表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
眠れる王女と、眠れぬ王子  作者: 八知 美鶴
12/102

12話

 三十分後、ルキアは自分が迷子になったと自覚した。

 曖昧な感覚で自室だと思っていた方向に歩いていたが、どうやら間違っていたらしい。

 最初は衛兵から見つかることに恥ずかしいと考えていたが、今では叱責されてでも構わないから、早く部屋に連れて行って欲しいと探し回る始末。

 けれど捜す衛兵の姿は見あたらず、ルキアは知らず知らず奥へと歩を進めていく。

 明かりが乏しくなりつつある手元の燭台を手に、心細くて長く薄暗い回廊で叫びそうな気持ちになる。

 その時、甘い香りがどこからともなく漂い、ルキアの鼻孔に届く。

 花のような香りだが、ルキアが今まで嗅いだこともないような、濃密なものだった。

(何の香りなのかしら? 探したいけど……でも部屋に戻りたいし…。きっとカルが心配しているかもしれないけど、部屋の帰り道がわからない……)

 あれこれ悩んだ末、ルキアは部屋に帰ることを諦めた。

 代わりに、香りの正体を突き止めることに決める。

 もしかしたら香りの正体を突き止めたら、そこに誰かがいるかもしれない、そんな淡い期待を抱いたのだ。


 微かに漂う甘い香りをたどって回廊を歩き続け、ルキアはようやく目的地に着いた。

「何、これ………」

 それは巨大な半球体をした硝子の建物だった。

 厚いガラスで作られたそれは、室内がどうなってるのかまではわからず、なんとなく植物が植えられている様だった。

 しかも他の建物は雪で覆われているのにもかかわらず、半球体だけは雪が溶けて、地面に少し積もっている程度だった。

「温室……よね、たぶん」

 白い息を吐きながらそっと近づくと、硝子の扉が少し開いており、どうやら香りはそこから流れてきたようだった。

 中に入るのを一瞬ためらったが、意を決して扉を開ける。

 入った途端、暖かい空気と共に多彩な植物と、濃密な花の香りに、ルキアは目を見開く。

「ああ……懐かしい」

 数週間ぶりに見る故郷に似た香りに、涙がこみ上げそうになる。

 ルキアは何度か呼吸を繰り返し、涙を押しとどめると、雑草で半ば埋もれている敷石を探しながら進み始める。

 歩きながら植物を観察すると、クローブ国のものもあったが、書物で見たことしかない、南国の植物が多かった。

 濃い緑色の常緑樹は、棕櫚や椰子の他、葉の細くて固いものや、肉厚で柔らかく葉の大きなもの、濃い緑色と白の縞模様のもある。

 花に関しては多種多様で、ルキアが好きなジャスミンやアイリス、ライラックなどが、雑草と混じって無法状態に伸びている。

 あとは図鑑や、押し花でしか見たことのない、赤、黄色、青や紫の植物が植わっていた。

 しかし温室は立派だが植物の状態を見ていると、かなり前から放置されていると感じた。

 ただ不思議なのは雑草が生え放題な割には、植物がさほど枯れていないことだった。

 とはいえ枯れた葉っぱや植物はいくつかあるが、少し手入れすれば持ち直すものが多かった。

 不思議に思いながらも、ルキアは温室の中を進み続ける。

 と、急に視界が開け、白い大理石でできた大きな寝椅子が置いてあった。

 敷石は休息所で終わっており、寝椅子を中心に大理石の円形の台座が置かれていた。

 その周囲を浅い溝になっており水が流れていたが、今は苔で覆われ、水の流れで生き物のように揺らめいている。

 ところどろこ腐った葉や枝が詰まり、溝から溢れて蛇行している部分もあり、ルキアは何故手入れをしないのか不思議に思った。

 しかし寝椅子だけは、誰かが頻繁に訪れているのか、綺麗に手入れされていた。

