13話
衣装に袖を通しながら、ルキアは興奮を隠しきれない様子でカルに催促する。
「早くしないとカル、時間に遅れてしまうわ!」
「でしたらおとなしくしていて下さい。男性用の衣装を着付けるのには、まだ慣れてないんです。まったく、陛下はどうしてこのような衣装を…」
ぶつぶつ文句を言いながらも、カルは手早く身支度を調えていく。
「仕方ないでしょ。カルの小言がうるさいんだもの」
「小言とは失礼な。毎回温室から帰ってくるたびに、衣装に泥や葉っぱをつけ、酷いときには破れて帰ってくるんですから。最初は何事かと思いましたわ!」
目尻をつり上げるカルに、ルキアは顔をしかめる。
「そうやって怒るから、アルクに相談したのよ。そしたらこの衣装を、贈ってくれたのよ。これならカルに怒られないだろうってね」
「だからって男性用の衣類を送るっていうのは、正直どうかと思いますわね。送るにしても、もっと違う物があるでしょうに」
「そう? 別に私は気にしないわ。美しい衣装を送られても、温室の掃除には着ていけないもの」
「いやいやそういう問題ではなくて。動きやすい衣装なら、別に私のような侍女の服でもいいじゃないですか。それをなんで男性物なのか……」
しかも騎士団見習いの、一番小さいサイズをアルクはルキアに贈ったのだ。
とはいえいくら一番サイズが小さい物でも男物なので、カルが何カ所か手直ししたのだが、それでも袖や裾が緩く不格好になる。
急ごしらえなので見た目が悪いのだが、ルキアはいっこうに気にした様子もなかった。
もっと王女として相応しい格好をして欲しいとは思うが、ルキアがあまりにもはしゃぐので、カルは言いづらくなってしまうのだ。
それでもこのままではいけないと、カルは身支度を調えたルキアに向き直る。
「姫様、この衣装を着続けるのはやはり、王女として相応しくないと思うんです。だから一度きちんとした衣装を作るべきです」
「えー、別にいいわよ。この衣装でも困らないし……」
面倒くさそうに顔をしかめるルキアだが、カルは首を横に振る。
「いいえ。姫様はご存じないかと思いますが、オークは階級に厳しい国です。クローブ国のような、臣民が穏やかな気質ではありません。姫様のその姿を見たオーク国の人間は、クローブ国を軽んじる態度をとるかもしれません」
いつもより厳しい発言をするカルに、ルキアは表情を引き締める。
「カルがそこまで言うなら……わかったわ。カルの言うとおり、衣装を作ることにするわ」
「ありがとうございます、姫様。ですが私個人としては、そのような衣装を作らないことをするのが一番だと思いますけどね」
「…またその話」
「ええ、何度でも言いますわ。クローブ国の王女であり、オーク国国王陛下の花嫁でもある姫様が、どうして下働きのような真似をなさるんでしょうね?」
微笑を浮かべながらも、カルの目は笑っていない。
しかも背後から(これは毎回同じだが)怒りのオーラらしきものが漂っているのがわかるだけに、ルキアはいつも尻込みしてしまう。
しかもだんだん態度にも表れ始めているので、ルキアとしては新しい衣装作成で納得してもらいたかった。
とはいえ、カルが納得しないのもわかってはいた。
クローブ国では階級制度が緩かったので、城内の者達の挨拶や交流が普通だったのに対し、オーク国での階級制度による区分がはっきりとされていたからだ。
だからルキアが親しげに声を掛ける様子が、オーク国の者達にとっては奇異に映り、あまり関わろうとはしてこなかった。
それでも何度かルキアが侍女達に挨拶を交わしたが、素っ気ない返事をするだけで、すぐに去って行ってしまう。
最初は歓迎されていないかと思ったが、カルの説明でそれが普通なのだと知り、以来あまり接しないようにしている。
