来宮誠と志津玲一
「こら貴方たち。そこで何を騒いでいるんです」
とうとうチカと光岡の罵り合いが収拾のつかないまでに発展した頃、冷たい声が俺たちの間を流れる空気を切り裂いた。
声の主に視線を向ければ、そこに立っていたのは清廉な雰囲気を纏う先輩。学校指定の制服をいちぶの隙なく着こなす彼は、俺のお目当てである風紀委員会のひとりで、更に言えば委員たちをまとめる立場の人だ。
「志津先輩……」
「風紀副委員長だ」
野次馬の中からちらほらとそんな声が聞こえた。
俺は事態がややこしくなる前に、チカと光岡の前に立ち塞がった。
「よう志津先輩。とりま、親衛隊同士のいざこざとかじゃないから見逃してくれね?ただの個人的痴情の縺れだからさ」
「なっ……ちっ、痴情の縺れ……!?」
光岡がまたキャンキャンと吠えかかってくるのを片手で制する。ここでまた口論になったら、今度こそ風紀の事情聴取が始まってしまう。
一方志津先輩は、粗雑な口ぶりの俺を凝視した。
「……貴方、本物の来宮くんですか」
「おーともよ」
「信じがたいですね。何か裏があるような気はしていましたが、ここまで豹変するとは……本当は中身が他の誰かと入れ替わってるのでは?」
「どんなファンタジーだよ。そんなに信じられないなら証拠があるぜ。俺しか知らない志津先輩の秘密。志津先輩は風紀委員長がむぐっ!?」
「よろしい、納得しました。貴方は確かに来宮くんです」
志津先輩の細い手が、物凄い力で俺の口を塞ぐ。どうやら、よほど広まってほしくないことらしい。とは言っても、志津先輩の表情は能面の如くピクリとも動かないため、その真意は測りかねる。
まあ、色恋について人にあれこれ言われるのは嫌で当然か。俺だってやだしな。
ましてや風紀副委員長の志津玲一が、風紀委員長を好いているなんて、何処かに漏れてみろ。新聞部にすっぱ抜かれてゴシップ記事が校内中にばら撒かれることになってしまう。
ちなみに俺がこの秘密を知っているのはただの偶然で、たまたま休日に校舎の中庭で「スキ、キライ、スキ、キライ……」と花占いをする志津先輩を目撃したからである。クールビューティーならぬブリザードビューティーの通り名で有名な無表情副委員長志津玲一だが、中身は乙女なのだ。
「ところで貴方たち、こんなところで何をしているんです。風紀室の目の前で大口論だなんて、風紀に喧嘩を売ってると取ってもいいんですかね」
やっと解放してくれた志津先輩は、俺の口を塞いでいた手をパンパンと払いながらそう言った。汚いものを触った後みたいな対応はやめてほしい、ちょっと傷つくから。
「喧嘩なんてそんなまさか。俺は風紀にお願いがあって来たんだよ」
「お願い……頼みごとがある、と」
「そっ。とりあえず中入れてくれねえ?」
片目を瞑りつつ小首を傾げる。ぶりっ子仕草は練習したのでかなり得意だ。
志津先輩は一瞬の逡巡の後、小さく頷いて踵を返した。
「付いてきてください」
それだけ告げて、さっさと歩き始める志津先輩。
俺は斜め後ろのチカに手招きをする。
「だってよ。行こうぜチカ」
チカを取られたとでも思ったのか、また光岡が睨んできた。だがこればかりは仕方がない。俺は崩壊寸前の渋谷千里親衛隊を牽引することで精一杯で、そのためにはチカの存在は必要不可欠だ。人の色恋沙汰に気を遣う暇はない。そもそも俺は、気を遣うのも遣われるのも好きじゃない。
タタッとこちらに駆け寄ってくるチカを確認してから、俺は志津先輩に続いた。