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4

 脱皮したてのカニみたいに弱々しい動作で、僕は身を起こす。


 ――ヒタタ、ヒタタ。


 背後から、例の音がする。


(一体何なのだ? この音は?)


 不気味に思いながらも、意を決し、振り返る。


『ドクンッ』

 

 一回、心臓が大きく拍動した。それからワンテンポ遅れて『ドドドドド』というハイスピードでの動悸が始まる。

 あまりにビックリした人間の心臓は、梅干しみたいに萎縮することはないらしい。むしろ、元気いっぱい胸腔内で暴れまわり、胸骨を裏側からノックしてくれる。そんな事実を、『その子』は僕に教えてくれた。


(何だ、コイツ?)

 

 姿の異様さを上手く表現する自信はない。

 けれど、下手を承知で言い表そう。

 

 僕の目前には、皮膚病の河童(みたいな奴)がいた。


 肌の質感は乾いた粘土細工の様。所々ひび割れて、割れ目にはピンク色の肉が覗いている。

 目は真っ赤。黒目と白目の境界が分からない。鼻は人間のソレに似て見えるが、その下の口には唇が無く、歯茎がむき出しになっている。しかも、歯茎には歯が生えていない。オンリー・歯茎。

 髪は地面に達するほど長く、水に濡れたように重たそうだった。しかし、その頭頂部は禿げている。その辺も含めて、河童みたいだと思った。

 衣類の類は身に纏っていない。

 全裸である。

 性器の類は見受けられず、男女の判別は出来ない。

 背格好は小学生くらい。腕や脚ははヒョロヒョロと細長いが、腹部だけは妊婦や水死体のように膨張していてアンバランスだ。皮膚が足りないのか、全身に見られる亀裂の様な『ひび割れ』も腹部が一番激しかった。特に、下腹から股にかけて特大の『ひび割れ』があり、そこから糞尿とも血液とも思えない謎の体液が滴っている。

 

 その粘度は高く、『一滴』にあたる塊が地面に垂れる度、『ヒタタ』という音を立てていた。


『ギビボバイゴ?』


 ソレは言った。

 おそらく、「君も迷子?」と言いたいのだろう。

 この場合「そうだよ」と答えるのがマナーだろう。だが、僕の胆力ではそのように紳士的に振る舞うことは出来なかった。出来たのは、小便をジャージャー洩らしながら「ギャアアア」と絶叫しつつ反対方向に逃げ出すことくらいだった。

 頼りなく細い僕の大腿筋が極限まで張り詰めて、アスファルトを蹴っ飛ばす。ウサインボルトになったつもりで飛び出した。今日のこの瞬間に備えて、タロイモを喰っておくべきだったと後悔した。

 だが、すぐに急停止を余儀なくされ、前方向につんのめる。


「挟み撃ちかよ……」


 反対方向にも似たような格好のシルエットがつっ立って、股から汁を垂らしていたのだ。

 腐敗臭とも獣臭さともつかない臭気が肺腑に満ちる。

 それが胃の中の物を押し出した。


「オヴェエヴェエ!(ドボチャドボチャ)」


 体を『く』の字にしてゲロを撒く。

 その隙に、二つの影が左右に迫る気配を感じ取った。

(はや)い!)

 そう思った僕であるが、実はこの感想は事実を反映していない。

 距離を詰められ訳ではなく、新たに2体出現したというのが正しかった。

 前後左右、完全包囲されたということだ。

 想像を絶する恐怖が僕を支配し、ガバガバになった尿道から、滾々(こんこん)と黄金水が湧き出した。

 

 左側の一人が僕の腕を掴んで『ボバエグッザー!』と叫ぶ。

 それをきっかけに他の三人も『グッザー、グッザー』と叫び始め、僕のシャツや手足を滅茶苦茶に引っ張り始めた。

「やべてください! おねがいします!」

 恐怖と混乱で日本語の怪しくなった口が懇願する。

 当然その懇願は受け入れられない。

 為されるがままだ。

 死よりも恐ろしい何かを覚悟し、僕は涙をダラダラ流した。

 恐怖と絶望から、第二波のゲロを吐きかけた瞬間のことである。


『ドンッ!』


 全身に凄まじい衝撃が走り、僕の体は投げ飛ばされた。

 食道まで上がってきた胃内容物が一旦胃袋にカムバックする。

 反射的に高校二年の柔道の授業で習った受け身の取り方を思い出すが、地面に転がるより早く電信柱に頭をぶつける。

 脳裏に閃光が瞬いてアンドロメダ星雲の囁きが聞こえる。

 再度せり上がってくる胃内容物が口から飛び出して、シャツの胸元を汚した。

 

 ゲロに塗れながら、元居た場所を見遣る。


 そこにはサラリーマン然とした中年男性が、剣(壊れた箒)と盾(ゴミ箱の蓋)を駆使して、化け物達を退治ずる一大活劇が繰り広げられていた。

 彼の年齢は40代くらい。

 その容貌は精悍で、体躯は引き締まって見えた。


 男は鬼神の如く強かった。


「コテェ!」の掛け声で一人目の両腕を薙ぎ払い、

「メェエン!」の掛け声で二人目の頭を左右に割り、

「ドゥォオ!」の掛け声で三人目の腹を裂き、

「トゥキィッ!」の掛け声で四人目の胸を貫いた。


 あっという間に、4体の躯が出来あがる。

 男は華麗に残心をキメると、腰を抜かしている僕に忠告する。

「急いで距離を取れ。物理的ダメージは足止めにしかならない」


「ハァイ!」


 訳も分からないまま威勢良く、僕はゲロ塗れの口で応えたのであった。


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