渋谷千里をリコールします。
広い第一体育館には全校生徒が集結していた。
彼らは皆、ステージの上を食い入るように見つめている。ある者は歓声を上げながら。またある者は怒声を上げながら。またまたある者は、不安げに囁き合いながら。
集会中の体育館は、まさに混乱の渦中であった。俺はその様子をいちばん後方でぼんやりと見つめていた。
ああ、どうしてこうなってしまったのか。
「――皆さん、お静かに」
キイィィンという不快なノイズ音と共に、佐瀬副会長の声がマイク越しで響いた。副会長の勝ち誇った笑みが、俺の心をざわめかせる。
「この度の渋谷千里生徒会長不信任案は、全校生徒三分の二以上の賛成により、可決されました」
いつの間にか、拳を握り締めていたらしい。あまりに力みすぎて、爪を立てた掌が血で滲んでいた。
「よって渋谷千里生徒会長をリコールします。後任はこの僕、副会長佐瀬紫織が務めさせていただきます」
副会長の……いや、もう違ったか。佐瀬“会長”のその宣言に、生徒たちはわあっと大いに湧いた。次いでちらほらと混じる、元会長への罵声。
「早く出て行け渋谷千里!」
「仕事放棄してセフレ連れ込むなんて最低!」
「信じてたのにっ……! 見損ないましたっ!」
なんなんだ、この展開は。
うるせえな、どいつもこいつもギャーギャー喚き立てやがって。あーあ、嫌になる。てめえらはあいつの何を知ってて罵ってんだ。
「隊長、しっかりしてください……! ほら、そんなに爪を立ててはダメです、気を確かに……」
隣に立っていたチカが俺の手を取り無理矢理拳を広げて、それを両手握りしめた。
綺麗な顔をくしゃりと歪め、今にも泣きそうなチカの姿に、俺の気持ちの昂りも少しは落ち着いた。
そうだ、俺は渋谷千里親衛隊の隊長だ。副隊長であるチカに諭されるようでどうする。もっと落ち着け、頭を冷やせ。
引きつってはいるものの、なんとか顔に笑みを貼りつけてチカに頷いた。
「……うん、そうだよね。ありがとう、少し落ち着いたよ」
堪えがたい衝動をねじ伏せてそう告げた、まさにそのときだった。渋谷に野次を飛ばす生徒の中から、新たな罵声。
「お前なんか会長の器じゃねえ! 会長失格だ!」
俺の思考が瞬時に凍りついたのがわかった。
会長失格。失格?誰が。……渋谷千里が。
俺の中でぷつん、と弾ける音がした。なんの音かなんて言うまでもない。堪忍袋の緒が、切れた。
「くそったれが。佐瀬もクソだけど、佐瀬に踊らされる生徒もクソ野郎共だ」
「はい、確かに気持ちはわかりますが……って、え? ええ!?」
豹変した俺の口調に、チカは瞠目する。
「ちょ……たっ、隊長? い、今のは一体……」
「あ? クソをクソだって言って何が悪い」
「あああああ! ダメですやめてください! 隊長の可愛いお口がクソとか汚い言葉を言うなんていけません!」
……可愛いお口って。
俺は苦笑混じりにチカの頭をポンポンと叩く。と言っても、俺はチカよりも低身長であるため、あまり格好はつかないが。
別に、現状に自棄を起こしているわけではない。ただ、こんな状況になってまで猫被りを続ける理由がなくなってしまったのだ。だから素の自分に戻った、ただそれだけのことだ。
「なお、僕がいた副会長の席には、先日転入してきた大原白兎くんが務めることに――」
佐瀬が再び不快な声を体育館に響かせる。自分は会長になり、自分のお気に入りの転入生を副会長にする。佐瀬はさぞかし満足してることだろう。
「あーあ馬鹿らし。チカ、こんなの聞くだけ無駄だぜ。帰ろ帰ろ」
「えっ、ちょっと、隊長!? 来宮隊長!」
ステージに背を向け、すたすたと体育館を出て行く俺を、チカは慌てて追ってくる。
なおも佐瀬の偉そうな演説が続く中、俺は去りかけにちらりとステージを一瞥する。
佐瀬新会長と大原新副会長が中央で拍手喝采を受けるその横に、ひとり立ち尽くす渋谷千里の姿があった。あまりにも距離がありすぎて、その表情は読み取れない。
なんで黙ってんだよ、あいつ。
なんで、会長失格だなんて言われて平然と突っ立ってられるんだ。
胸の奥で燻る苛立ちを押し殺して、早足で体育館を出る。体育館通路に出ても、中の熱狂具合が伝わってきて、イライラは募るばかりだ。
「あっ、あの、来宮隊長」
「んだよ」
「まさか、来宮隊長まで渋谷様を見限るつもりですか……?」
早足で進む俺の前に躍り出たチカが、緊張感を湛えた面持ちで尋ねてきた。その目には強い意志を感じるが、それと同時に不安や不信感も混在していた。
自分はどうあっても渋谷様を信じます。隊長も渋谷様を置いていってしまったりしないですよね?親衛隊を辞めていった隊員たちのように、見捨てたりしないですよね?
そんな心の声が聞こえてくるような気さえした。
俺はその問いかけを鼻で笑い飛ばすことで返答する。
「はっ、おいおいチカ。いくらなんでもそれは冗談きついだろ」
「え?」
大きな丸い目を更にまんまるにしてぽかんとするチカ。
むしろ俺は、チカの方が何に驚いているのかわかんねえな。俺が渋谷千里を見限る? 笑止!
「俺は渋谷千里以外の人間を会長には認めねえ。園児の頃からこの閉鎖された空間で生きてきたけどな、俺はあいつ以外に会長に相応しいと思える人間を見たことねえんだ。――よって」
今しがたステージの上でふんぞり返っていた佐瀬の言葉を思い出す。
よって渋谷千里生徒会長をリコールします。
ふざけんな。あいつなんかは、この学園の王様の器じゃない。最も会長に相応しいのは、渋谷千里だ。異論は認めない。
だから俺は、この場で宣言してやろう。
「渋谷千里のリコール撤回を要求する! 俺は渋谷千里親衛隊隊長、来宮誠だ。必ず渋谷千里を再び会長の座に連れ戻す。協力してくれるな、チカ?」
自信に満ちた俺の表情は、チカの大きな黒目に映って煌めいていた。