最終話
ルキアは祭壇に続く道を歩いていた。
レイールが身につけ、そしてルキアがボロボロにしてしまった花嫁衣装を。
かなりデザインは変わってしまったが、それでも使える生地はお針子達の手によって綺麗に繕われ、足りない部分は新たな生地を使って、刺繍やレースで補修された。
ただしヴェールだけは修復不可能だったため、使える部分だけを加工した結果、背中が隠れる程度までになってしまった。
それでもルキアの顔が隠れるには、十分すぎるほどの長さだった。
代わりに美しく結い上げられた髪には、細やかな銀細工に宝石をちりばめた豪奢なティアラが飾られる。
期待と不安、そして緊張が入り交じった表情はヴェール越しからもかいま見え、気持ちを抑えるためルキアはそっと胸を押さえる。
その様子を微笑ましく見つめながら、カルは白いレースに包まれた花束をルキアに差し出す。
「姫様、これを」
「ええ……ありがとう」
カルから花束を受け取り、ルキアは緊張気味に微笑む。
カルが離れ、扉に向かうのを見ながら、ルキアは花束をそっと顔に近づける。
甘く、優しい香りを放つ白い野薔薇で作られた花束は、ルキアがレクシュに頼んだものだ。
誰もが躊躇うほどこの花は、レイールが生み出した白い花に似ていたが、ルキアはどうしてもこの花を使いたいと頼み込んだのだ。
過酷な環境の中でも、美しく咲く野薔薇の力強さが、これから起こるさまざまなことに対処するための象徴だと感じたから。
そしてもう不吉な花ではないと、みんなに知って欲しかった。
カルの手によってゆっくりと両開きの扉が開かると、厳粛な音色が流れ始める。
ルキアは息を吐き、姿勢を正すと、静かに足を踏み出す。
音色に合わせて歩を進め、祭壇へと近づいていく。
司祭の前でこちらを見つめるアルクの眼差しに、ルキアの表情が自然と綻ぶ。
瞳と同じ青地の開襟に、金と銀の刺繍が入った上着と同色のズボン。
縁取りもおなじく金糸の縫い取りで、腰には儀礼用の剣を携えている。
正装衣の上からは、表地は光沢のある青にオーク国国旗の双頭の鷲の刺繍が施された長衣を身に纏っていた。
まだ少しやつれてはいたが、アルクは幸せな笑みを浮べ、祭壇近くまで来たルキアに向かって手を差し出す。
その手を取り、腕を絡ませると、二人は司祭に向き直る。
祝福の言葉が述べられ、誓いの言葉が済むと指輪の交換のため、ルキアは花束と手袋を脇に控えている女性に渡した。
ルキアはアルクの左手をとると、国の紋章を象った鈍色の光を放つ指輪を、薬指にゆっくりとはめる。
そしてアルクはルキアの左手をとると、指輪を隠すように薬指にはめた。
困惑するルキアに、アルクは笑みを浮かべながら、そっと指輪を見せた。
「これは……!」
息をのみ、ルキアは食い入るように指輪をみつめる。
深紅に白い星を埋め込んだ宝石ーー前にアルクが願をかけていると言っていた石が、指輪に加工されていた。
「アルク……どうして。とても……とても大事にしていたのじゃない」
「いいんだ。もう…願いは叶ったから。病……いや、呪いが解け、ルキアとこうして結ばれることができた。それに願いが叶ったら、する者にこの石を贈ると決めていたんだ」
「アルク……」
薬指にはめられた石を優しく撫で、ルキアは愛しげに微笑む。
「ならば私は、二度と悲劇が繰り返されないよう、この石に願い、そのための努力は惜しまないと誓うわ」
「ああ、俺もだ。誰もが幸せに暮らせる国を作っていくために、手伝ってくれ」
「もちろん。生涯ずっと支えていくわ。」
「ルキア……愛している」
「私も愛しているわ、アルク…」
ゆっくりと互いの目蓋が閉じるように二人の距離は縮まり、唇が重なり合う。
それを合図に神殿の鐘が朗々と国中に響き渡った。
「やっと終わったわ……」
土のついた手を払いながら、目の前の光景に、ルキアは満足げな笑みを浮べた。
いろいろな種類の花々を見回しながら、ルキアはつい最近クローブ国から取り寄せた白薔薇を植えた。
