来宮誠と中在家秋嵐
案内された先は目と鼻の先の風紀室。
志津先輩は、自分の所属する委員会の部屋であるにも関わらず、丁寧にノックをして「志津です」と名乗った。中から「入れ」という短い応答が返ってくる。
志津先輩は振り返って俺たちにひとつ頷いてみせてから、扉を開いた。
久しぶりに入った風紀室は、以前と同じように清潔感が保たれていた。渋谷千里親衛隊発足の申請をするときに一度来たきりで、かれこれ一年ぶりくらいだが、風紀室の雰囲気は全く変わらない。身が引き締まるような、心地良い緊張感が流れている。
校則を司り、公正公平に生徒を取り締まるこの委員会があるからこそ、学園の風紀は保たれているのだ。
しかし、先日の生徒会長リコールの件で、今の学園は荒れた状態が続いている。風紀委員会も、そろそろ何か対策を打たなければと画策している頃であろう。俺はそこにつけ込む。風紀委員会を味方につけ、この学園の理不尽な状況を打破してやる。
「委員長にお話があるとの生徒が名乗り出たので、連れてきました」
志津先輩に促されて、俺は一歩前に出る。チカはそっと俺の後ろに付き従った。
「連日の書類捌きご苦労さん。あの転入生の暴れっぷりは聞いてるぜ。連日の器物破損に暴力沙汰、大変だったろ、いいんちょ」
委員会の日誌に目を通していたらしい委員長に声をかける。彼はぱたんと日誌を閉じると、眉間を揉みほぐしながらゆっくりと顔を上げた。
短髪がよく似合っている凛々しい顔つき。普段の不敵な笑みは鳴りを潜めているが、それでもやはり何処か不遜な表情。
風紀委員会委員長、中在家秋嵐は「へえ」と小さく感嘆の声を上げながら、俺を見つめた。
「来宮か。てめえ、随分と雰囲気変わったじゃねえの」
「まーな、うちの親衛隊も今や隊員ふたりの弱小親衛隊だから、かわい子ぶってる暇もなくなっちまったっつうわけだよ」
肩を竦めて冗談交じりに言ったが、それでも風紀室の空気は一気に重くなった。チカは悔しげに俯き、志津先輩は黙って目を伏せる。風紀室にいた他の委員たちは、気まずそうに身を縮こませた。
中在家委員長は、ガシガシと頭を髪を掻き回しながら苦々しげな顔をした。
「今回の件、本当に悪いと思ってる。渋谷千里がリコールまで追い込まれた原因の一端は俺らのもんだ」
「ほんとにな。風紀にはがっかりだぜ」
俺は嘲笑を浮かべて吐き捨てた。今度は別の意味で空気が重くなる。志津先輩が心なしか無表情に怒りを湛えて俺たちの間に割って入った。
「お言葉ですが、中在家委員長に非はありません。確かに、渋谷元会長のリコールの阻止はできませんでしたが、それを風紀の責任として問うのは御門違いというものじゃないですか」
「やめろ、玲一」
「ですが」
「渋谷にはリコールされる理由なんてひとつもなかった。濡れ衣だ。それを止められなかったのは、公正さに欠けんだろ。この学園の秩序を守るのはうちら風紀委員会だ。秩序が崩れた責任は俺らにある」
「…………わかりました。中在家がそこまで言うなら」
若干の不満を残しながらも、志津先輩は引き下がった。
だが、勘違いしてもらっては困る。俺は渋谷のリコールについて、お前らのせいだと喚き立てるためにここまで来たわけじゃない。少し反応を試させてもらっただけだ。
上々な反応に満足して、俺の口元には笑みが浮かんだ。
「なるほど、渋谷千里の無実を風紀委員会は認めてるってことでいいんだよな?」
「当然だろ。渋谷以上に潔白な人間なんて、今だかつて見たことがねえ」
きっぱりと言い切ってくれた委員長に、胸の奥がすっとした気がした。俺やチカの他にも、渋谷千里の無実を信じている人がいるということが嬉しかった。それはチカも同じようで、微かに頰を紅潮させている。
「それなら話が早いな。俺たち渋谷千里親衛隊は、先のリコールを撤回して、渋谷を再び会長の座に連れ戻そうと思ってる」
俺が一寸の迷いなくそう言い放った途端、風紀室はざわついた。
「リコールの撤回!?」
「リコールすら前例が少ないっていうのに、その撤回だなんて……」
「今まで一度もなかったぞ、こんなこと」
「ああ!?文句あんならはっきり言えや!」
「ひっ!?」
外野からひそひそと五月蝿いヒラ風紀共を一喝すると、彼らは途端に小さくなった。
「いいか、前例だのどうのって言ってるうちは、何も変わらねえんだよ。この学園の乱れた風紀も、腐った校風もな。わかったか!?それがわかったらしゃっきりしろやこのクソやろ……お、愚か者共が!」
チカからの鋭い視線を感じて途中で言い直したはいいが……なんだこれ、超恥ずかしいな、おい!
