6 爆竹少女の炸裂④
(――今なら、応えられるかも――)
5年間のブランクを経て、彼女はそう思った。
(――大切な人――)
そう言うと必要以上にロマンチックになってしまう。やはり言葉にするとウソっぽく、ヤスっぽくなってしまう。
しかし、その評価自体は真実だった。紛れもない、彼女自身の価値判断に基づく正当な評価だった。
少なくとも彼女にとって、彼は重要な人間だった。それは無論、勉強を教えてくれるからという理由もある。幼馴染だからという理由もある。だけれども、そうした理由付けはあまり意味をなさない。利害関係とか友情とか恋愛感情とか、そういうカテゴライズは無為なのだ。
無駄で、無用で、無粋なのだ。
そう思えるほどコアな部分に、彼女は彼を位置付けていた。
そんな、彼。
児玉物知。
ソイツが、目前で肛門に氷を詰め込んでいる。
あえて言うまでもないことだが、肛門に氷を詰め込むなんて普通じゃない。そんなことをする奴はとんでもない変態か、重度のイカレポンチである。
異常である。
狂気である。
廃人である。
ケツ穴廃人である。
もはや、一個の人格が失われたに等しい状態と言える。
――逸脱している。
――規範から逸脱してしまっている。
教室で爆竹を炸裂させるくらいに――。
同級生をナイフで刺殺するのと同じくらいに――、
そうした少年の逸脱が、少女には我慢ならなかった。
(――彼を正さねばならない)
それは透明な思想だった。
(――彼を正すにはどうすべきか)
彼女は自問する。
(彼の理性に訴えて諌めるべきか――。
彼女自身の感情をぶつけて彼の心を揺さぶるべきか――。)
彼女は自答する。
(いずれも、NOだ。)
それは、衝動だった。
その衝動は爆竹事件で覚えた衝動に近しかった。理論で説明するのに適さない、とらえどころのない、どこまでも透明で、それでいて強烈な衝動だった。そしてその内心の契機が、持ち前の加虐的瞬発力と相まって、暴力の形で外界に発露する。
爆竹事件の時と、まったく同じである。
唯一違うのは、彼女がその衝動を認識しているということだけだ。
彼女の回答は『逸脱』――。
――自分自身が、彼以上に逸脱してみせること。
いつだって、逸脱するのは長谷田薬火の役割だった。
それを正すのが、児玉物知の役割だった。
彼が逸脱してしまった今でも、その構図は変わらない。
彼女が逸脱し、彼が正す。
彼が逸脱しているなら、
(私も逸脱してやればいい!)
彼女は逸脱への衝動に、身を委ねた。
スマホとストップウォッチを放り投げる。
ネコババしたラケットを強く握りしめたままフェンスをよじ登る。
スカートが捲れ上がり、パンツが丸出しになるのもお構いなしだった。
フェンスを乗り越え、彼女は少年を見据えた。
彼は相変わらず「チャージ」に夢中であった。「池田ァ! 今何秒!」などと意味不明の言葉を喚いている。ヒップを強調するグラビアアイドルみたいな姿勢で、彼女に向けて尻を突き出しつつ、氷を挿入している。
彼女はラケットを構えた。もっとも、フォアハンドやバックショットの構えをとったのではない。フレームの部分を小脇に抱え、グリップの部分を前に向け、姿勢を低く落とす――いわば、自動小銃を連射するランボーの様にラケットを構えたのである。
そして、尻目掛けて突進していった。
かくして、少女は炸裂した。
「コォォダァァァマァァアア!」
その声は、もはや野生動物の咆哮であった。
獣の加速度と少女の体重を伴ったグリップの底部は、少年の肛門にジャストミートした。彼女の体重があと2キロ重かったら、彼女のスピードがあと2キロ早かったら、少年の肛門括約筋は断裂してしまっていたことだろう。その衝撃は相当のものであったらしく、少年は「んぼぉッ」と短く叫び、前のめりの姿勢でプールの中に落ちて行った。
(まだ足りない。
もっともっと、逸脱しなければ、児玉の狂気に対抗できない)
彼女はプールサイドから跳躍した。
そして、彼の側頭部に足の甲を叩き込んだ。
強烈な跳び蹴りである。
「Qッ!」
少年は白目を剥いて水中に沈んで行った。その頭部を、少女は長くしなやかな脚で絡め取る。そして、太腿で少年の頭蓋をガッシリとホールドした。
少年はゲンゴロウのように尻だけを水面に浮かべ、ガブガブともがき苦しんだ。しかし、20秒も経つと、少年の動きは鈍くなり、浮かんでくる気泡の数も少なくなっていった。
やがて、彼はみっともない体勢のまま痙攣し始めた。
逸脱バトルの雌雄は、この時点でほぼ決しているといえる。
それでもなお、少女の逸脱は続いた。
スパーン!
小気味よい音が響いた。
スパンキングである。
池田は眼下で痙攣している少年の尻を、しこたま打ち据えた。
両手で、何度も。
もはや、ケツドラムである。
彼女が尻を打ち据えるたび、尻からは氷が飛び出した。
氷は放物線を描いて闇夜を舞った。
さながら宝石のように、氷はキラキラと輝いていた。




