10(第2章 了)
東の空は既に随分と白っぽくなっている。
本物の太陽が昇ってくるのはもう間近のことだろう。
「みんな、行ってしまった……」
俺は呟いた。
遠足のバスに乗り遅れたかのような切なさを覚えた。
だが、不思議と気分は悪くない。むしろ清々しいくらいだった。
「ああ。これでもう、誰も喰われずに済むだろう。」
穴家林は言う。
「俺は、家族に何かしてやれたんだろうか……」
思わず、一抹の不安をこぼした。
「さあな。」
目を合わせず、穴家林は応える。
「だが、少なくとも人喰いセーラー服を退治出来たのは、君の変態性欲のおかげだ。敵も、まさか自分が展開した結界の中で、更に着用されるとは思っていなかったのだろう。飲み込んだ獲物に、更に飲み込まれるようなものだからな。その不意を衝いて、私も奴の結界に侵入することが出来た。おまけに、長時間君に着用されたことによって、奴は相当弱っていた。」
淡々とした口調でそう述べた後、彼は
「君が変態で、私も随分助かった」
と付け加えた。
そして、「じゃあな」と手を振った。
「もう行ってしまうんですか?」
「うん。今朝は早くから監査役会があるんだ。議案の整理がまだ出来ていなくてね」
そう言って、走り去る。韋駄天の激走のような、凄まじい俊足で、あっという間に見えなくなった。
どうやら穴家林は、会社の役員であるらしい。
あんなみっともない男が会社の監査役だなんて、世も末だと俺は思った。
***
俺は、西野家のゴミ袋から一着のベストを拝借し、着用した。
女性用なのか、それはピンク色だった。ボロボロに擦り切れて、おまけに饐えた臭いまでする。次いで、穴の開いたゼブラ柄のレギンスも引っ張り出し、ショーツの上に穿いた。外観上は変態から浮浪者へとレベルアップすることが出来たといえる。公道を歩くのに支障はないが、スーパーの店員には呼び止められるレベルと言えよう。ただ、犬畜生にはそのあたりの機微が分からないらしい。若林家のオードリーは、俺の姿を認めると吠え始めた。
さて、これからどうしようか。
無職で、
無資力で、
天涯孤独。
極めつけの変態性欲。
ふつうなら、絶望して然るべき状態かも知れない。
客観的には、今こそ自殺を検討すべき状態だろう。
それでも、全く死にたいとは思わない。
地獄の炎に焼かれることに比べれば、どんな状態であれ、生きているだけで儲け物だ。
オードリーの鳴き声をBGMに、開き直って空を仰ぐ。
すると、西野家の雨戸がガラリと開いた。
「ヒッ……」
年収の低さに驚愕するネット広告みたいな表情で、彼女は短く悲鳴を上げた。
思えば、西野さんの顔を拝見したのは、これが初めてである。
しかし、俺はその顔に見覚えがあった。
朝、駅の改札でぶつかったOLである。
「あの時は、ありがとう!」
言いそびれたお礼を述べつつ、俺は隣家の敷地内に侵入した。
「な……何の話ですか! 出て行ってください! 警察を呼びますよ!」
彼女はヒステリックに捲し立てる。
俺はかまわずゴミ山の上を駆け抜ける。
彼女は「ギャアッ」と絶叫し、雨戸をピシャンと閉めてしまった。
「そっちが警察なら、こっちは市役所を呼ぶぜぇ……」
そう言いつつ、雨戸をこじ開けてやる。
「と……とにかく、一旦帰ってください……」
すっかり怯えてしまった彼女に、俺は優しく話しかける。
「もう少し、良い服を貸してくれるなら考えても良いよ」
そう言って、俺はピンクベストを脱ぎ捨てた。「click me!」と落書きした両乳首が露出した。
最初は目を背けていた彼女だったが、
それを見て、「フフッ」と吹き出した。
【人喰いセーラー服・了】