周囲とのバランスを確認し、ルキアは満足げに微笑む。
オーク国では凶華に似ていることから、忌み嫌われていた白薔薇。
クローブでは美しいと好まれている薔薇を植えるまで、いろんな反対があった。
忌まわしい出来事があったがために、拒絶され続けた花。
それを払拭するために、ルキアはレイールのことを公表すべきだとアルクに相談したのだ。
アルクも同じ事を考えており、儀式の件で事実と異なる噂がながれたこともあって、早急に対応すべきだと動いた。
だがその前に同じ当事者でもあるクローブ国と協力して、必要な文献や参考資料をまとめる必要があった。
おそらくこのことはレクシュを通じて、クローブ国国王も知っていると考えていたアルクだが、形式上クローブ国に使者を送った。
もちろんすぐに承諾の返事があり、使いとして寄越されたのはレクシュ達だった。
予想道理の展開に苦笑しつつも、アルクはレクシュを含め、関係者達全てを集め、公表する手はずを整えた。
その頃にはアルクの体調はだいぶ回復していたが、まだ公務をするほどの体力はなかった。
それでも自ら口で公表することが王族としての責務だと、そう言って重臣達を納得させた。
ならば自分も当事者なのだからと、ルキアもアルクの隣に立つことを望んだ。
アルクは最初渋ったが、いろいろあって結局承諾することで落ち着いた。
そして二人は民衆の前に立ち、これまでのことを話した。
だが想像していたより民衆の驚きは少なく、多少の騒ぎはあったものの、比較的落ち着いていた。
恐らくレクシュ達が裏で手を回したのでは、とアルクは内心思っていたが、あえて尋ねはしなかった。
むしろ騒ぎになったのは他国の方で、その対応の方が大変だった。
アルクも体調が許す限りは対応したが、だいたいはフィンソスが代理で立ち、商談や細かい取り決めはレクシュ達アガパンサス商会と相談しながら対処していった。
おかげでアルクはゆっくりと療養でき、体調がだいぶ落ち着いた頃、ルキアを含め重臣達に、婚儀を再度執り行うと宣言した。
あの騒動から国内はだいぶ落ち着き、また交易国との取引はアガパンサス商会のおかげで元の状態に戻りつつあった。
なので、全てが落ち着いたら、中断になってしまった婚儀をやり直したいと、アルクは決めていたのだ。
その話にルキアはとても嬉しかったが、準備の事を考えるとかなり躊躇いがあった。
ただでさえ滞っていた政務で忙しいのに、婚儀の準備まで負担をかけ、また倒れでもしたらと不安なのだ。
そんなルキアを安心させるようにアルクは、婚儀の準備はすべてアガパンサス商会に任せると言ったのだ。
というのも、婚儀をやり直しを考えていたアルクに、レクシュが是非アガパンサス商会でと、申し出てきたのだ。
当然カルも協力すると申し出があり、準備は着々と進んでいった。
とはいえ無惨に壊れた神殿の修復は、すぐに修復できるものではないので、今は使われていない大広間を使うことになった。
それから掃除やら飾り付けが急ピッチで行われ、それと平行でルキアの衣装の修復も進められた。
そして一月後……ルキア達の婚儀が再び執り行われた。
両手にはかつて凶華と呼ばれた花束を持って。
今、こうやって凶華と呼ばれた花は、ルキアの手で温室に植えられた。
いつか国中に、この花が咲き誇るのを願って。
アルクから贈られた指輪に触れながら、そう強く願う。
「……どうかこの花が幸せの象徴になりますように…」
「ああ、そうだな。そのためにも、二度と同じ過ちを犯さないようにしなければな」
「アルク!」
驚いた顔で振り返ると、しっかりとした足取りでアルクが近づいてきた。
だいぶ体力が回復したアルクは、少しずつだが年相応の若々しさを取り戻し始めていた。
それでもまだ青白い顔をしているが、食欲も旺盛ゆえじきに血色もよくなっていくだろう。
今もフィンソスに補助をしてもらいながら、謁見や政務に追われているが、それでも前に比べれば格段に健康になった。
