弟とはいえ、私は傍系の出だ。たとえ周囲が私を担ぎ上げようとしても、母が許さない。代々直系が治めるのがオーク国のしきたりだと、幼少の頃から叩き込まれているからな。アルクが病気だからといって、例外はないだろう」
「だったらなおのこと!」
「だからこそ! クローブ国の王女を迎えたんだ。いくらお前が頑なに拒もうと、決定事項なんだ」
「どう…いうこと…だ?」
「この婚姻はアルクの父上…前国王ルクト様の、遺言だからだ」
無感情なフィンソスの声音に、アルクの顔は青ざめた。
「そこまで父上は……呪いを信じていたのか」
「ええ……。だからこそ、頑なに信じていないお前のために、遺言を残したんだと思う」
「まさか…お前まであのばかげた呪いを、信じているんじゃないだろうな?」
「…信じてなかったよ、お前が不眠病になるまでは」
「……」
確かにアルクは、王位に就くまで不眠病ではなく、健康体だったのだ。
それが父である前国王ルクトが崩御して、アルクが王位に就いた日から不眠病にかかったのだ。
代々忌まわしい呪いが受け継がれてきたことは知っていたが、いざ自分に振るかかると、ショックを隠せなかった。
それから徐々に睡眠時間が減り、眠りたいのに眠れないイライラや頭痛に悩まされるようになった。
無理にでも眠ろうとはしているが、浅く少しの物音でも目が覚めてしまうのだ。
最近は眠ることよりも、目を閉じていることの方が多く、アルクは内心死が近いのではと、そう思わずにはいられなかった。
だがそれは自身の胸の内だけにとどめ、口に出すことは決してないだろう。
「父上はわかっていたんだな、俺がクローブ国の王女を娶ることはないだろうって。だからわざわざ遺言にしてまで残したのか」
「……おそらく」
静かに頷くフィンソスの姿に、アルクは苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべる。
「どうりでおかしいと思ったんだ。病持ち同士の婚姻なんて国を滅ぼしかねないのに、大臣達が推してくるんだから。まあ…なんとなく気づいてたが…そうか、父上が遺言を」
最後の言葉は独り言のように呟くと、アルクはこめかみを押さえながらため息を漏らす。
「フィンソス……少し、一人にしてくれ」
疲れた声音でそう言うと、フィンソスは何も言わず一礼して部屋を退出した。
一人になった執務室で、アルクは仕事をする気になれず、どっと疲れたように椅子の背もたれに身体を預ける。
と、視界の隅にフィンソスが持ってきたバスケットに目がとまる。
「休憩……か」
そう呟き、思いついたのが温室だった。
きっと今頃、ルキアが渡した衣装を着て作業をしているだろう。
その様子を思い浮かべ、思わず笑みがこぼれる。
そうだ、差し入れだと言ってバスケットを持っていけば、きっとルキアも喜ぶだろう。
それに……ルキアに言わなければならないこともある。
話すのは憂うつだが、先延ばしにするのはもっと嫌だった。
ならば、とアルクは席を立つと、執務室を後にした。