100話
静寂な雰囲気の中、祭壇へと続く赤い絨毯の上を、レイールは粛々と歩を進める。
ヴェールに隠された顔はやや俯き、ブーケに結ばれたリボンが動きにあわせて微かに揺らめく。
赤い絨毯を舐めるように動く長い裾の衣擦れが、荘厳な音色にかき消される。
人の動く気配を感じてレイールは微かに顔を上げると、穏やかな笑みを浮べたアルクが優雅に腕を差しのばす。
その手を取り、レイールは祭壇の階段を上り、アルクの隣に立つ。
アルクの腕に手を絡ませ、二人は司祭に向き合う。
誓約の言葉が朗々と司祭の口から流れだし、レイールは緊張と興奮で気持ちが高ぶっていた。
もうすぐ彼が手に入ること、そしてやっと自由になれることへの歓喜が、レイールのすべてを満たしていた。
誓いの言葉を交わし、指輪の交換を終えた二人は向かい合う。
少し腰を落とし、ヴェールを上げられながらレイールの表情は喜びで光り輝いていた。
アルクの顔が近づき、それに合わせるようにレイールの目蓋もゆっくりと閉じられていく。
息がかかるほど近づいた時、アルクはレイールだけに聞こえるほどの小声で囁いた。
「愛している、ルキア」
動揺するレイールの唇に、アルクは唇を重ねた。
命の情熱を込めて。
力強く抱きしめられながら、レイールの身体の中にアルクの魂が流れ込んでくる。
その中で大切な彼のカケラを見つけたレイールは、今まで集めたカケラすべてをアルクの中に押し戻す。
と同時にアルクの力が緩み、唇が離れた。
「アスター……」
愛しさを込めて名を呼んだが、レイールの瞳に映ったのはうつろな表情を浮べたアルクだった。
蝋人形のように固まり、硝子のような瞳には愕然とした顔をしたレイールが映った。
「そんな馬鹿な……」
狼狽するレイールはアルクに触れると、アスターの魂と共に、アルクの魂の存在を確認する。
しかもアルクとアスターの魂が上手く融合せず、それが原因で意識が戻らないとレイールは感じた。
「ルキアといい、なんて忌々しいの!」
猛り狂ったように絶叫するレイールの異変に気づいたフィンソスは、複数の警備兵と共に二人に駆け寄る。
「近づかないでっ!」
突然神殿内に突風が吹き荒れ、城内は混乱に陥った。
窓硝子が割れ、恐怖と絶叫が辺りを包み込み、一斉に出口を目指して逃げまどう参列者達。
その流れに逆らいながら、フィンソスはすばやく兵士達に避難命令を下していく。
まるでこのことを予想していたように、兵士達は参列達を誘導していく。
そして自分は迷うことなく、アルク達の元へ駆け寄る。
必死の形相で近づくフィンソスを一瞥し、レイールは生ける屍と化したアルクに艶然と微笑む。
「まだ逆らうなんて、本当にルキアとよく似てること。だけど無駄だわ。そんなことをしても苦しいだけよ。素直にアスターに身体を明け渡してちょうだい。そうすれば、貴方の愛しいルキア共々生かし続けてあげてもいいわ」
アルクの魂をつかみ取ろうと、レイールは再び唇を寄せる。
そんなことはさせないわ!
見えない力によって、レイールは後ろにはじき飛ばされる。
よろめきながら体勢を整えるレイールの目の前に、ルキアはアルクをかばうように前に進み出た。
「もう、貴方の思い通りにはさせないわ、レイール」
その時になって初めて肉体からはじき出されたことに気づいたレイールは、呆然とルキアを見つめる。
だがそれもつかの間、レイールは眦をつり上げ、ルキアを睨みつける。
「お前は私の魂に飲み込まれたはず。私の一部となり意識すら消失したはずなのに……何故いまだに存在することができたの!」
「…確かに私は、一度貴方の魂に飲み込まれたわ。だけどもう一人のあなたの魂と意識を共有することで、私は意識を保つことができたの。だから貴方は、もう私の身体を乗っ取ることはできないわ」
「なるほど……」
睨みつけるルキアだが、レイールは唇を歪め、アルクに視線を向ける。
「別に構わないわ。もう、貴方にようはないもの。だけど…」
まだ何か企んでいると感じたルキアは、アルクを守るように構えた。
「アルクはまだ必要なの。彼の中に、あの人の魂がいるんだもの」
「やめてっ!」
「陛下っ!」
ルキアの絶叫とフィンソスの声が重なりあうと同時に、レイールの力によって二人はアルクからはじき飛ばされた。
フィンソスは壁に激突し、ルキアは何とか堪えたものの、祭壇に強く背中をぶつけその場にうずくまる。
「さあ、アスター……」
「……」
再び最愛の人の名を呼ぶが、アルクの表情は変わらず、レイールは不快げな顔で周囲を見回す。
荒れ狂う風の中で騒然とする人々の恐怖を帯びた悲鳴と、無残に破壊された祭壇。
それを一瞥し、レイールはやさしくアルクを抱きしめる。
「ここで貴方を目覚めさせるには、騒がしすぎるわね。場所を変えましょう、昔、約束を交わした場所へ」
その瞬間、床を突き破って無数の蔦が二人を囲い始める。
場が阿鼻叫喚と化す中、二人の姿は蔦に覆われ見えなくなる。
縦横に伸びた蔦は天井を覆い、急速に白い大輪は花を付け始める。
