来宮誠と関春親
「来宮隊長、こんちには!」
放課後になると、この渋谷千里親衛隊会議室には、次々と隊員の面々が現れる。校内随一の隊員数を誇る渋谷千里親衛隊の会議室に、人が集まらない日はほぼないと言える。
「今日の会長様、とってもかっこよかったですよね!」
「ほんとほんと、僕興奮しすぎて失神しかけたもん」
無邪気に笑いあう隊員たちは、皆可愛らしい容姿をしている。元から背が小さいとか女顔とか、そういう要因が愛らしさを演出させている場合もあるが、そればかりが理由とは言えない。
ここにいる者たちは、皆一様に努力をしているのだ。可愛らしくなれるような努力。全ては、渋谷千里によく思われたい、親しくなりたいという恋心や尊敬の念から成っている。
かくいう俺、来宮誠もそのひとり。
「僕たちの渋谷様だもん、かっこいいのは当然だよ」
悪戯っぽく笑って、隊員の言葉に同意した。
俺も可愛くなる努力を惜しまなかった。親衛隊の隊長になるためには、隊員に認められないことには始まらない。もし隊長の手腕や所作、美醜が自分より劣っていると判断したのなら、彼らは不満を行動で示す。統率の取れない隊長は、やがて隊長から降ろされる。
俺はそうならないために、自分を偽ってでも隊長の座にしがみついた。
「そうだ!来週のお茶会、渋谷様もお誘いしてみよっか?」
俺の提案に、隊員たちはより一層目を輝かせた。
「ほんとですか!?」
「やったあ!来宮隊長直々のお誘いなら、きっと会長様も来てくださるよね!」
隊員はいい子たちばかりだった。勿論、問題が全くなかったというわけではないが、他の親衛隊に比べれば、渋谷千里親衛隊は統率の取れている方だったと思う。
渋谷千里はそれに満足し、俺の隊長としての能力を買ってくれた。それが俺にとっては、何よりの喜びだったのだ。
俺は渋谷千里に魅入られた。恋とか愛とか、そんな生易しいものじゃない。渋谷千里こそが会長に相応しい、彼がこの学園の王として君臨するその手助けをしたい、彼の力になりたい。そう思って隊長という役職に就いたのだ。
――それだってのに、人生ってのはそう上手くいかないもんだよな。
「はぁあああ……」
俺の深すぎる溜息が会議室に響いた。
本来だったら、俺の溜息がこんなに響くことはない。隊員たちがたくさん集まるので、音が吸収されるのだ。人が多い空間では、音は響きにくい。
俺の溜息が響いてしまった。それはつまり、この会議室に人が少ないことを意味する。
「つーか少ないどころじゃねえだろ、これ」
「え?隊長、なんて言いました?」
「んー?なんでもねー、ひとりごとー」
ふたり。
俺こと、渋谷千里親衛隊隊長、来宮誠。
そして、すぐそこで会議用ホワイトボードに落書きをしている、渋谷千里親衛隊副隊長、関春親。通称チカ。
俺とチカの、ふたりだけだ。それは、この会議室にいる人数を数えているのではない。
ふたり。それは、現在渋谷千里親衛隊に所属する隊員の数を表していた。
「あーもうっ!まじなんなんだよクソだなおい!」
「うわっ、今度はなんですか隊長?またひとりごとですか?ていうかひとりごとにしちゃ声が大きすぎないですか?」
「うるせーよ、俺は今この学園のクソみたいな状況を嘆いてんだよ」
「隊長、確かに渋谷様にあらぬ罪を着せて生徒会から追い出したここの生徒はマジ阿呆共ばっかりですけど、クソクソ連呼するのはやめてください。下品です」
「ああ?クソをクソ以外なんて言葉で表せばいいっつうんだよ」
「ほらまた言った!」
お花やらハートやらファンシーな絵を描いていたチカは突如、ギッと眉を吊り上げてつかつかと俺に詰め寄ってきた。普段からほわほわとした美人癒し系だったチカの顰めっ面なんて、中々見る機会がなかったので、思わずたじろぐ。
「な、何怒ってんのチカ」
「そりゃあ怒りますよ。僕はもちろん渋谷様を尊敬しているからこの親衛隊に入りました。でもね、それと同時に貴方も尊敬していたんです!」
「お、俺?」
「そうですっ!」