とはいえ、ルキアが王女らしからぬ振る舞いをしているのは徐々に周知に知れ渡り、良くない評判が立っているらしい。
それがカルには我慢ならないことらしく、こうやってルキアの態度を改めさせようと、毎回口にするのだ。
「…カルが言いたいこともわかるわ。王女らしくないって、自覚しているつもりよ。ただ今の私は、クローブにいる頃よりずっと元気だし、そもそも今は春眠病の症状が出てないことがとても嬉しいの」
「それはすごく喜ばしいことですけど…」
「だからお願い、カル。もう少しだけ、好きなようにさせて欲しいの。いつまた春眠病が再発するかわからないんだもの。」
「姫様…」
「元気なうちにいろいろやってみたいのよ、いいでしょう?」
「……だったらなおさら温室の掃除なんて……」
嘆息するカルに、ルキアは悲しげに微笑む。
「だって、クローブでは花粉が春眠病の原因だってことで、花はおろか、一切の植物に触れることさえ出来なかったんだもの」
「だったらなおさら植物に触れるなんて…」
「わかってる……もしかしたらもっと酷い状態になるかもしれない。だけどね、カル。変に思うかもしれないけど、温室で過ごす方がとても落ち着くのよ。クローブにいた頃より頭の中がはっきりして、身体の奥から力が溢れるみたいな感じなの」
不思議でしょう、そう言いながら幸せそうに微笑むルキアの姿を、カルは出会ってから初めて見たような気がした。
いつも心配させまいと微笑んでみせているのではなく、心から今を楽しんでいる姿に、カルはこれ以上水を差すのはやめようと思った。
代わりに春眠病が再発した場合、どんな状態でもすぐに対応できるよう準備をしておこうと心に決めた。
気持ちを切り替えるようにカルは微笑むと、ルキアを鏡の前に立たせる。
「はいっ。男装の麗人ができましたよ、姫様」
鏡に映る男装姿の自分に、違和感を覚えた。
亜麻色の髪を綺麗に一つにまとめているのはいつものことだが、男物の衣装を身につけたルキアは男装の麗人と言うよりは、大人になりきれていない少年の様だと感じた。
「変じゃないかしら?」
「変です」
「カル!」
頬を膨らますルキアを、カルは仕方がないとばかりに肩をすくめる。
「仕方ありませんわ、急ごしらえなんですから。ですけど着付けは間違ってはいませんので、そこは問題ありません。ただ、似合っているかと言われれば、違和感の一言ですわね。それはまあ、着慣れてない上に体型に合っていないんですから」
「それはそうだけど……まあ、新しい衣装ができあがるまでは、これで代用するわ」
「私としては、男装が似合うより、病気が一日でも早く治る方法を見つけることを、切に願うばかりです」
「そうね。私も何か気がついたら言うわ。ただ……」
「ただ?」
あの温室にいると、妙に懐かしい気持ちに囚われる。
そう言おうとして、ルキアは微かに頭を振る。
違う、これは単なる錯覚だわ。
もしくはただの郷愁かもしれない。
まだオークに着いて数日しか経ってないのに、思っていたより精神的に疲れているのかもしれない。
そう思い直すと、ルキアは何事もなかったかのように微笑む。
「…ううん、なんでもない」
言いかけた言葉を飲み込み、ルキアは長衣を身につける。
「それじゃ、行ってくるわね」
「え、ええ…いってらっしゃいませ」
部屋を出て行くルキアを見送り、カルはすっきりしない気持ちのまま、部屋の片付けを始める。
確かに今のルキアの様子を見る限り、病の発作は出ていない。
急激な環境の変化と緊張感が、一時的に病を押さえているのかもしれない。
だがそう長くは続かないことはカルもわかっている。
おそらく緊張が緩めば、発作がぶり返す可能性がある。
その時ルキアの看病に専念するためにも、自身の問題を早急に片付けようと、カルは行動に移し始めた。