来宮誠と光岡涼
そもそも俺が渋谷千里を再び会長に据えたいと思うのは、決して恋愛感情からなどではない。
勿論親衛隊には、渋谷千里に好意を持って入隊する者も多くいた。だが、それと同時に純粋な尊敬の念から親衛隊に入る者も多い。ちなみに、チカこと関春親は後者だ。
俺もどちらかと言うと後者に近い。近いのだが、はっきりそうとは言い切れない。
自己分析の結果、恐らく来宮誠という人間は主人を求めているのだろう。
主人といっても、ただ自分を支配するだけ存在では満足できない。絶対的なカリスマと実力を併せ持つ主人。そんな人のいちばん側にいて、その人のために力を尽くすこと。それが俺のしたいことなのだ。
自分で言っちゃなんだが俺はとても頭がいい。
成績云々の話をしているのではなく、策を弄すのが得意という話である。
俺は、そんな自分が持つ能力を最大限に生かしてくれる最高の主人を欲しているのだ。それがまさに、渋谷千里その人だったというわけだ。
つまり、俺がリコール撤回を目指して行動しているのは渋谷千里のためではなく、自分のためだということだ。
俺は人のために必死になれるような崇高な人間ではない。
「んんん……なんか難しい話ですね、それ。要するに来宮隊長は、お嫁に行ったらとことん亭主に尽くすタイプってことですか?」
「お前、俺がお嫁をもらう側だってことちゃんとわかってんの?」
尋ねられたので長々と自分の心境を語ってみた。しかしチカから返ってきたのは、素っ頓狂な例え話。つくづく思うが、こいつは天然バカだ。
俺と天然バカ……ではなくチカこと関春親は現在、校内を闊歩していた。渋谷千里のリコールから既に三日経っている。行き交う生徒たちは、リコールされた渋谷千里の親衛隊隊長と副隊長である俺たちを奇異の目で見ていた。
あれ、渋谷千里の親衛隊じゃん。
うわー、あいつらも渋谷のセフレなんじゃね?
生徒たちから送られる、下卑た嘲笑と軽蔑の視線。だが俺とチカは、気にせずに堂々と廊下の真ん中を歩いた。
ここで小さくなってはいけない。潔白を主張したいなら、何一つ疚しいことはないというその意志を行動で示すべきだ。だから俺たちは、何を言われても意に介したりはしない。
「ところで隊長、なんで風紀に会いに行こうなんて思ったんですか?」
ふとした疑問をチカがぶつけてきた。
ナイスタイミングだ、チカ。俺はそれを好機とばかりに、わざと大きな声で回答した。
「当たり前だろ、風紀がいちばんの協力者になると踏んだからだよ。風紀委員長は誰にでも公平な人だからな。今まで生徒のために必死で働いてきたのに、恩を仇で返されリコールされた渋谷のためなら、色々助けてくれるだろ」
恩を仇で返され、を特に強調した。途端に周囲の生徒たちは面白いくらい反応する。ばつが悪そうに目を反らす奴もいれば、より一層悪口を囁きあう奴もいる。
チカは俺の心情を察したらしく、この話題に乗ってくれた。
「なるほど、風紀委員になる条件は平等性ですもんね。風紀の皆さんなら噂に踊らされずにきちんと真実を見てくれそうです」
「そゆことそゆこと」
「そこまで考えが回るなんて、流石来宮隊長です!」
「いやそんな褒めんなって」
「腹が立つ」
え。と、一瞬固まって、俺とチカは顔を見合わせた。アイコンタクトでチカに尋ねる。お前今、腹が立つって言った?チカは無言で首を横に振った。
じゃあ一体誰だ今の。訝しんで辺りを見回せば、背後に仁王立ちする生徒がひとり。小柄な男子生徒だ。可愛い顔立ちだが、憎々しげにこちらを睨んでいるせいか、きつい印象を受ける。
「……なんか見たことある顔だな、こいつ」
