3 爆竹少女の炸裂①
ここから、視点が三人称視点(長谷田さん視点)にかわります。
長谷田薬火が異変に気付いたのは二学期を迎えて1週間ばかり経過した頃だった。
受験を控えた彼女達にとって、夏休み明けはプレッシャーがますます高まる時期といえる。そんな時期であるというのに、彼女の目に映る『彼』の顔は、死んだ牛の様に弛緩していた。なんというか、ガリ勉オーラが消えてしまっている。まるでヤル気が見られない。いや、ヤル気以前に生気がない状態。死相とでもいうべきか。とにかく覇気のない面持ばかり示している。
彼。
児玉物知。
彼女達のクラスで難関国公立進学を希望している人間は少なかった。そんな少数の野心家たちの中に、彼女と児玉少年も含まれていた。
彼女達は幼少期より旧知の中である。いわゆる幼馴染と言う奴だ。比較的大人しい児玉少年と、やや暴力と爆竹を好み過ぎる長谷田少女の性格は全く異なっていた。しかし、その凸凹具合がうまい事噛み合い、まあ、それなりに仲良くしていた。
とは言え、目に見えて仲が良かったのは子供の頃までの話である。思春期を迎えて以降、彼女たちの関係は変化した。旧知だが妙によそよそしい、微妙な関係がしばらく続いた。
結果、わりと疎遠になった。
その間、長谷田少女はヤンキー少女となり、児玉少年はガリ勉少年となった。
全く方向性の異なってしまった二人の人生は、その後二度と交わらないかに思えた。
しかし、高校3年の1学期、少女は少年にこう告げたのだ。
「児玉。勉強を教えてくれ。」
それ以降、疎遠だった二人の関係は、従来通りとはいかないまでも、それなりに回復した。受験本番が迫るにつれて、同様の志を持つ者としての連帯も、少なからず生まれていった。最近に至っては、お互いの家で勉強を教え合う域にまで達していた(実際には一方的に児玉少年が教えていたのではあるが……)。
そんな折の、彼の死相である。
もっとも、彼女も初めのうちは、特に心配しなかった。どうせ、赤本の自己採点結果が悪かったのだろう――それくらいの感想しか持たなかった。
それでも、一応は「児玉、お前、大丈夫かよ……」と声をかけた。
これに対する彼の返答が、やや常軌を逸していた。
「今度の大会に全てを賭ける……」
などと訳の分からないことを呟き、彼はニタニタと気色の悪い微笑を浮かべたのだ。
――ベテラン帰宅部員の児玉が何の大会に出るというのか。
「何の大会?」
彼女は問い質した。
しかし、彼は明確な返答をせず、ただニヤニヤ笑いを浮かべて、
「さて、何だろうなぁ……」
と、はぐらかした。
そして、それっきり、黙った。
不気味に思いながらも、彼女はそれ以上は問わなかった
と、いうか、問えなかった。
何やら得体の知れない禍々しさが、暗く沈んだ瞳の奥に滞って見えたのだ。
***
しかし、いくら不気味でも、長谷田少女は児玉少年を放置するわけには行かなかった。
彼が予備校を欠席すると、困るからである。
高3の春まで殆どヤンキーとして生活していた彼女である。当然、学力的に大きなビハインドを抱えていた。難関国公立大学はおろか、大学受験そのものが危ういレベルである。それゆえ、予備校のハイレベルな授業を自力で理解するのは殆ど不可能だった。
そんな彼女をフォローしていたのが児玉少年だった。というか、彼はフォローさせられていた。半ば強制されていたのである。
休憩時間や授業の終了後、あるいは授業中にすら、彼女は彼を小突き回して授業の解説を強要した。そして彼は奴隷のように、彼女の要求に応じていた。
少なくとも、そう言う意味において、児玉少年は彼女にとって大切な存在であった。
ゆえに、彼の欠席は、彼女にとって死活問題だったのだ。
それも、1日だけでなく、連日欠席するようになったのだから深刻だ。
理解不能な板書をノートに写し取る度、彼女の不安は増して行った。
そしてついに、彼女は彼を予備校に強制復帰させる決意を固めた。
***
9月14日月曜日の夜、長谷田少女は予備校に顔を出し、児玉少年が欠席していることを確認した。
彼が不在と分かれば、もはや彼女が講義を聴く意味は無い。理解できない授業をやせ我慢して聞くくらいなら、公園で爆竹でも爆ぜさせている方が有意義である。しかし、この日の彼女には、爆竹遊びよりもはるかに有意義な代替案があった。児玉少年を予備校に強制連行するという身勝手な代替案である。
彼女は予備校を後にすると、まっすぐ学校に向かった。
どうして彼が学校にいると見当がついたのか――。
――その理由は実に不可思議なものだった。
予備校を出た後、駅前の喧騒の中で、彼女を呼ぶ声が聞こえたのだ。
それは彼女にとって、何となく懐かしい、聞き覚えのある声だった。それゆえ、特に恐怖心は抱かなかった。
まるで、自分の思考であるかのように馴染む。
そんな不思議な声に導かれ、彼女は夜の学校に辿りついた。
裏門からは教職員用の駐車場が伺える。
そこには既に教員の車はなかった。
彼女の通う高校は、夜7時以降の校舎への残留を校則で原則禁止にしている。活動中の部活もないらしく、他に生徒が残っているという気配は無かった。残って居るのは、せいぜい警備員と生物部のプラナリアくらいである。彼らに気付かれぬよう気配を殺しつつ、彼女は裏門の門扉を乗り越えた。
学内に侵入を果たすと、駐輪場に硬式テニスラケットが放置されているのに気付いた。
どうやら、部員が帰宅時に忘れて行ったものらしい。
僅か3週間ばかりであるが、彼女にはテニス部に所属していた経歴があった。近寄ってみると、なかなか高級そうな代物である。「せっかくだから」という理由で、彼女はこれをネコババした。何が「せっかく」なのかは彼女にしかわからない。
教職員用駐車場の裏には女子トイレの窓があり、この鍵がバカになっていることを彼女は知っていた。2年生の期末テスト前日にそこから侵入し、見事試験問題文を入手した実績もある。
その経験を活かさない手はない。
同様の手口で侵入しようと考え、彼女は駐車場を横切った。
奇怪な音が聞こえたのはこの時だった。
――ガリガリ。
――ピチャピチャ。
何か堅いものを削るような音と、猫がミルクを舐めるような音が断続的に聞こえる。
どうもその音はプールの方から聞こえるらしい。
音の正体が気になった彼女は、校舎への侵入を後回しにし、プールの確認を先に行うことにした。
体勢を低くしてプールに近付く。
――あ、
――ああ、
――あ、あ、
声だった。
咽喉の奥から掠れ出るような、男の声が聞こえていた。
流石に気味悪く感じながらも、そのまま気配を絶ちつつ、フェンスの隙間からプールを覗き込んだ。
そこで彼女は、衝撃的な光景を目の当たりにした。