そして甘くねっとりとした芳香を放つと、あっというまに神殿内に充満した。
むせかえるほどの濃密さに、人々は次々と倒れ始める。
芳香を放ち終えると、雪のように花びらが散り始め、二人を飲み込んだまま蔦は地中に潜ってしまった。
先程と打って変わって静寂の空気に包まれた神殿内で、ルキアは這いつくばった姿勢から何とか起き上がった。
レイールと意識を共有したおかげで、なんとか意識を保っていられたが、アルクは連れ去られてしまった。
「ア……ルク…」
ルキアは祭壇に寄りかかりながらも、なんとか立ち上がろうとするが、力が入らず再び倒れそうになる。
と、手がさしのべられ、ルキアの身体を支える。
「…カ…ル…!」
「大丈夫ですか、姫様」
「…どうしてここに……! いえ、貴方は……セリア?」
カルの瞳に映る誰かの気配を感じ、ルキアは無意識に名を呟く。
驚くルキアに、カルは曖昧な笑みを浮かべる。
「今の私はカルです、姫様。……ですが、セリアの意識も私の中で共有している状態なんです」
「そう、なの。だったら今がどういう状況かわかっているのね」
「はい、一部始終を見ていましたから。やはり……行くんですね」
「ええ……アルクを助けに行かなければ」
カルに支えられながら立ち上がると、ルキアは神殿の出入り口に視線を向ける。
「早く行かないと、取り返しのつかないことになる……」
だが出入り口は倒れた人で埋まり、避けて行くには時間がかかりすぎる。
どうすればここから出られるのか焦っていると、視界の隅で人が動く気配を捕らえる。
「……フィンソス!」
二人は急いで駆け寄り、フィンソスを助けるのに手を貸す。
倒れている警備兵から抜け出すと、フィンソスはルキアの腕を強く掴む。
「陛下は……陛下はどうしました!」
「…連れて行かれたわ…」
「なんてことだ…っ!」
がっくりと項垂れるフィンソスの肩を掴み、ルキアは真剣な顔で答える。
「まだ追いかければ間に合うわ。私にはわかるの、レイールの行き先が。だけど出入り口は人で埋まっていてとても通れそうにないの。フィンソス、どこか他の出口があったら教えて!」
「まだ……間に合う? 本当ですか?」
「ええ。まだレイールと私は繋がっているから、彼女の考えていることがなんとなくわかるの。私が行かなければ、アルクの魂は消えてしまうわ」
「……わかりました。こちらへ」
ふらつきながら立ち上がると、フィンソスはルキアを祭壇の裏に案内する。
そして壁の一画に近づくと、少し色の違う石を押し込む。
すると埃を立てながら壁が半回転した。
「壁にこんな仕掛けが……」
「王家の者だけが知っている脱出用の出口です。……陛下は万が一のことを考え、この祭壇を選んだのです」
「アルク……」
ルキアは強く胸を押さえると、覚悟を決めて中に足を踏み入れる。
その後をカルも続こうとしたが、フィンソスに腕を掴まれる。
「君は駄目だ」
「フィンソス!」
「まだ傷が癒えてないのに、私が行かせると思うのか?」
「私も行かなくてはいけないのよっ。私の中のセリアが…!」
「カル」
抵抗するカルにルキアは振り返り、静かに首を振る。
「カルは後から、フィンソスと一緒に来てちょうだい」
「ですが……!」
「貴方やセリアの気持ちはわかっているわ……だけど、今は一人で行かせて。このまま貴方と一緒に行って、万が一でもアルクに何かあったら私……生きていけない。だから……お願い」
カルの後ろに向かってルキアが声をかけると、同意する気配が伝わってくる。
「……ありがとう、セリア」
そしてカルに視線を移し、ルキアは同意をして欲しい眼差しを向ける。
その視線を受け、ややあって渋々カルは頷く。
「わかりました。……ですが」
そう言ってカルは、ルキアの手を両手でぎゅっと握る。
「姫様……必ず後で追いつきますから。だからっ、それまで絶対に無理をしないで下さい!」
「ええ、わかった」
ルキアもカルの両手に重ねるように、強く握りしめた。
と、周囲が微かにざわめき始め、フィンソスは素早く辺りに視線を向ける。
「皆の意識が戻り始めたようです。この扉の存在に気づかれるのはまずいので閉めます。……ルキア様、どうか陛下をお願い致します。私も必ず追いつきますので」
「ええ、後のことは頼みます」
ルキアが中に入っていくのを確認し、フィンソスは扉を閉める。
参列者の意識が戻り始めた祭壇を見回し、フィンソスは苦々しいため息を漏らす。
「まずは今のこの状況をなんとかしないといけないな……」
「ええ。……外にレクシュ様達が待機しているから、すぐにこちらに向かってくると思うわ」
「……いつ連絡していたんだ?」
「セリアと接触した後から。陛下を連れ去ることも予想していたけれど、ここまで酷い状況になるとは思わなかった。……でも今は早くここをなんとかして、姫様達に追いつかないと」
「……ああ、そうだな」
だが後できっちり話をしてもらうからな。
通り過ぎ際にそう囁くと、フィンソスはすぐに動ける衛兵達に声をかけ、場の収拾を始めた。
その後ろ姿を見ながら、カルは自嘲げに笑った。