 絹の敷布の上には、落ち着いた色合いの大小さまざまなクッションが置かれていた。

 その脇には螺鈿細工が施された木枠で台が硝子板をはめ込んだテーブルがあり、そこには読みかけの本が置いてあった。

「誰か来ているんだわ……」

 ちらりと本の題名を見ると、『花を愛でる方法』とかかれてある。

 園芸の本だろうと思い、ルキアが手に取ろうとしたとき背後で気配がした。

「それに触るな!」

 飛び跳ねるようにルキアは相手を振り返る。

 逆光で顔は見えなかったが、声で誰なのかわかり、ルキアは顔を強ばらせた。

「アルク……様」

「…ルキア王女か」

 苦々しい口調で呟きながら、アルクはルキアに近づく。

 アルクは本を手に取りながら、訝しげにルキアを見つめる。

「どうしてここにいるんだ?」

「その……迷子になってしまって。それで…」

「この温室に、無断で入ってきたのか」

 責めるような口調で言われ、ルキアはむっとした表情で睨みつける。

「無断で入ってきたことは謝ります。ですが、オーク国に温室があるなんてこと、まったく知りませんでした。昨日は陛下から素晴らしいお言葉を頂き、ショックで迷子になるまで部屋にいました。しかも城を案内してもらうには、疲れ切っていてそんな余裕はまったくありませんでした! ましてや貴方がここで読書しているだなんて、知るわけないでしょう!」

 知っていたら絶対に来なかった、そう言いたいのをぐっとこらえ、ルキアは顔をそむけた。

「私、部屋に戻ります」

 気まずい雰囲気に耐えきれず、ルキアは逃げるように早足で歩き出す。

「! 待てっ」

 追いかけるアルクを振り切るように走り出すルキアだが、濡れた大理石に滑り、視線が天井を向く。

「きゃぁ~~!」

 片方の靴が弧を描いて飛んでいき、ルキアは後頭部から勢いよく倒れる。

「危ない!」

 咄嗟にアルクはルキアのウエストを支えたが勢いが止まらず、二人とも倒れてしまう。

「っう!」

「ったぁ~い」

 アルクの胸に倒れるような格好になったルキアは、ゆっくりと瞼を開き、思ったより痛くないことに気づく。

 と、ルキアの下で苦痛に顔を歪め、頭を押さえているアルクの視線に気づき、硬直する。

「……早くどいてもらいたいんだが」

「ご、ごめんなさい!」

 急いで脇に退くと、呻きながらアルクが上半身を起こす。

「だから待てといったのに……顔をどうした?」

 訝しげな眼差しを向けられ、ルキアはフードが外れて泣きはらした顔を見られてしまい、慌てて両手で隠す。

 が、それをアルクは強引に外し、顔をそむけたルキアの顔を凝視する。

「泣いていたのか?」

 疑問と困惑が入り交じった声音に、ルキアはキッと睨みつける。

「そうよ! 何よ、泣いちゃいけないっていうの!」

 丁寧な言葉使いをかなぐり捨て、素に戻ったルキアはアルクの手を振り払おうともがいた。

 それを押さえつけ、ルキアの肩をつかみ、真剣な表情でもう一度問いかける。

「俺のせいなのか?」

「………」

 無言で視線を反らすルキアだが、アルクは肯定と受け取った。

 アルクは躊躇いながら、ルキアの目蓋にゆっくりと指を近づける。

 冷たくて荒れた皮膚の感触にルキアの身体が一瞬強ばるが、優しく触れるアルク態度に、徐々に身体の力が抜けていく。

「……すまない」

 驚きと困惑の入り交じった表情でルキアが見返すと、アルクは疲れたようなため息を漏らす。

「不眠病のせいか……些細なことでも苛ついてしまうんだ。それでよく、フィンソスに怒られる。特に今回は厳しかったな。だから少し一人になりたくてここに来たんだが……やっぱりフィンソスの言うとおりだった。今ルキアの顔を見て、とても後悔している」