チカはドンッと会議室の机に拳を叩きつけた。そこにはいつもの、「来宮隊長、糸くずがついてますよ?えへ、僕に取らせてくださいっ」とマイナスイオンを発していたエンジェルチカちゃんの姿は見る影もなかった。つうか、天使よりか夜叉だろ。
「来宮隊長の尊敬すべき点なら、いくつでも挙げられますっ。例えば、百人近くにものぼる隊員たちを取り仕切るその敏腕!」
「今は俺とお前しか隊員いないけどな」
「隊員たちを常に気遣うその優しさ!」
「気遣いのひとつでもできなきゃ隊長の座から引きずり降ろされるだろ」
「そして!その誰もが羨み憧れる可愛らしさ!」
「猫被ってただけだけどな……」
自分で言うのもなんだが、確かに俺は可愛い。だがそれは見た目の話であって、その生態はお世辞にも可愛いものとは言いがたい。
例えば、猫を被っていた頃のプロフィールを紹介しよう。好きな食べ物チョコレート、嫌いな食べ物辛いもの。趣味は手芸で、得意科目は家庭科。
実際のところは、好きな食べ物スルメイカ、嫌いな食べ物甘いもの全般。趣味は日向で昼寝することで、得意科目は体育といったところだ。
ぶっちゃけ、スルメイカを好む自分を「なんかオヤジくさいな……」と思ったことすらある。
その旨を伝えた途端、チカは脱力のあまり、へなへなと座り込んでしまった。
「ああ、僕が憧れていた可愛くて優しい来宮隊長は一体何処に行ってしまったんですか……」
「いや、ここにいるけど」
「やめてください!僕の可愛い来宮隊長は、貴方みたいにガサツじゃないし、クソなんて言葉使いません!」
「うわっ、やめろ揺さぶんな!」
座り込んだかと思えば再び俺を飛びついてきて、肩を掴みぐわんぐわんと揺さぶってくる。さきほどからチカはずっとこんな調子だ。よほど俺の『猿芝居・なんちゃってチワワ親衛隊長』に傾倒していたらしい。
このままでは埒があかない。それに、ここでチカに見限られて親衛隊を辞めてしまわれては困る。俺の目標は渋谷千里を再び会長にすること。味方は多いに越したことはない。
「わかったわかったチカ、じゃあクソは使わないって約束する」
「当然です!これからはクソの代わりに『愚か者!』って言ってください!」
「どんなキャラだよ!?おいお前、ちょっと落ち着け深呼吸しろっ、ひっひっふー」
「それお産のやつでしょ!ああ、昔の貴方がそれをやったら、僕の子産んでるみたいだ……とかちょっと興奮できたのに!今やられてもスケベオヤジにしか見えない!」
「何言ってんのお前!?もうだから落ち着けってば!」
俺たちの怒鳴りあいのやり取りは、その後五分間絶え間なく続いた。
互いに叫びすぎたせいで、ぜいぜいと肩で息をしている中、俺は疲労困憊で話を切り出した。
「あの……そろそろしゃべって、いいか……?」
「……はい、どうぞ……」
とりあえず俺たちは、ひとつの机を挟み、向かい合わせに着席した。
俺は一度深呼吸して息を整えてから、チカを見据えた。
「……とりあえずだな、これが本当の俺だ。今までの『可愛い来宮隊長』ってのは、全部俺の演技で、ニセモノなんだ。まずそこんとこ理解してくれ」
「……はい」
「今まで騙してて悪かったな。でも俺、こんなガサツな性格だから、演技でもしないと隊長になれないと思ったんだ。どうしても渋谷千里の隊長になりたかったからさ」
「あの、それはわかります。渋谷様のお力になりたいっていう思いは、僕も同じですから」
力強く頷いてくれたチカが可愛らしくて、自然と笑みが零れた。
「ありがとな。なんつうか、お前の理想の来宮隊長をぶち壊しちまって、ごめん」
「あっ、いえ!謝らないでください!」
俺が急に頭を下げたせいで、チカは動揺して立ち上がった。次いでごんっという鈍い衝撃音。足をぶつけたらしく、チカの小さな唸り声が聞こえた。
しかし、俺には頭を下げる必要があった。謝罪の意味と、お願いの意味を込めて。
「それとチカ、お前に頼みがあるんだ」
「頼み……ですか?」
「親衛隊を、辞めないでいてほしい」
