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神は堕ち、そして  作者: 賢河侑威
プロローグ
2/9

かぐや姫 1

 少女は闇の中を這っていた。心臓の音と自分の息がやけにうるさい。


 何でこんなことになってしまったのか。少女は涙を流しながら、狭い闇を這った。汗で床が濡れる。その後ろを静かに黒い塊が追う。


 無音で無機質な塊は迫ってくる。


「お願い、ジョークとかならやめて!」少女は震える声で叫んだ。


 それでも闇の足音は刻一刻と少女に近づき続けた。まるで閉め忘れた蛇口から水が滴る音のように規則的で冷たい音が近づいてくる。


 少女は意を決し、自分を追う者を見た。頼りない電灯が一瞬、追う者の端正な顔を輝かせる。その顔には感情と呼べるものが全く宿っていなかった。


 追う者の手の中で何かが冷たく輝く。少女は追う者の手に握られている物を見て、戦慄した。

「お願い……なんでこんなことをするの」

 追う者の手の中に握られていた物、それは黒光りするナイフだった。


「なんで……カグヤ?」少女は嗚咽しながら問う。自分の息が異様にうるさく感じられた。


 確かに少しおかしな子ではあった。しかし、こんなことをするとは思ってもいなかった。少女は自分の推測を叱咤した。


 あの時、拾わなければ……。


 ゆらり、と塊は少女に近づく。まるで影のようにぬるりと追う者はナイフをつき出した。


「やめて!」

 一瞬、少女の背骨が凍ると思われるほど冷たい物が這う。少女は恐怖で反射的に立ってしまう。それを追う者は逃さなかった。


 少女は刺される前に追う者の顔を見た。短髪に包まれた中性的で端正な顔。感情と言う物を一切宿していない瞳。


「なんで……」


「ごめんなさい。吉田さん」低い声。


「やめ……」

 少女が呟くと同時に、どつ、という鈍い音がして、ナイフが少女の腹に飛び込んだ。ナイフは滑るように少女の肌を裂き、肉に入ってきた。焼けるような痛みが異物のように腹の中を掻きまわした。

 少女は激痛でもだえ、震えた。少女は激痛に耐えながら、ナイフを探った。震える指が冷たいナイフに当たる。それはぞっとするほど冷たい。


 息が詰まる。


 眼球が狂ったように震えた。


 腹に手が触れると、ぬるりとした物がべっとりと付いた。


 嘘でしょ。


 少女は床に広がる真っ赤な液体を見て、ふと意識が遠のくのを感じた。


 なんで、少女は意識が途切れる最後の瞬間まで問う。一瞬のうちに走馬灯のように浮かぶのは、ここに越してきてからの事とあの少女の事。沈んでいく意識の中、少女は昨夜までの生活の事を思い出していた。




 始まりは4月の事だった。吉井ハナは、期待と不安を胸いっぱいにして地元から越してきた。


 大学の入学式を終え、少しずつ新生活に慣れてきたある日、運命は狂いだした。


「詐欺メールかな……」ハナは視界に浮かんだメールを見てふと呟く。


 コンタクトの拡張現実には、差出人不明のメールが簡素な装飾とともに映っている。差出人に欄にはただ、BFとだけ。ハナは寒気を感じ、窓の外を眺める。そこにはねっとりとした闇があった。光の加減で鏡になったガラスには中学生のような少女が映っている。そばかすのある童顔をふわふわした栗色の長髪が包んでいる。


 ハナは闇が動くような錯覚を見て、カーテンで窓を覆う。


 問題はメールの内容だった。メールの内容は「妹を指定した場所に連れてきたので、それを受け取り、連絡があるまで預かって欲しい」と言うものだった。間違いメールかとも思ったが、指定された場所はハナの住むアパートから近い竹林だった。住所や地図も掲載されていた。


 ハナはその用意周到さに寒気を感じなかったといえば嘘だった。


 人類の運命を変えた「堕天」の日以来、大量に出た行方不明者の一人になるともわからなかったが、それでもハナは行くことにした。


 洗面所に行ってコンタクトを付け直す。これがないと拡張現実を表示できない。


「来てから30分しか経ってないし大丈夫でしょ……」


 ハナは面倒だと思いながら、大事があってはと竹林に向かうことにした。本当は別の意図もあった。ふと母親や友人の声が蘇る。―ハナはさ、子供っぽいよね。大人にならなきゃ。


 携帯端末を操作し、視界の表示を消す。


 祖母からもらったカーディガンを着て外に出る。化粧に時間をかけすぎてしまったことを後悔した。


 ただ少し散歩するだけなのに。


 四月の夜風が冷たく、風呂上がりの肌に肌寒い。周りを埋め尽くす闇だけが不快だった。しかし、こんな夜遅くに幼い少女が一人で竹林に取り残されるのはハナとしては放っておけなかった。


 ハナの中では妹と言うと幼い少女以外に思いつかなかった。彼女を養うことが出来れば、私だって大人だ。自律した。


 青い闇の中、オレンジ色の光が家から漏れるのをハナはぼんやりと見つめる。家からは楽しげな声と様々な臭いが溢れてくる。ハナにはそれがやけに暖かく感じられた。そして自分が嫌にわびしくも感じられた。


