13(第一章 了)
7月15日(水)07:45頃。
恐る恐る目を開けると、周囲には異形達の死骸が四散していた。燃え尽きた蛇花火みたいに、黒くて脆い存在に変わり果てている。やがて、一陣の風が吹くと、それらは質量をもたない灰となって、夜の空気に溶けて行った。
その途端、濃厚だった暗闇は引いて行った。
pHの変化を敏感に察知した指示薬が、あっと言う間に透明になるようにスゥっと明るくなる。
「見ろ、もうすぐ夜が明ける」
穴家林さんが言い、僕は空を見上げる。
東の方が随分と明るくなっている。
知らなかった。
世界が、これほどの輝きに満ちていたなんて。
「結界が破れたんだ。もう誰も迷うことはない」
穴家林さんは、テカテカした顔を綻ばせて言った。
気が付くと、僕たちは集団登校中の小学生の隊列の中にいた。
黄色い帽子とランドセル。
その一団の中で、ピンクと白の全身タイツ男二人が並んで歩く。
後列の子供たちが「ワッ」とざわめき、それに反応して、前列の子供たちが振り返る。
「おはよう、諸君」
穴家林さんが紳士的に挨拶した。
二・三人の子供たちは「おはようございます」と小声で応えてくれた。
僕がロリコンであることとは関係なく、そんな彼らを可愛らしく思った。
すべてが、通常の状態に戻っている。
道は完全に分岐している。
普通に、そして複雑に、入り組んでいる。
路地を横断するサラリーマンや女子中学生達の姿が見える。
彼らにも、僕らが見えている。
僕たちが居る場所に皆が居る。
ありふれた路地。
それが、何処にでも繋がっている。
民家から朝の慌ただしい気配が伝わってくる。
食べ物の匂い。
ゴミ袋のカサカサいう音。
何の変哲もない平日の朝だ。
僕らは、そんな日常を全身に浴びる。
全身タイツを着ていることを失念するほどの清々しさだ。
いや、全身タイツを着ているからこそ得られる快感なのかもしれない。
「気分はどうだ。下呂泉君」
穴家林さんが馴れ馴れしく肩を組んできて言った。
不快ではなかった。
「最高の気分ですよ。」
僕もまた、彼の肩に腕を回し応えた。
全身タイツを隔ててのスキンシップは思いのほか心地よい。
制服姿の女の子が『長谷田』という表札のかかった民家から出てきた。
おそらく高校生くらいだろう。
彼女は肩を撫で回しあう我々を見ると、
「うわ、キッショ」
と吐き捨て、家の中に舞い戻った。
奥の方から、
「おかーさーん、110番してー」
という声が聞こえた。
我々は改めてお互いの姿を確認し合い、笑いあった。
本当に、みっともない恰好である。
みっともないから、最高だ。
「また、会えますかね?」
僕は穴家林さんに問う。
「さあな。人生が一本道でないならば、また巡り合うのかもな」
我々はそれ以上言葉を交わさなかった。
交わさなくとも、解り合える。
会えるさ。
きっと。
僕たちは帰れない通学路を克服した。
その未来は、何処にでも繋がっているのだから。
「じゃあな」
穴家林さんはそう言うと、尻をポリポリ掻きながら背を向け歩き出した。
通路を横断する女子中学生の一団が、ギョッとした様な顔をして逃げて行く。
僕は無言でそれを見送った。
***
僕はきっと、今後もロリコンのままだろう。
だけど、ロリコンでありながらも、大人の女性も愛せる自信があった。
なにせ、あんな化物でも愛することが出来たのだ。
普通の人間を愛せないわけが無い。
勿論、僕自身を含めて。
もしも、こんな僕であっても、人を愛する権利があるのなら、大きな姿見を一枚買って、モテ仕草の練習をしてみよう。
バイトもしよう。
合コンにも行こう。
愛の狩人になってやろう。
そして、いつか心から愛せる女性が出来たら、全身タイツのペアルックを着て、海の見える教会で、永久の愛を誓い合おう。
想像するだけでハッピーになれる。
僕は、素敵な夢を手に入れていた。
生まれて初めて、自分を肯定していた。
もはやかつての卑屈な僕ではなくなっていた。
見ると、前方から婦人警官が駆け寄ってくる。
さっそく僕は、彼女に微笑みかけ、求愛のウインクを飛ばしてみせた。
***
《余談》
連行された僕と穴家林さんが交番で再会するのは、それから10分後の出来事であった。
【帰れない通学路・了】




