かぐや姫 5
視界の隅でつまらない講義が揺れていた。
「ちょっと……あんた、最近寝不足なんじゃない?」友人が小声で言いながら脇を小突いた。
はっとしてハナはノートの殴り書きを見つめた。自分で書いたとは思えないぐちゃぐちゃの字が不規則にノートに吹き荒れていた。
「そんなことないよ」ハナも小声で呟き、伸びをした。本当はその通りだった。昨日は全く眠ることが出来なかった。脳裏からナイフを持つカグヤのビジョンが離れなかったのだ。
しかし、不思議なことにカグヤを家から蹴りだす、という考えだけはハナを支配しなかった。
アパートに帰ると、部屋は真っ暗だった。そろりそろりと廊下を進み、ドアを開けると淡々とカグヤのすすり泣く声が聞こえてきた。ハナは電気を付け、「ただいま」
カグヤは答えず、まだ泣いていた。
ハナは静かにカグヤに近づき、その体に触れた。
「は、ハナさん……」
カグヤはその真っ赤な目でハナを見つめた。繊細で透明なガラスみたいな目だった。
「カグヤ……」殺人鬼かもしれない少女。もの凄い怪力。ハナはカグヤをじっと見つめ、「ねぇカグヤ、泣いてばっかりじゃダメだよ」
ハナは幼少期の自分に誰かが言った言葉をかけた。
「何が哀しいのか教えてくれれば、私も力になれるかも」ハナはカグヤの危険性もすっかり忘れてカグヤの瞳を至近距離で見つめた。
「私……私が嫌いなんです。嫌なんです」カグヤは荒れた唇を震わせてしゃがれた声を出した。
「そっか」ハナは荷物をおろし、そっとカグヤの隣に座る。
「カグヤって昔の、いや今もそうだけど、私にそっくり」
「え……」
ハナは口ずさむように、「あたしさぁ、たまに自分が自分でいることが嫌になっちゃうんだ。とんでもなくどうでもいいことでね」
ハナはゆっくりとカグヤに顔を向け、「この髪とかね、私このくすんだ色大っ嫌い。この性格も、このちょっとたるんだ身体も何もかも嫌い」
カグヤはただハナの言葉に耳を傾けている。
「でも、自分を愛してくれる人がいるって思うと死ねないなって思うんだ。後になってからなんてバカなこと考えてたんだって思ったりして……」
ハナはゆっくり立ち上がり、「そんなことを思うたび、私は私の事を少しずつ好きになれる気がする」
ハナはそれが気でしかないかもしれないことから目を背ける。だって、私は私が嫌いだ。
さぁ、とハナはカグヤに手を差し伸べ、
「『恥の多い生涯を送って来ました。』なんて思ったりしながらね」カグヤは自然とハナの手を握りしめた。白い指が巻き付き合う。
「見て」ハナはカグヤと一緒に体の方向を変え、部屋にある姿見を指さす。そこには長身のやつれた女と小さい女が映っている。
「カグヤ、いっーって言って」
鏡の中のハナが言い、カグヤは何をやるやら分からないままに、「い……いー」
「そう、それ」
ハナは満足そうに頷き、「でも、そんな風に威嚇する見たいじゃなくて、こんなふうに」
ハナは鏡の中の二人に微笑みかけた。
「ほら」ぼんやりするカグヤにハナは言う。
「え……でも私、やり方が……」
ハナは有無を言わせない。カグヤも仕方なく、それを真似する。
「いいじゃん、いいじゃん」
ハナはカグヤが体を触られることを嫌うのも忘れて、「こうすんの」
指でカグヤの頬を無理やり引っ張り上げた。
「こ、こうですか……」
鏡の中のカグヤはぎこちなく、微笑んでいた。
「私、こっちのカグヤの方が好きだな」
「私も……好きです!」
「嬉しい?」ハナが訊くと、
「え、ええ」
「人は嬉しい時とか楽しい時に笑うんだ」ハナはそう言って微笑んだ。
「そうなんですか……」
最初に会った時から随分と弱弱しい感じになったな、とハナは思った。
「うん、私は楽しいよ、嬉しいよつて事を相手に知らせるためにね」
ハナはカグヤの頬を伝う涙を拭う。「適度に泣くのは良いと思うよ。でも、泣きすぎはダメ。涙が流れてちゃ、ちゃんと物を見られないから」
ハナが静かに呟いた。カグヤは反対の頬の涙を振りはらって微笑んだ。
読んで頂き、ありがとうございます。