「政務は終わったの?」
「ああ。重要な仕事はほぼ終わったから、しばらくはゆっくりできるだろう」
「あら、あと一つ残っているでしょ? 私達にとって、一番重要な事が」
「もちろん、忘れるわけないだろう。信頼できる臣下であり、大切な従兄殿が、ようやく身を固めるんだからな」
「ええ。私の大切な人が、ようやく幸せになれると思うと、とても嬉しくって……私」
涙ぐみそうになるルキアをアルクは慌てて抱きしめ、優しく背中を撫でる。
「おいおい、泣くにはまだ早いだろ?」
「わかってるんだけど……」
何度も瞬きして涙を押しとどめるルキアに、アルクは苦笑する。
「まったく……。今でさえこんな状態なら、明日はもっと大変なことになりそうだな。頼むから、王妃として恥ずかしくない振る舞いをしてくれよ」
「まあ、ひどい。そんなことを言うなら、周囲に憚ることなく泣いて見せましょうか、陛下?」
「わかった、わかった。俺が悪かったよ。……まったく、カルのことになるとすぐムキになるんだからな」
「当然よ。カルには、誰よりも幸せになってもらいたいの」
カルは一度、フォンデルン家の爵位を剥奪された。
だがアルクとルキアの件での功績で、身分は回復された。
ただし爵位継承権は拒絶されたが、カルもそれでかまわないことで同意したのだ。
今ではカルも貴族の一員として扱われ、来賓として一室と、お付きの侍女を与えられていた。
ただ侍女として仕えてきたのが長かったせいか、未だに侍女を使うことにやや抵抗を感じているようだ。
だがそれもじきに慣れてくるだろう。
「カルには、誰よりも幸せになって欲しい。ずいぶん辛い事が多かったから。……だけどね、アルク。私……少しだけ淋しいと思ってるの。いつも一緒にいたのに、なんだか遠くに行ってしまったような気がして……。もちろん会いたくなったらいつでも会えるけど、だけどお互いの立場があるからそう毎日ってわけにはいかないし……。もちろん、幸せそうなカルを見るのは私も嬉しいけど……。私の我が儘ってわかってるんだけど……」
「そう思うのもわからなくはないが……。カルはルキアとずっと一緒に過ごしていたから、侍女としてではなく姉のような存在として慕っていたんだろう? だからより淋しいと感じるんだろう。だが、これからは俺がルキアの側にずっといる」
肩を抱き寄せながら額に口づけるアルクに、ルキアも身体をすり寄せる。
「私も……貴方の側で支え続けるわ。ずっと……」
式当日、カルがいる控え室に、レクシュとテッサンが訪れた。
参列することができないシエルの代わりに、カルの大好きな木蓮の苗木を持参し、祝辞を伝える。
レクシュはルキアと同じヴェールを贈り、テッサンは装飾の美しい飾り短剣を手渡した。
「ようやく、おさまるところに収まったって感じだな」
「テッサン……あたし」
「おっと。謝るのはまだ早いぜ。あの時は本気だったんだが、あのおっかない騎士さんがお前を見る目つきで、こりゃ無理だってすぐ諦めたんだから、気にするな」
白旗を振るような仕草をするテッサンに、カルに贈ったヴェールを調整していたレクシュが素早く反応する。
「あら、テッサン。あなたカルを狙っていたの? だけどカルとあなたじゃ似すぎてて、恋愛まで発展しないわよ。せいぜい仲のいい兄妹ってとこね。さっさと諦めて正解よ」
「ひっでーな、王妃さん。諦めたとはいえ、多少なりとも俺は傷ついてるんですよー。なのにわざわざ塩を塗り込むような真似、しなくてもいいでしょーが」
「だったら……その傷をすぐに癒す特効薬を、私が与えてあげるわ。ちょうど貴族の中で何人か年頃の女性が……」
「わーっ、それだけは勘弁! 俺はまだそんな気ありませんよーっ。見合いをさせられるくらいなら、塩を塗りつけられる方が何倍もましってもんです」
