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これで振出しに戻ってしまった。
「ふざけんなよ」
長谷田が青筋を立てて息巻いた。
そして、ラケットで殴りかかる。
穴家林さんは側転でこれを躱す。
全てを見切ったと言わんばかりの優雅な身のこなしだった。
激高した長谷田は闇雲にラケットを振り回しつつ追撃する。しかし、穴家林さんはクルクルと側転を続けて、何処までもどこまでも逃げて行く。極限までバカバカしさを突き詰めたトムとジェリー状態の完成である。
僕はと言うとフルチンでそんな二人を追いかけるしかできなかった。
そのままどれ程走っただろうか。
およそ10面ほどのプールの横を駆け抜けたと思う。25メートルプルだから、ざっと250メートルを全力疾走した計算だ。
流石の長谷田も疲労が蓄積したらしく、それ以上の追撃を止めてしまった。
穴家林さんの方は対照的に、まだまだ余裕の表情である。
彼は息を切らせている我々に向き直ると、何を思ったのかY字バランスを披露した。『叩けるものなら叩いてみろ』と言わんばかりに股間を強調したポージングである。
挑発に乗るように、長谷田は再びフォアハンドで彼の股間に襲い掛かる。
穴家林さんは片足でムーンサルトジャンプを決めるという超人的な体術でこれを躱した。しかも、着地後もY字バランスを維持している!
「もう意味分かんないッ」
長谷田はそう言って、助けを請うような視線を僕に寄越した。
本日彼女と意見が合致することは少なかったが、こればかりは全く同感である。本当に意味が分からない。何がしたいというのだ、このおっさんは!
途方に暮れる我々に向けて、穴家林さんは言い放つ。
「どうした? もっと遊ぼうぜ!」
「い……意味が分かりません……。僕たちに如何してほしいんですか? 貴方は!」
「だから言っているだろう。遊ぼうぜ、って」
「それが分からないのです!」
穴家林さんは、『やれやれ』といった風に頭を横に振ると、Y字バランスを解いてこう言った。
「分からない? ならこう言い改めよう。君たちの『協力』が必要なんだ」
「協力?」
「そう。力を貸してくれ」
「力?」
力を貸してくれ、だと?
それは出来そうにない相談だ。
一介の高校生に過ぎない僕たちに何が出来るというのだ。
「無理ですよ……僕たちに除霊なんて……」
彼の真意が伺えず、僕は気弱に喉を震わせた。
「いや。君達だからこそ出来るんだ」
無茶を言う……。
「僕たちは穴家林さんとは違うんだ。貴方みたいに体術に秀でているわけでも、除霊に精通しているわけでも、変態性欲に富んでいるわけでもない……普通の……ただの高校生なんだ……」
「『ただの高校生だから』お願いしているんだよ」
一向に要領を得ない問答に、長谷田が激高する。
「おちょくるのもいい加減にしろ!」
そんな彼女を前にして、穴家林さんは何故かウットリと顔を綻ばせる。
そして、再び意味不明なアクロバットを開始したのである。
三点倒立からの開脚ブリッジ……からの、逆バク天!
こんな動きは見たことないぜ!
「フオオオオオオオ!」
長谷田が今までにないタイプの咆哮をした。
どうやらストレスが許容値を超えてしまったらしい。
彼女の奥歯から『ギリリ』と不穏な音が聞こえている。
「落ちつけ長谷田! 噛みあわせがガタガタになる!」
「うるせぇ!」
「ごめん!」
「フフフ……、その調子だ長谷田さん。その冷たくて熱い視線を、もっと我々に寄越すのだ」
《我々》だと?
「ああん!?」
と長谷田は凄んでみせる。
「そうそう。その眼だよ。海辺の生ゴミに群がるフナ虫を見つめるような、研ぎ澄まされた蔑視視線! 最高だ! 才能あるよ!」
なんというか、やっぱり狂っている。
穴家林茂は狂っている。
だけど、僕は俄かに確信した。
長谷田の目。
とても殺気立っている。
その殺気に当てられて、どういう訳か、僕は自信の体内から、不思議な《熱》のような物が浸出してきているのが分かった。
だから分かった。
僕にもわかった。
穴家林さんはあえて長谷田の怒りを誘発しているのだ。
その意図が何処にあるのかはまだ分からない。
ただ、彼女のフラストレーションを意図的に高めているのは間違いないだろう。変態的なアクロバットと不敵な微笑は、そのための演出と思われる。
彼は、長谷田を怒り狂わせて、何かを成し遂げるつもりなのだ。
はたして、その『何か』とは何なのか?
穴家林さんの股間が、再びほんのりと輝き始める……。
それを、長谷田は血走った眼球で見つめている。
輝く股間に、血走る眼。
――その間に走る緊張の糸の束に、僕は『何か』を見出そうとしていた。