声を潜めてチカに耳打ちすると、信じられないとでも言いたげな表情をされた。
「いつも親衛隊合同会議で顔を合わせてたじゃないですか。佐瀬副会長のとこの光岡涼隊長ですよ」
「もう副会長じゃなくて会長だけどね」
チカの囁きは聞こえていたらしい、光岡は顔を歪ませて嗤った。そういえば親衛隊合同会議のときも、こういう嫌な奴がいた。だがいかんせん、キャンキャンと吠える甲高い声ばかりが先行して、あまり顔を直視していなかった。いつも睨まれていたし、わざわざ目を合わせる理由もなかった。
でもなるほどな、確かにあの嫌味ったらしい佐瀬の親衛隊っていう雰囲気はしてる。イヤミーな佐瀬の隊長はやっぱりイヤミーっつうわけだ。ふたりでイヤミーズでも結成してやがれ。
「ほんと腹立つな君たちは。ていうか、よく胸を張って校舎を歩けるよね。流石渋谷千里親衛隊の隊長さんと副隊長さんだ、よほど図太い神経をしてるらしい」
光岡の笑みは、明らかな揶揄の色を含んでいる。
俺の眉間に皺が寄っているのが、自分でもわかった。俺は何を言われても傷ついたりしないから、別にいい。神経が図太いっていうのは事実だ。
でも、チカを馬鹿にされるのは我慢ならない。チカを親衛隊に引き止めたのは俺だ。この親衛隊に在籍することでチカが蔑まれるのを、俺は絶対に許さない。
「それにしても来宮、その汚い言葉遣いは何?今までぶりっ子して僕たちを騙してたんだ?」
調子に乗った光岡が更に挑発を重ねてくる。反論しようと口を開きかけたそのとき、チカが俺を庇うように前に立った。
「はあ?僕だけじゃなく来宮隊長まで貶めるなんてどういうつもり?いくら涼でも許さないよ」
「え」
光岡に負けず劣らず冷たい目をするチカに俺はぎょっとする。こんな冷蔑な目のチカを、俺は未だかつて見たことがない。
俺も猫を被って性格を偽っていたたちだが、チカの方も結構分厚い皮を被ってるような気がしてならない。
そうこうしているうちに、ふたりの口論はどんどん白熱していってしまう。
「ふんっ、なんでそんな奴庇ってるのやら。どうせ来宮誠なんて、渋谷千里に尻尾振ってるビッチ隊長なんじゃないの?」
「ふざけるなよ。来宮隊長はそんな汚れた人じゃないっ、童貞処女だ!」
うん、チカ。庇ってくれてありがとう。
ただ気になるのは、処女はともかくとして、俺が童貞であることをなんで知ってるかってとこだな。
すると光岡は、白い肌をみるみる真っ赤に染め上げ、般若の形相で俺を睨みつけた。……え、なんでこのタイミングで俺が睨まれてんの。
「なっ……なんなの!どうして春親はこんな奴の肩ばっかり持つの!」
「来宮隊長をこんな奴呼ばわりするな!」
「ほらまた、来宮来宮ってそいつのことばっかり!僕の方が、僕の方が春親のことっ……!」
「何意味わかんないこと言ってるんだよ、来宮隊長が大切なのは当然だろう!?」
「もうっ……!春親のばーかばーか!」
「はあ!?涼のあほ!あんぽんたん!」
どういう状況、これ。
幼稚な口論を繰り広げるふたりに挟まれている俺。
とりあえず、意外にもチカは人の好意に気づけない鈍感ちゃんだということはわかった。
「来宮隊長!隊長からもこの阿呆に何か言ってくださいっ」
チカが頰を膨らませて光岡を指差す。
何か言えといわれても、俺はどうしたらいいのやら……
「えーっと……お前ら仲いいのな」
「良くないです!」「誰がこいつなんかと!」
見事に同じタイミングで激しい否定をもらってしまった。
後にチカと光岡が従兄弟同士であるということを聞くまで、俺はふたりの気安い仲の理由に困惑し続けることとなる。