5
目覚めると屋外だった。
冷たい地面の上に、仰向けに寝かされている。どうやら住宅街の中にある更地の上に居るらしい。気絶しているうちに連れてこられたのだろうか。どうも、記憶が定まらない。悪い夢から覚めた途端、別の悪夢に迷い込んだような気分だった。
見上げた空は、暗い。
帰宅した頃はまだ日が高かったはずである。随分と時間が経ってしまったのか。あるいは、本当に夢でも見ていたのだろうか。
不安になって、自分の出で立ちを確認する。
きちんとセーラー服を着ていて、先程までファンキー自殺に勤しんでいた形跡が伺える。頭はコブだらけだし、体全体が痛む。満身創痍だった。
どうやら、夢を見ていた訳ではないらしい。
俺は自分の努力が徒労に帰さなかったことを知り、安心した。
状況をより詳しく把握するため、痛む体を起こして周囲を見回す。
景色には『見覚え』があった。
正面に見えるのは若林家だ。
老夫婦が住んでいて、オードリーと言う名前のラブラドールが飼われている。
ガレージにはオードリーの犬小屋と、奥さんが競売にて8万円で落札したというカローラが見える。
右隣に見えるのは春日家だ。
春日家は三人家族で50歳前後の夫婦と、高校生のお子さんが暮らしている。
奥さんのガーターベルトと、旦那さんのトランクスが仲睦まじく揺れる物干し台も見える。
左隣には西野邸が見える。
西野宅はゴミ屋敷で、庭にうず高く積み上げられたゴミ袋が山脈を築いている。
住人の姿はついぞ知らないが、ゴミ山の頂に、キングコングの特大フィギュア(全長約200㎝)が屹立しているのは相変わらずだ。
ここは紛れもなく俺たち家族が生活していた場所だった。
すべて、見慣れた景色である。
見慣れないのはこの更地だけ――。
――何故、見慣れないのか?
此処には我が家が存在するはず――。
――しかし、今は何もかも消えて無くなってしまっている。
家も。
家族も。
混乱する俺に、背後から呼びかける声がする。
「ようやく気づいたか」
振り返ると、そこには純白の全身タイツを纏った男がいた。
不意に、海馬が刺激され、凄惨な記憶が主張を始める。
他の記憶は霞がかかったように曖昧だが、ソイツの姿だけははっきりと記憶していた。この男が母に狼藉を働いている途中に閃光が発生し、俺は気を失ったのだ。
変態である。
家族の団らんを無慈悲に打ち砕いた、変態である。
「貴様っ、家族をどこにやった?!」
俺は変態に家族の行方を問いただした。
彼は芝居がかった動きで「やれやれ」と頭を振った。
そして、
「死んでるよ。一年以上昔にね」
と、言った。
――なんだって?
――冗談にしても性質が悪すぎる。
「嘘を吐くな!」
俺は激昂しながら、自分の額の傷を示した。
「この傷はさっき妹につけられたものだ」
次に、血まみれの鼻を示し、
「コレは母にフライパンで殴られた時」、
そして、タンコブだらけの頭を示し、
「コレは父のゴルフクラブで殴られた時」、
更に、セーラー服を捲って背中の青あざを示し、
「これは弟にパワーボムを喰らった時」、
そう言って、順番に名誉の負傷を列挙していった。
すると、男は言った。
「そう。たしかに、それらは本日、君の家族によって付けられた傷だ。だけどね、彼らはとっくの昔に死んでいるんだよ」
訳が分からない――。
――というより、無性に腹が立った。
「馬鹿に……するなよ……」
俺の家族が既に死んでいるだと? 胸糞悪い冗談を聞かせやがって……それだけでも万死に値する。おまけに、全身タイツとはふざけてやがる。
「みっともない恰好しやがって! 恥を知れ!」
自分もみっともない恰好をしているという事実を忘れ、俺は逆上した。
怒りに任せてセーラー服の裾を捲りあげ、鍛え抜かれた腹筋を露出させる。
「見よ! この筋肉!」
そして、臍に詰まったグリーンピースを指で弾き飛ばし、男を狙撃した。緑色の弾丸と化した豆の軌道は、正確に男を捉えていた。直撃は免れないだろう。
しかし、男の反射神経には人知を超えたものがあった。
彼は闘牛士のようなステップを踏みつつ、脇の下のタイツ生地を引き伸ばした。そして、モモンガの被膜の様に伸ばしたその部分で豆を受け止めた。一瞬にしてタイツ生地は大きく撓んだが、決して破れることは無かった。やがて、豆は生地の伸縮性によって跳ね返され――。
――ヒュッ。
と、風を裂く音を残して飛翔した。
跳ね返された豆の威力は凄まじく、西野さん家のキングコング像に直撃し、これを粉砕した。
「やれやれ、奇特な奴だ」
男は余裕の貫録を見せつける。
その一連の所作を見て、俺は悟った。
この男、只者ではない。
勝ち目はなかった。
俺のグリーンピースショットを躱すだけでなく、それを反撃に転じたのだ。しかも、あえて俺を外しつつ、キングコング像だけを破壊してその威力を示した。凄まじい敏捷性とパワー、そして動作の正確さがなければ出来ない芸当だった。
「何者だ、お前!?」
男は右の口角だけをニッと吊り上げ、笑った。
「私は穴家林茂。ボランティアで除霊を行っているサラリーマンだ」




