序章 地獄
ハヤカワSF第三回に応募するも一次予選で撃沈したものです。
何なんだ……その眼は。
目隠しを取ったロバートは、皆の視線を痛いほど感じた。頭に取り付けられた機械をむしり取り、皆のもとに駆け寄る。
各分野の天才達が不安で顔を歪めていた。まるで幽霊でも見たようだ。幽霊なんて最先端技術を発明する場所には似合わないジョークだ。
「主任……どうだったんですか」
ロバートは震える声で初老の男に声をかけた。主任と呼ばれた初老の男は画面に釘つけだった。その顔は青ざめ、表情はこわばっていた。他の皆も同じようにさっきの実験の映像に釘付けになっている。
「主任!」
ロバートの声で主任の男がゆっくりと顔を向けた。その顔は青ざめ、映画のゾンビを思わせた。
「ああ……君か」主任が話そうとするのを拒み、一人の男がふざけた態度で話しかけてくる。「なぁロバート、やめようぜ。こんなジョーク、面白くないぜ」手入れのしていない髪の毛を神経質にかきむしる様はこの男も焦っている証拠だった。
ロバートは皆の瞳が揺れているのをぼんやりと見ていた。黙っているロバートを男は髪をかきむしりながら罵倒した。ロバートはぼんやりとそれを聞いていた。どうしてこんなことになってしまったのだろうか。ふとロバートは今回の実験の事を思い出す。米国防高等研究所の研究の一つである人間の潜在意識を言語化するというプロジェクトの被験者に選ばれ、卑猥な妄想や人への憎悪が言語化されてしまうのではと思っていた昨日が懐かしかった。皆の表情はそれをはるかに超えた物を見てしまったことを表していた。
「主任、これはジョークですよね」さっきの男が頭を掻きながら笑う。その笑みは恐怖で歪んでいた。歯が恐怖でかくかくと鳴っている。
「ロバート君、君も見てみたまえ」主任はそんな男を無視してロバートに話しかけた。ロバートが頷くと、震える手で主任はイヤホンをロバートに渡してきた。ロバートは手の震えを感じながら、それを受けとった。
一体、何を言ったのだろう。俺の潜在意識は。
焦ってイヤホンをつけ、ロバートは聞こえてくる電子音声に耳を傾けた。柔らかいが抑揚のない女性の声が耳に入ってくる。
『私たち人間の本当の……』
電子音声が告げた言葉をロバートは受け入れられない。ロバートは冷や汗をかきながら、それがジョークであることを誰かが教えてくれるのを待った。しかし、それは一向に訪れず、人工音声は耳を疑いたくなる言葉を紡ぎ続けた。そして、言葉は明確なビジョンとなって脳内で爆発した。背骨が凍るようなビジョンがロバートの脳内を蹂躙する。
気が付くと、周りはひどく暗かった。ロバートは異常な情景を眺め、自分がビジョンの中にいることに気が付く。ここは夢か……。不安げにあたりを見回したロバートの眼窩に飛び込んできた物、正確には脳の奥に封印されていた映像は、地獄そのものだった。
真っ暗な廃墟の中で百鬼夜行のような化け物たちがげらげらと笑いながら人間を喰らっていた。何匹いるのだろう。まるでこの世のすべてを覆い尽くしたかのように大量の怪物がいた。
暗闇の中でその皮膚の光沢が異常な存在感を醸し出している。まるで木版画の世界に飛び込んでしまったかのような錯覚を受けた。極彩色の怪物たちはすべて、異常な形態をしていた。生えるはずのない場所に、そこにあるべきではない場所に目や口がつき、人間をあざ笑うかのように大量の足や腕が蠢いていた。関節があらぬ方向に曲がり、どろどろとピンクの肉塊が揺れる。ロバートは生理的な嫌悪を感じ、目を背ける。不思議と恐怖が沸かなかったのは諦めと絶望のせいだった。
しかし、映像は目に焼き付いて離れない。一匹が、げひげひ、と下手くそな息継ぎをしながら動き始める。嫌に白い歯がてらてらと輝く。化け物たちはミルトンの『失楽園』で地獄に落ちた悪魔たちを彷彿とさせた。大量の目が、鼻が、指が男を嘲笑うかのように蠢く。人間の掌の形をそのまま羽にしたような蝶が飛び、ぬるい風がロバートの頬をなでる。そこはまさしく地獄だった。ロバートは自分が少しずつ脱力していくのを感じた。
「うっうわぁああああああ!」
ロバートは自分の絶叫で目覚めた。一瞬、ロバートは自分の部屋のベッドで目覚めるかと思った。光が目の前に広がっていく。しかし、そこはさっきまでいた実験場の映像室であった。周りには何人もの人間がたむろし、ロバートを畏怖で歪んだ視線で見つめていた。さっきの地獄のビジョンは紛れもなく現実のものだった。
「嘘だろ……」ロバートが憔悴してイヤホンを外すと、女性の泣き声が聞こえた。皆の視線が女性に集まる。
「神様ァ……」
押し殺す声に恐ろしいほどの悲壮が感じられた。女性はその場でへたり込み、啜り泣き始めた。皆は女性の見た物を見て、がっくりと肩を落とした。そこには他の被験者の映像が映っていた。被験者の潜在意識が言語化され、言葉はよどみなく吐き出されていた。その言葉はロバートの見た物と全く同じものだった。
「は、ははは……」
誰かが笑うけれど、実験室に漂う雰囲気はさらに重くなる一方だった。実験室を支配していた感情の渦、それは絶望と畏怖だった。
それから数時間後、謎の爆破事故でその実験施設は跡形もなく消失した。最後に外部に送られたデータには「神は、居た」と言うメッセージが残っているだけだった。
読んで頂きありがとうございました。