「え?」
チカの虚をつかれた声。まるで予想だにしなかった、という声だ。
俺は更に深く頭を下げる。
「あの転入生が来て役員が仕事を放棄し始めてから、妙な噂が流れた。渋谷千里が生徒会室にセフレを連れ込んで職務怠慢してるってな。俺もチカも信じなかったよな。会長はそんなことしないって、仕事放棄してんのは副会長たちの方だって主張した」
「……はい、そうでしたね」
返事の語尾が微かに震えていた。チカも、あのときの悔しさを今なお鮮明に覚えているのだ。
渋谷千里会長は、自分の仕事に対して誠実に向き合う人間だ。
その主張に、最初は多くの人が賛同してくれた。だけどいつからか、噂を払拭しようと躍起になっている俺たちを白い目で見る生徒が出てきた。
「段々、生徒たちは会長を疑い始めた。気づいたら親衛隊は二十人減っちまってた」
チカは何も言わない。ゆっくりと顔を上げると、チカはただ目を伏せていた。
「一週間経ったら十人が辞めていった。会長様を信じきることができない、ってさ。ははっ、意味わかんねえよ。渋谷の職務怠慢を自分の目で見たわけでもないのに信じられないだと?それでも渋谷の親衛隊かっての。結局根も葉もない噂に踊らされてるだけだろ」
俺がいけなかったのかと後悔した。
俺の隊長としての手腕が不足していたがために、隊員たちは脱退していったのだと思った。
やがて、渋谷千里に苛立つようになった。
なんで弁解しないんだよ。なんで噂は間違いだって言わないんだよ。なんで何も言わないで副会長たちの仕事肩代わりしたりしてんだよ!
「それで、昨日の集会で渋谷がリコールされて……とうとう隊員はみんなして脱退していった」
うちの親衛隊はもっと固い団結で結ばれているものだと思っていた。それが蓋を開けてみればどうだろう。佐瀬副会長と、ある日突然やってきた転入生に見事に引っ掻き回され、こんなに散り散りになってしまった。
「けど、お前だけは残ってくれただろ、チカ。俺はなんとしてでも渋谷を会長に戻したい。この学園の会長は渋谷以外にありえないと思うんだ。頼む、渋谷のリコール撤回に協力してくれねえか」
「――当然です。僕は渋谷様の潔白を疑いません。それに万が一、渋谷様が本当に職務を放棄されていたとしても……」
チカの大きな目が俺を見据えた。その目に宿るのは、強い意志。
次の瞬間、チカは花が咲いたように愛らしく顔を綻ばせた。
「僕は貴方をひとりにしません、来宮隊長」
「……チカ」
「来宮隊長は渋谷様が会長を務める手助けをしたいなら、僕は来宮隊長が親衛隊長を務める手助けをしたい。僕は貴方の右腕、親衛隊副隊長です」
「俺をまだ、隊長として認めてくれんの?」
「どうしてそんなこと聞くんですか?」
「だって俺、理想の隊長からは程遠いだろ。口は悪いし、ガサツだし、本当は女子力ないし」
「隊長になるには女子力が必要なんですか?」
「必須条件だろ」
当然とばかりに頷くと、チカは声を立てて笑った。
「女子力がなくても、僕にとっての隊長は来宮隊長以外にいませんよ」
そう言って微笑むチカは、可愛いというよりはかっこいいと表現する方が正しいだろう。
つうか、やばいだろチカ。かっこよすぎ。あれ、なんか目頭が熱いような。
「……って、え?た、隊長っ?どうしていきなり泣いてっ!?」
「ううっ……うっせえな!お前がかっこいいのがいけねえんだろ畜生!」
「か、かっこいい?ありがとうございます」
「褒めてねえよこの野郎!くそっ、俺こんな涙もろかったっけ」
「あ、今クソって言った!ダメじゃないですか、愚か者って言わないと!」
「このタイミングで愚か者は明らかおかしいだろうが!」
――ああ。
渋谷千里を会長に据えそれを支えることが、俺にとっての喜びだとしたら。
チカっていう副隊長がいてくれたことが、俺にとっての幸いなんだということを、今更思い知らされたよ。
ふたりっきりの会議室で馬鹿みたいに止まらない涙を拭ったこの日、来宮誠と関春親の反逆の火蓋が切って落とされた。