「アルク……」

「だけど、あの時言ったことは本当だ。病のためだけに婚姻を結ぶのは反対だ。お互いが不幸になるだけだし、ルキアはまだ若い。他の国へ嫁いだ方が幸せになれる」

「そんな…。あなただってまだ若いわ。ただ…今は病でそうは見えないだけで」

「確かに、年齢で言えば俺は今年二十二になる。フィンソスとは三つ違いだが、病のせいで外見がこんなに変わるなんて、おまえからしたら恐ろしいだろう?」

「そんな、恐ろしいだなんて……」

 ルキアは否定しながら、改めて間近で見るアルクは、たしかに年相応には見えなかった。

 銀髪は艶がなくぱさついているし、生気のない青白い肌はかさついて見え、表情は生彩に欠けており、やつれて見える。

 ただ眼孔だけは鋭く、必死に病と闘っているのか、目の隈だけが濃かった。

 そんなアルクを見て、ルキアは自分だけ苦しんでいるのではないと強く感じた。

 ルキアは居住まいを正すと、真剣な表情でアルクを見つめる。

「だったら今、ここでもう一度やり直しましょう」

「ルキア?」

「私もアルクにきつく言い過ぎたわ、ごめんなさい。だけどそう簡単に婚姻を取り消すことは、アルクでもできないと思うわ。その代わり、一日でも早くお互いの病が治るよう、努力した方がいいと思うの。その方が建設的だし、その間にお互いのことを知っていけばいいと思うの」

「だが……もし治らなかったら婚姻しなければならないんだぞ。それに…」

 口を濁すアルクに、ルキアは手を差し出し微笑む。

「やる前から諦めたくないの。お願い、アルク。私と一緒に病を治す努力をして」

 真摯な眼差しで見つめるルキアを、アルクはじっと見返していたが、少しだけ目尻を緩ませる。

「わかった、お互いのために」

 そう言ってルキアが差し出した手を取ると、アルクは手の甲に口づけをした。

 冷たい唇のせいか、それともアルクが見せた紳士的な振る舞いのせいなのか、ルキアの鼓動が早くなる。

「あ、あの。そろそろ部屋に戻るわ。カルが心配しているから!」

 急いで立ち上がり、ルキアは衣装についた汚れを払うと、逃げるように温室をでようとする。

「ちょっと待て、ルキア。お前、迷子になってここに来たんじゃないのか?」

「あっ…」

 呆然と立ち尽くすルキアに、アルクはやれやれとばかりにため息をつく。

 アルクはゆっくりと立ち上がると、ルキアの腕を軽く掴む。

「俺が部屋まで送ろう」

「そんな! 疲れているのに、なんだか申し訳ないわ」

「気にするな。また迷子になっても困るからな。それに、ルキアを部屋まで送らなかったとフィンソスに知られたら、説教されるに決まってるからな」

「説教って…アルクの部下なのに?」

「あいつは騎士団長だが、俺の従兄でもあるからな」

「えっ。でも、だって…フィンソス殿は…」

 言いよどむルキアに、アルクは唇を歪める。

「フィンソスは王族だが、直系じゃない。何が原因か不明だが、不眠病は王族の中でも直系で、なおかつ次期国王の座に就く者にしかならない奇病なんだよ。もしくは呪い、というべきか」

「呪い…」

「簡単に説明すると、その文献には昔クローブ国の王女と婚姻し、悲劇的な事故が起きて王女が亡くなった。その時王女がオーク国国王を呪い、それから不眠病が始まったと書かれていた。…クローブ国では、そんな話を聞いたことはないか?」

「いいえ、そんな話は初耳だわ…」

 驚くルキアに、アルクも同感だとばかりに肩をすくめる。

「だろうな。シエル殿にも確認したが、そんな記述や資料は見当たらないと言ってきた。まあ、恐らく誰かの悪戯だとは思うが」

「そう…」

 もっと話を聞きたかったが、なんとなく聞いてはいけない雰囲気だったので、ルキアはこれ以上聞くことが出来なかった。

 心の中にしこりを残しながら。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