「オロカモノ……?」と唖然として呟く委員長から話題を逸らしたくて、こほんと小さく咳払いをして仕切り直す。
「と、とにかくだな。俺とチカは失墜した渋谷千里親衛隊を立て直す。これは渋谷のリコール撤回のための必要事項だろ。だけど、俺たちだけじゃリコール撤回なんて大それたことは成せない。それは目に見えてる」
「まあ、それはそうだろうな」
「だから委員長、あんたたち風紀委員会の力を貸してほしい。風紀の力と権限さえあれば、なんとかなると踏んだんだ」
しっかりと中在家委員長の目を見据える。
チカには協力してほしいと頭を下げたが、今回は頭を下げたりはしない。あくまで俺たちと風紀委員会は対等であるということをわかってもらわなくては困る。
渋谷千里リコールの原因は俺たち親衛隊にもある。正確には、隊員を引き止められなかった隊長の俺に非がある。
だが、それと同時に風紀委員会にも原因はあるのだ。
本来、生徒会役員のリコールには、生徒の三分の二以上の承認、教職員の承認、更に風紀委員長の承認の三つが揃って始めて可決される。
ところが今回、風紀委員長はリコールの承認をしていないにも関わらず、渋谷千里は会長の座から追いやられた。というのも、理事長が自らの権限を行使し、無理矢理リコールを押し通したのだ。
実は理事長は、甥である転校生、大原白兎を溺愛している。
大原白兎は、渋谷を嵌めたあの憎っくき佐瀬紫織の協力者だ。
恐らく大原白兎は自分に甘い理事長を利用したのだ。渋谷千里が嫌いだ、会長を辞めさせろ、と頼み込めば容易いはず。今回のリコールは、大原白兎の力なくしては成し得なかったものだろう。
そういった理由があるものの、結局、自分たちの権利を主張しリコールの阻止を押し切らなかった風紀委員会には、間違いなく非がある。
風紀委員会にはその過失の責任を取って、リコール撤回に協力してもらわねばならない。
目線は逸らさず、ニヤと挑発的に笑って見せる。すると委員長は、それに応えて相好を崩し柔らかく笑った。
「……いいだろう。てめえの心意気、確かに受け取った。渋谷のリコール撤回に協力しよう」
「っしゃ、さんきゅな!」
委員長が差し出してくれた右手を、俺の右手で握り返す。そのとき突然、むぎゅっと、俺に抱きつく人物が。
「うわっ、ち、チカっ?」
「嬉しいです、これで一歩リコール撤回に近づきましたね!流石僕の尊敬する来宮隊長です!」
「うおっ!?ちょ、降ろせって!」
そのまま俺を抱き上げてくるくると回り始めるチカ。止めろ、酔うっつの!つうかその細腕からどんだけの腕力が出てるんだよ!
そんな中、中在家委員長はとても言い辛そうにその話を切り出した。
「喜びに水を差すようで悪いんだがな、ひとつ問題が残っててな」
「なんだって?」
「問題、ですか?」
俺とチカはきょとんと目を見合わせる。
中在家委員長が発したその問題はーー俺もチカも、全く予想だにしないものだった。
「渋谷千里はきっと、会長に戻ることを拒否するだろうな」