「寂しいなぁ」ふとため息と共に声が漏れる。ぱたぱた、とサンダルの音が闇の中で寂しげに響く。

 家族から離れ、異郷の地で一人暮らす寂しさをハナは痛感していた。だからこそ、嘘や詐欺だとしても真偽を確かめずにはいられない気持ちもあった。


 アパートを出て、すぐ曲がると急な斜面の道があり、そこを上ると指定場所である竹林につく。


 吸い込まれるような闇の中で取り残されたように電灯が光っている。竹林は風で不気味に揺れていた。サンダルで竹の葉を踏むと不気味に鳴る。ハナは恐る恐る竹林を進む。


 小学校のころに読んだお化けの森みたいだ、とハナは思った。


「私もお姉さんか……」詐欺や勧誘、もしくは誘拐のための手引きかもしれない、と言うことなど考えずハナは鼻歌交じりに竹林に入る。


 実はハナにはこのメールが来たことに心当たりがないわけではなかった。


 高校時代、三か月に一度あるアンケートにハナは何回も「妹が欲しい」と書いていたのだ。生徒たちの心理的な傾向を探るためのアンケートは個人データとして整理され、統計化された後に教育機関を通じ、政府に届けられる。その過程で様々な機関に情報が渡るので、何処から情報が漏れたとしても不思議ではない。


 ハナは冗談半分本気半分で書いた「妹が欲しい」と言う願いが届けられたことに興奮し、冷静な判断力を失っていた。


 ハナはさわさわ、と揺れる竹を避け、林の中心の広場に出た。真っ暗で何も見えない。ここが約束の場所であった。


「誰もいないじゃん…」駄々をこねる子供のようにふくれて呟くが、それは闇に消えていく。

 初めからわかっていたことだ、と髪をいじりながらハナは歩き出す。ああ、イライラする。このくすんだ色の髪の毛みたいに。


 もしかしてバカを見た私を誰かが隠れて見ていて笑っていたりして。ハナはぼんやりと周囲を眺めて再び歩き出した。


「吉井ハナオさん?」アルトの低い少女の声が背後からハナの肌をなでる。ハナは冷たい汗が背中を伝うのを感じた。


 ハナは勢い良く振り返り、竹林を見るが、そこには誰もいなかった。風が竹の葉を揺らした。

 ハナは会う人あう人に自分を「ハナ」と呼ばせていたので初対面の人物であることはすぐにわかった。


「そうよ。隠れてないで出て来なさい!」誰か知らないやつが自分を騙して遊んでいる、と言うことに怒りが沸き、自然と叫んでいた。


 しかし、その声は、さわさわという音にかき消されてしまう。それからもハナの問いに応える者は居ず、ただ風の音だけが聞こえた。


 真っ暗闇の中、自分が一人でいることを始めて強く感じ、初めてハナは恐怖を感じた。不安で体が震え、肌が泡だった。


「バカにして!」ハナは震える声で叫び、闇に向かって一目散に走り始める。それはハナの過去への叫びでもあった。


 しかし、足がもつれて大きな音を立てて転んでしまう。その瞬間、ハナは誰かが自分の足を引っかけたことに感覚で気が付いた。黒い棒のような塊が眼下に現れたのだ。


 ハナは一瞬、意識を失った。意識が戻ると自分の上に何か重量のある物が乗っていることに気が付いた。


「な……」動こうとしてハナは自分が相手に押さえ込まれている事に気が付いた。ハナは恐怖で必死に足掻いたが、さっぱりと体が動かなかった。まるで岩石に押し潰されているような感覚だった。


「あの」がむしゃらに体を動かすハナに上に乗っている者が声をかけた。


 ハナは驚き、素っ頓狂な声をあげる。


「メールに記載されていたコードを言って」顔を上げたハナの眼に上に乗っている者の顔が見えた。とても短い髪が中性的な顔を包んでいるのが見えた。その瞳は月あかりに照らされ、艶めかしく輝いていた。

 

 ハナは思い出しながら、「1052、1052!」息を詰ませながら必死に叫んだ。


 すると上に乗っている者は、「仲間は来ていないですよね」と無感情な声で訊いてきた。


 ハナは何度も頷いた。取りあえずこの状況から解放されたかった。


「イエスかノーで」


「い、イエス!イエスよ」ハナは喘ぐように言った。すると拘束が解かれ、襲撃者は素早くハナから離れた。


「あなたは何者なの……」ハナは痛む腕を回しながら訊いた。


 拡張現実のプロフィール欄は真っ白だった。


 つまりネットの接続自体が今初めてというわけだ。ハナはそんな者がこの社会にいていいのか、と思った。

「妹……です」襲撃者は抑揚のない声で言った。改めて襲撃者を見ると、ハナより身長が高く、とても妹とは言えそうになかった。


「あなたが……」ハナは襲撃者を舐めるように見た。妹を自称する者は動きやすそうなジャージに身を包んでいた。


「あなたは……学生?」ハナは夢見心地で訊いた。これは夢だ、と心の奥底では思っていた。

「今は私の所属は言えないんです。でも、学生ではない事は確かです」


「はぁ……」ハナは自分の頬をつまみ、痛みをかみしめた。


「それで……あなた何で私の家に?」


 襲撃者は冷たい視線をハナに向け、「それは言えない……でも、私は危険な者ではない」そう言ってぎこちなく両手を開いた。指は震え、がくがくと震えていた。なんだか人形みたいだとハナは思った。


 後ろに黒子が居たら面白いのに。


「はぁ……」何もかもが夢のようでハナはもう一度頬をつねった。痛かった。



読んで頂きありがとうございました

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