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7月14日(火)27:00頃。
僕は只ならぬ量の汗にまみれて、アスファルトに頬ずりした。
アスファルトに頬ずりするなんて普通じゃないが、それ以上にこの道が普通じゃない。
迷いようのない一本道のはずが、気付けば迷子になってしまっている。のんびり歩く精神的余裕もなく、ずっと小走りで駆け回ったが、結局元の場所にはたどり着けなかった。それどころか抜け道一つ見つけられない。道を見落とした可能性を考慮し、およそ一時間かけて何度も往復したのに、狭い道がダラダラと続くばかり。おまけに、その間、誰一人として出くわさなかった。深夜とは言え、コンビニ等に買い出しにでも出かける人が居ても良さそうなものである。寂しすぎる。いっそ変質者や痴呆老人でもいいから、誰かに出会いたかった。ヤンキー以外なら誰でもウェルカムだ。この世界に、自分以外の人間が存在しているという確証が欲しかった。
――――まるで悪い夢でも見ているようだ。
よりによって一本道で迷うとは。
本当に頭がどうかしてしまったのだろうか。
精神的にも体力的にも限界を迎え、僕は膝から地面に崩れ落ちた。
そして、今に至る。
***
今でこそこの体たらくであるが、何の工夫もなく駈けずり回ってばかりいたわけじゃない。一通り考え得る手段は尽くしたが、それでもどうしようもなかったから、走り回るよりなくなったのだ。
まずは文明の利器に頼った。
スマートフォンでグーグルアースを起動し、地図の確認を試みた。しかし、ネット環境は最悪でそれも叶わなかった。おまけに圏外で通話もできない。もはやスマホには時計としての使い道しか残っていなかった。
次に、民家の人間に助けを求めようと思いついた。
確実に『変な野郎』と思われるだろうが、そんなことを気にしている余裕はなかった。爪にヒビが入るほどの勢いでピンポンプッシュを繰り返した。しかし、時刻も時刻であるせいか、どの家も対応してくれなかった。現代社会の非情性を垣間見た気がした。
最終的には刑法を犯す覚悟すら固めた。
民家の敷地内に侵入し、その向こう側に逃れようと思ったのである。いわゆる、住居不法侵入である。塀をよじ登って、何とか裏側に回り込むことには成功した。しかし、民家の背後には高さ5メートル程度のコンクリートが立ちはだかっていた。反対側の民家にも侵入してみたが、結果は同様だった。工場か何か、広大な施設でもあるのだろうか。まるで嫌がらせのように存在するその壁を、僕は乗り越えることは出来なかった。
いっそ、ガラス窓を蹴破って、ダイハード風の訪問を試みようとも思った。
だが、流石にそこまでする勇気はなかった。
***
アスファルトは冷たく、火照った体に心地よかった。真夏なら、深夜でもアスファルトは熱を持っているのが普通であるが、この道の地面は異様に冷たい。しかし、そんなことをいちいち不思議がれる状態ではなかった。それより不可思議な事態の真っただ中にいるのだから。
打つ手なし。
そんな諦観を枕にして寝返りを打った時、不意にあることを思い出した。
僕がまだ小学生だった頃に流行った七不思議のひとつ。
帰れない通学路の噂である。
***
《帰れない通学路》
ある日の夕方、A君が忘れ物を取りに、小学校の教室に舞い戻った。
目的の物を回収し、家路を急ぐ。
校門を出た頃には日がすっかり沈んでいて、辺りには何ともいえない静けさが漂っている。
通いなれたはずの通学路であるが、夜中に見ると別物に見える。そのせいか、A君は迷子になってしまう。
必死で歩き回るも、家にも学校にもたどり着けない。
しかも、道中誰とも出会うことはない。
まるで、自分だけが別世界に放り込まれたような不安感がA君を襲う。
ずいぶん歩き回った後、A君は自分と同じような年格好の少年の後ろ姿を目にする。
いつもは人見知りなA君だったが、この時ばかりは人恋しさが勝り、「おーい!」と声を掛けながら近づいた。
少年は振り向いて「お前も迷子か?」と聞く。
どうやら彼も似たような境遇らしい。帰り道は依然として分かりそうにないが、それでも同志を見つけたような気がしてA君は嬉しかった。
しかし、それも束の間のことだった。
二人は軽く自己紹介を経て、奇妙な事実に気付く。
お互い初対面だというのに、同じ学校の同じクラスに通っているのだという。
そいつはおかしい。
身分証代わりの名札を見せ合った。
いずれも、二人が所属するクラスを示している。
二人とも、嘘をついているわけではないらしい。
二人して小首を傾げている途中、A君は一つ奇妙なことに気付いた。
その少年は真夏であるにも拘らず、暑苦しそうなジャンバーを羽織っていたのである。
「君、暑くないの?」
聞いたA君に、少年は聞き返す。
「暑くないよ。お前こそ寒くないの?」
意外な反応だった。A君は、少年のことをどこまでも変な奴だと思った。
しかし、ふっと、ある恐ろしい想像がA君の脳裏をよぎった。実にバカバカしく、荒唐無稽な想像だ。だが、『もしかして』『ひょっとして』という言葉が、A君の脳裏を行き交う。
――――浦島太郎じゃあるまいに。
そう思ってしまう程、A君は彷徨い過ぎてしまっていたのだ。
しかし、ついに、聞いてしまう。
「今日は西暦何年の何月何日だっけ?」
少年は答える。
「2005年の2月14日だよ」
聞いて、A君は言葉をなくす。
「どうしたの?」と少年が聞く。
A君は応えるべきか数秒思案し、意を決してこう伝えた。
「僕は1994年の7月15日に迷子になったんだ。」
相手の少年は青ざめて「え……」と声を発し後ずさる。
まるでお化けにでも出くわしたかのような悲鳴を上げる。
「マッテ……」
A君が手を伸ばしたときには、すでに少年は遠くへ走り去っていた。
目前に翳したA君の手は、乾いた紙粘土の様になって、ひび割れて行った。