「あら、テッサン。あなたも身を固めるには十分な年齢だわ。何も貴族の中から、選ばなくてもいいのよ。好きな人と一緒になるのが一番なんだから。他に好きな人がいるなら別だけど、いないなら私がいい娘を紹介してあげるわ。貴方なら引く手あまただもの」
にやりと笑うレクシュに、テッサンは引きつった顔でじりじりと後退る。
「あっ、俺……式場に行く前にちょっと、用事があったの忘れてて……失礼します!」
脱兎のごとく立ち去ったテッサンの様子に、カルとレクシュは同時に笑った。
ひとしきり笑った後、レクシュは感慨深げにカルに微笑む。
「やっとカルも幸せになれるのね。本当に……本当に嬉しいわ」
「王妃様…」
「ずっと申し訳ないと思っていたの。ルキアのことで貴方を縛り付けてしまったから。……本来なら、侍女にかしずかれる立場の人間なのに、貴方の境遇を利用するようにして縛り付けてしまった」
カルの前に膝を折ると、レクシュは深く頭を下げた。
「だから今ここで謝罪させてちょうだい。本当に申し訳なかったわ。そして……今までルキアの側にいてくれてありがとう」
「止めてください、王妃様!」
レクシュの肩に手を置き、カルは立つように促した。
「私、王妃様にはとても感謝しているんです。身も心もぼろぼろだった私を助けてくださり、心を閉ざしていたあたしに姫様が暖かな手を差しのべてくれました。あたしは一度だって、利用されていたなんて思っていません。むしろ……姫様やレクシュ様達に、あたしは救われたんです」
「……ありがとう、カル。いえ、カルスティーラ。そう言ってくれるだけで嬉しいわ。だけど今のルキアが在るのは、貴方が支えてくれたおかげだと言うことを忘れないで。本当にありがとう」
「王妃様…」
「ふふ……話はこれくらいにしましょう。あなたはこれから嫁ぐんですもの。しんみりした気持ちは良くないわね。落ち着いたらシエルに会いに、クローブ国に遊びに来てね。だってあの子……式はクローブ国でやって欲しかったって嘆いていたわよ。そしたら介添え役ができたのに…って悔しがっていたわ」
くすくす笑うレクシュに、カルの頬も緩む。
「まあ! そしたら新婚旅行の時に、立ち寄るとお伝え下さい。私もシエル様にきちんと会って報告したいですから」
「ええ、そうね。伝えておくわ。あの子のことだから絶対、抱えきれないほどの祝い品を用意して待っていると思うから、荷台を空けておくといいわよ」
片眼を閉じて悪戯っぽく微笑み、レクシュは名残惜しげにカルを抱きしめ、退室していった。
少し間をおいてから扉を叩く音に、カルは頬を緩ませながら立ち上がる。
「どうぞ、姫様」
「まあ……どうしてわかったの?」
驚いた表情でルキアが入ってくると、カルは楽しげに微笑んだ。
「だって長年お仕えしてきたんですよ。姫様の足音で、すぐにわかりましたわ」
「そう。……だけど、それも今日で最後になるわね、カル。いえ、カルスティーラと呼んだ方がいいのかしら」
「いいえ、姫様。これかもカルと呼んで下さい。カルスティーラに戻りましたが、姫様にはその呼び名を使って欲しくないんです。なんだか……他人行儀な気がして、悲しい気持ちになりますから」
表情を曇らせるカルの頬に、ルキアの指がそっと触れる。
「わかったわ。いつも通り、カルって呼ぶことにする。その代わり、カルも姫様ではなく、ルキアって呼んでね。もう侍女じゃないんだから」
「あっ……つい、癖で。申し訳ありません、姫……ルキア王妃様」
「肩書きもいらないわ。ただのルキアでいいの」
「ですが……」
「もちろん、公式の場ではしかたないけれど、誰もいないときは名前で呼んでちょうだい。……カルに王妃様ってとっても悲しいわ」
と、あからさまな嘘泣きをするルキアに、カルは呆れた顔でため息をつく。
「……わかりました。ですけど、せめてルキア様と呼ばせて下さい。それくらいは譲歩して下さいますよね?」
「もちろんよ、カル!」
ルキアは満面の笑みを浮べ、勢いよくカルを抱きしめた。
「ル、ルキア様?」
