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「いいいぃぃiiiyyやああああぁああaaaAAAAH!!!」
妹はしばし呆然の相で俺を見詰めると、喉から血が出るような金切声で絶叫した。
そして、机上の花瓶をブン投げてきた。
花瓶は俺の頭蓋にヒットし、無事粉砕。
額からは二筋目の血が滴った。
躊躇なく花瓶を投擲してきたところから察するに、妹はおそらく殺る気である。
身の危険を感じた俺は、すかさず尻に挿さったままの花火に、マッチで火を灯した。そのまま猛然と尻を振り回し、文字通り妹を煙に巻く。我ながらウィットと機転が効いた対応である。
妹が炎と煙に狼狽している隙に、玄関からの脱出を試みる。
しかし、廊下の先には弟が仁王立ちしており、俺の行く手を阻んでいた。
「武彦! お前まで学校をサボるとは、けしからん!」
戦闘は不可避だった。
俺は痛みを堪えつつ、ケツから花火を引っこ抜き、弟に向けて構えた。
弟は一瞬ひるんだ。その隙に、俺は捨て身の特攻を仕掛けた。
「南無三!」
そう叫んで突進した直後、身体がフワリと浮き上がり、硬い廊下の床に叩きつけられた。
一瞬、訳が分からなかった。
多分、パワーボム。
そいつを、モロに喰らったのだ。
脳が揺れ、
頭蓋骨が軋み、
スカートが捲れ上がる。
そして、妹から拝借したショーツが丸出しになった。
無謀だったのだ。
日々、学生プロレスで鍛錬を怠らない弟に、ホワイトカラー(現無職)の俺が敵うはずがなかったのだ。
あられもない姿の俺を、弟は容赦なく抑え込む。がっつりマウントポジションを取られてしまい、ロクに動くこともできない。
これが総合格闘技ならば、せいぜい5,6発殴られるだけで済むだろう。あまりに攻撃が一方的になった場合、レフェリーが途中で止めてくれるからだ。
しかし、ここはリングではない。
昼下がりの民家である。
レフェリーの代わりに居るのは、兄貴の頭蓋に躊躇なく花瓶をぶつけてくる妹だ。
制止は期待できない。気が済むまで、俺は殴られ続けるだろう。
とは言え、我々はファイターでもない。
妹の制服と下着を身に纏い火遊びに興じた兄と、その弟妹――。
――俺達は、一つ屋根の下に暮らす家族なのだ。
「花火しよう! なっ? なっ?」
ダメもとで弟の童心を刺激しようと試みる。
彼は無表情で眉一つ動かさず、俺の乳首を抓りあげた。制服の上から、見事なターゲッティングである。ピンポイントで乳首を攻め立ててくる。それが、学生プロレスで仕込まれた技術かどうかは定かではない。
「イタタッ、イテ、っちょ……千切れる! 千切れる! 二回転半してるッ!」
ジタバタと弟の股の下で悶えているうちに、新たな気配を感じ取る。
現れたのは、父と母だった。
おかしい。
皆、帰ってくるのが早すぎ。
彼らはまるで汚物を見るように俺を見下ろした。
鬼のような形相が4つも頭上に浮かんでおり、さすがの俺も恐怖を覚えた。
しかし、自殺を決意している手前、命乞いをするわけにも行かない。ジレンマである。
俺はあくまでファンキーに自殺したいだけであって、殺されたいわけじゃない。
死にたいが、殺されたくはない。
この窮地を脱するには、その辺の繊細微妙な差異を説明する必要があった。だが、今の彼らに俺の高尚な思想を理解できるとは思えない。「じゃあ、死ねよ」と、話の途中で殺されてしまう可能性すらある。
悩ましい。
そんな葛藤で一杯になった俺の頭を、父がゴルフクラブで殴打した。続いて、母親がフライパンを振りおろし、俺の鼻を平らに伸ばす。
二人はまるで餅つきをするようなコンビネーションで俺を殴り続けた。
さすがは夫婦。息の合った連携である。
他方、俺の息の根は止まりそうだ。
死ぬ。死ぬ。
脳から先に死んでしまう。
意識が飛びそうになった瞬間『バリーン』と、音が聞こえた。
ついに、頭蓋骨がかち割られて、脳味噌がお出かけしてしまったのかと危ぶんだ。
音が聞こえるや否や、俺は4人の脚で滅茶苦茶に踏みしだかれた。内臓がミックスジュースになっていても不思議ではないほどの苦しみを覚えた。
しかし、それ以降追撃されることはなかった。4人は揃ってリビングの方に駆けて行ったらしい。そのどさくさに、踏みしだかれたというのが真相らしかった。
何が起こったかは知らないが、とりあえず、目下の脅威は去ったと言える。
念のため、頭をさすってみた。コブだらけでボコボコだが、頭蓋骨は無事らしい。脳味噌は、頭蓋内に引き籠っている。
この隙に、逃げよう――とは、思わなかった。
ここで俺一人、逃げる訳にはいかない。
何か、尋常でない気配がリビングから漂ってくる。
不穏な気配が家中に充満している。
家族が心配だった。
ボロボロの体を引きずるようにして、俺は廊下を這い進み、4人の後を追った。
リビングに達した俺が目撃したのは、凄惨な光景だった。
窓ガラスが粉々に粉砕されて、フローリング上に散らばっている。そして、まるで地震か何かの災害に見舞われた後の様に、食器や調度品の類が散乱していた。
しかし、真に俺を驚愕させたのは、荒廃したリビングの有様ではなかった。
散々たる後継の中に、見慣れぬ白い影があった。その動きはスカイフィッシュの様に素早く、肉眼で姿を捉え切るのは困難だった。目を凝らし、つぶさに観察すると、真っ白い全身タイツを身に纏った中年男性であることが漸く確認できた。
明らかに変態である。
変態が家の中に居る。
恐ろしい事態である。
4人はというと、変態を相手に果敢に戦っていた。
妹は生卵を狂ったように投擲し、弟はソファーを男目掛けてブン投げる。父は1番アイアンとプレステ4を装備して男に特攻。母はフライパンで父を援護。SWAT部隊の連携もかくやというようなチームワークで変態を追い詰める。
しかし、変態は家族の猛攻を華麗に躱しつつ、母に抱きついた。そして、凄まじい速度で股間を母の尻に擦り付け始めたのである。その腰つきは尋常でなく、男の腰だけが二重って見えるほどだ。しかも、「裕子ちゃん、裕子ちゃん」などと意味不明の言葉を連呼している。非常に切迫した状況だった。
「母さん!」
俺は思わず叫んだ。
このままでは、家族全員の前で母が辱めを受けてしまう。
黙って見ているわけには行かない。何とかして阻止しようと身をよじった。だが、満身創痍の体は言うことを聞かず、立ち上がることすらできない。
俺は己の無力さに涙をこらえることが出来なかった。
――またしても、家族を救うことが出来ないのか――。
そこで、一瞬の疑念が脳裏をよぎった。
はて、『またしても』とはどういうことだ?
しかし、その疑念の解答を見つけるより早く、狂騒は終焉を迎える。
「んぬぐぅッ」
男は弟達からタコ殴りにされつつ、母に組み付いたまま、低く唸った。
その瞬間、リビング中にまばゆい光が満ち溢れ我々の視界を奪った。
光は生暖かく、全身に絡みつくように感じられた。
意識が絡め取られるように、遠退いていく。
まるで、光の津波にさらわれたように、俺の意識は洗い流されて行った。




