かぐや姫 2
竹林を抜け、二人は住宅街を進んでいた。
「そう言えば、あなた名前は?」ハナが訊くと襲撃者はそんなものはない、とごく視線な様子で言った。
「それじゃ困るのよ」
「名前なんか必要……?」襲撃者は低い声で唸る。
ハナはそんな彼女をぼんやりと眺めていた。浅黒い顔だがアジア系で鼻が高く、目が鋭い、そんな顔を疑問で歪める襲撃者は少し愛らしかった。
「そうね……竹林であったからカグヤってのはどう?」ハナは冗談のように言った。
襲撃者はそれを聞いて考え込むと、「うん」
「え、本当にそれで良いの?」
襲撃者は頷いた。
。
「カグヤ……カグヤか」うわの空でカグヤは自分の名を反芻し始めた。まるで名前を付けられたペットのようでかわいらしく見えた。
「さぁカグヤちゃん。ここが私たちの家よ」竹林でいきなり襲撃してきた不審者を自分のアパートに招き入れるなんて、明らかに常軌を逸している。しかし、カグヤにはなぜか放っておけないオーラを発している気がした。
「家……」カグヤは狭い玄関に入り、その部屋を興味深く眺めた。その瞳は純粋な子供のようだった。
「ちょっと……電気、電気」ハナは急いで電気をつけた。カグヤはなぜそんなことをするのだ、というように首をひねる。
狭い廊下に頼りない光が照らす。カグヤは光に目を細め、顔を背けた。
「狭いけど良いかな」
カグヤは部屋を無言で眺めると、「良い部屋」
感情と言う物がまるで宿っていない瞳がハナの部屋を見回した。
「ありがとう。でも実家はもっと広いんだ」
カグヤは、そう、と言うと床に静かに腰を下ろした。
「ねぇ……カグヤの実家ってどこなの?」近くにあったクッションをつまみながらハナはカグヤに訊いた。
「実家……?」カグヤはきょとんとした顔でハナを見つめた。その瞳は何か大きな恐怖にさいなまれている幼子を感じさせた。
「実家……なんて、知らない」唇を噛んでカグヤは喘ぐように言った。
目が焦点を失って震え、息を荒くして、カグヤは喘いだ。
「わっわたしは……」カグヤは顔を歪め、唇を思い切り噛んだ。相変わらず表情と呼べるものは顔に浮かんではいない。鋭い犬歯は唇を裂き、一筋の血が唇から滴った。すらりとした長身とその頬のこけた顔がカグヤをどこか吸血鬼のように見せた。
「カグヤっ血が!」
はっと我に返り、血を拭うカグヤは何故かエロティックだった。
「ごめん……なさい」
ハナはティッシュを数枚、カグヤに手渡した。カグヤは丁寧に血を拭うとそれを手品のように隠して見せた。
「すごおぃ!」
「え……?」カグヤはきょとんと眼を見開いてハナを見た。そのさまは疑問に頭を悩ませる幼子そのものだった。
「そ、そう……」カグヤは震える指で残りも同じように跡形もなく消してしまった。
ハナがほめるとカグヤは、何を喜んでいるのだ、というようにハナをじっと見つめた。その顔は透明で無邪気だった。案外、かわいい子だ、とハナは思った。
もしかしたら私より年下かもしれない、とハナはその無邪気な顔を見つめて感じた。
あまりに精悍な顔つきはカグヤの年齢を分かりにくくしていた。
「ねぇ、カグヤ、なんでここに来たか本当に教えてくれないの?」
カグヤはハナの問いに固まった。
「それは言えない。でも、迷惑は……できるだけかけない」カグヤは頭を垂れてしまった。
「ごめん、ごめん。いいよ別に」ハナは慌ててカグヤの肩を触った。その瞬間、カグヤはびくりと震え、ハナの手を強くたたいた。
謝る暇もなく、ハナは激痛で手を抑えることとなった。
「あっ……ごめん」カグヤの素が一瞬だけ出たような気がした。
「いいの……触られたくない人っているから」
ハナは真っ赤に腫れた手をさすりながら謝った。
申し訳なさそうに頭を垂れるカグヤを見たら、責めることなどできなかった。なんだかよくわからない子だな、とハナは思った。
「そうだ、シャワー浴びなよ」ハナは何ともないというように手を広げて、微笑んだ。カグヤは腫れた手を悲しげに見つめていた。カグヤは少し眉をひそめただけで悲しそうであった。
「本当に大丈夫?」カグヤはばつが悪そうに訊いてきた。その手は所在なさげに指をいじっている。
「大丈夫よ」ハナは痛みにこらえ、微笑んだ。
「じゃあ、借ります」カグヤはハナを見つめながら風呂場に入って行った。
ハナは急いで水で腫れたところを冷やした。ちりちりと痛みが肌を噛んだ。これからどうなるのだろう。ふとため息をついている自分に気が付いた。
ハナは一人になった途端に猛烈な不安と恐怖に襲われ、携帯端末を付けた。
するとそこには差出人不明のメールが届いていた。それは視界の隅でハナを嘲笑う可能用に表示されていた。ハナは寒気を感じ、カーテンを閉めなおし、メールを見た。そこには「妹との接触と受け取りを確認したため、記載の金額を口座に振り込んだ」と言う物だった。
ハナはさっきのメールを確認して、ぞっとした。そのメールは文字化けし、もう読めるものではなかった。これが偶然であるはずがなかった。ハナはうすら寒い物を感じながら、自分が何かとてつもない事に巻き込まれてしまったことを悟った。
「仕方ない」ハナは一人つぶやき、実家に電話をかけた。看護師の母親は今日も夜勤で帰っていなかった。父親は幼い記憶の中にしかない。
父親の記憶は吐き気を催した。コールが何回かなって祖母が出た。ハナはなんでもない話をしながら、自分の中の不安を吐き出していった。電話を終えるとカグヤの事もなんとかなる様な気がした。
「あの……」風呂場から声が聞こえ、放心していたハナははっとした。そう言えばタオルを渡していなかった。ハナはタンスからタオルを取り出し、カグヤに渡した。
モザイクガラス越しのカグヤの肉体は細く、逞しかった。女性の丸みや柔らかみと言った物が一切抜け落ちていた。もしかしたら男なのでは、と一瞬思ったが、忘れることにした。
しかし、カグヤの男性的な肉体はハナの脳裏に鮮烈に刻み込まれていた。
ハナ、逃げなさい。ふと父親の声が脳裏に浮かび、ハナはそれを意識から追い出した。
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