戸惑うカルに構わず、ルキアは強く抱きしめながら囁いた。
「おめでとう、カル。あなたが幸せになれる日を、私はずっと願っていたわ。そしてその願いがとやっと今日叶うのね」
歓喜のあまりくぐもるルキアの声音に、カルの双眸からも涙がにじんできた。
「はい……すべて、ルキア様達のおかげです。言葉では言い尽くせないほど、とても……とても感謝しています」
「感謝だなんて……それなら私だってカルが側にいてくれたから、今の私がいるの。喜びも悲しみもあなたと一緒だったから今、ここにいるの。ありがとう、カル」
「ルキア様……」
カルから身を引き、ルキアは目頭を押さえながら微笑んだ。
「それにもう一つ、願い事が叶ったのよ、私」
「え?」
「やっと、カルが親友だって口に出して言えるんだもの! 今までは、侍女と王女という身分のせいでそんなこと言えなかった。だけど、これからは違うわ。カルは貴族の一員になったのだもの。これからは堂々と大切な友人としてみんなに紹介できるわ」
「ルキア様……私…」
涙ぐむカルを、ルキアは勘違いして悲しげな表情で見返した。
「カル……もしかして嫌……だった…の?」
「いいえ! ……いいえ、違うんです。嬉しいんです。私を親友と言ってくれるなんて……私……これ以上何を言っていいか……」
何度も頭を振り、感極まって泣き出すカルを、ルキアは慌てて止める。
「ああ、カル! お願いだから泣かないで。せっかくの化粧が、台無しになってしまうわ。それに腫れぼったい目で婚儀を行ったら、私がフィンソス殿に怒られてしまうわ」
「すみません……」
涙を丁寧にルキアに拭き取ってもらいながら、カルは謝る。
「私のような者がルキア様から親友だと言ってもらえるなんて、とても光栄です」
「ような、なんてことは言わないで。カルは私にとって生涯の友よ。これからはそれぞれの道を歩んでゆくけれど、離れていても心はずっと一緒よ」
「はい」
二人はそう約束し、ルキアに促されるように、カルはフィンソスが待つ祭壇へと歩き出した。
フィンソス達の婚儀も無事に済み、レイールの一件もほぼ落ち着きをとりはじめた頃、ルキアとアルクは歴代の王族達が眠る霊廟を訪れた。
アルクは周囲を燭台で照らし、その後をルキアは今朝積んだばかりの白薔薇を携えて進む。
ひんやりした霊廟はほとりとカビが混じったような臭いがし、二人の足音だけが響く。
歴代の王族の墓標を進み、一番目立たない場所にたどり着くと、アルクは燭台を掲げ石碑に刻まれた名前を照らす。
「ここだ……」
揺らめく燭台の灯をたよりに、ルキアはそっと呟く。
「第七代オーク国国王、アスター・カレル・ローク。ここに眠る」
墓標の後ろには無骨な石棺が置かれていた。
他の石棺に比べて何の装飾もなく、ところどころ欠けている部分さえ見受けられた。
それが当時の、アスターに対しての扱いがうかがい知れる。
ルキアは悲しげな様子で、そっと石棺の上に白薔薇を置いた。
「レイールが好きな花を持ってきました。……どうか、やすらかにお眠り下さい」
「そして、二度と同じことが繰り返されないよう、私達が子々孫々に伝えていきます」
二人は深く頭を垂れ、しばらく祈り続けた。
それから長い月日が経ち、オーク国王が何代も変わった頃、ある町にふらりと吟遊詩人が立ち寄った。
主要都市の中継地もあってか、いろんな種類の人間が入り交じっている。
吟遊詩人もその一人で、旅費を稼ぐべく大通りの広場で竪琴をかき鳴らす。
するとちらほらと音色に誘われ、ちらほらと人が集まってくる。
周囲を見回しながら、吟遊詩人は気取った声音で集まった人達に声をかける。
これから世にも不思議な物語をお聴かせいたしましょう、と。
周囲を惹きつけるような音色を奏で、一人一人の眼差しを見つめながら、吟遊詩人は美しい声で語り始める。
昔むかし、ガジュロ大陸の東に、緑豊かな王国がありました。そこには春眠病という病にかかった、美しい王女がおりました……。