他人を美化する心あらば
なんと、水面の透き通ること。清く冷涼な渓谷と温もりを帯びた母なる羊水のどちらもが連想できる。しかしながらそれを角度を変え覗くと、醜悪がある。醜悪という表現はいささか誇張だ、ナルシズムの対偶だと咎めを被ってしまうかもしれない。では周りの者の心を覚束無くさせることに必死で、自らの感情を散布し、劣等感と矜り(素晴らしく独善的な)とで構成された動くものには他になんという名詞をつけてあげれるか。―人間だ。つまるところ、水面に映る顔もまた人間という保守的な名詞に窶された醜悪だったのだ。ただそれだけだ。
暫しの時が経ち、こちらを見る顔にぬらぬらと噦を覚えてきたそれの持ち主はえいえいと数回それを殴った。およそ打ち負かした。きひひひひひひひと際限のない山姥のような笑いが込み上げてきた。勝った。俺はアポロンであって、テスカトリポカを破ったのだ。宗教とは縁のない彼の頭の中にはそんな渾然一体と化した比喩が駆け巡り、心の中は陳腐なエゴで満点になった。これでやり直せる。人間としてだ。ん。そもそも人間とは醜悪であるから今やり直してしまっては結局俺は醜悪なのでは。そうならばこれからなんと名乗ってゆけばよいだろうか。んん。
取り留めもなく思索するうちに眼前にはゆらゆらとエゴ満点の笑いをする諸悪が、千切れ、回復し、千切れを繰り返してやがて、顔になった。