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二十九

 ちり、と小さな青白い火花が散った。


 『裏新宿』の一角に立つ椿会本城、椿邸の一室に隔離されていた万葉を襲ったのは、手首に飾られていた朱い腕輪による戒めだった。

 稲妻のような青い流線が腕輪に一瞬だけ走ったのは何故か、深く考えずとも答えは直ぐに浮かんだ。


「……また可笑しな無茶をしてるんじゃないでしょうね」


 ある少年の顔が、脳裏の端にちらつく。

 分を弁えているようで弁えておらず、自覚もなしに超えてはならない境界線をあっさりと踏み越えてしまいがちな彼のことだ。不要な責任感に駆られて、今もどこかでこの事件を解決しようと、奔走しているであろうことは容易に想像できた。


 窓もない殺風景な和室から出ることを許されていない万葉に、桐人の様子を確認する術はない。

 開け放たれた襖の向こう側に広がる縁側と静かな日本庭園から、一歩でも踏み出ようものなら、後ろへ手が回ることは目に見えていた。

 別に何も悪いことはしていないはずなのだが、この屋敷の者からすれば万葉は完全なる悪にしかならなかった。


 無感動な瞳を、中庭へ向ける。


 夏であるはずなのに喧しい蝉の鳴き声は聞こえない。熱帯雨林のような茹だる暑さもない。

 しかし、日差しはあるし、小雨も今朝がたまで降っていた。鼻腔まで届く湿った土と葉の匂いが、その証拠だ。

 人の世と違うようで、類似するものがある景色を感慨無く眺める。

 静かだ。

 『椿の毒』や、裏切り者について手掛かりを掴むまで万葉を解放する気はないらしいから、早速なにか仕掛けてくるかと思っていたが、まるで何もない。どころか、ご丁寧にも朝食と昼食の用意までされてしまった。


 肝心の『お蝶さま』も忙しいのか、昨晩、夕飯をともにしたっきりだ。

 万葉につけられた監視もいつのまにか数を減らし、開け放たれた襖の横に座る男ひとりだけになっていた。

 いや、目に見えていないだけで、どうせ其処ら彼処でじっと息を潜めて万葉が行動を起こすことを待っているのだろう。


 知らず、哀愁めいた溜息が万葉の薄い唇から漏れた。途端、

 

「調子はどうだい、客人?」


 音もなく気配もなく、自然かつ不自然な唐突さを持って、陽気な台詞が飛んできた。


 こちらに背を向けて正座をしている、監視役の男ではない。

 右の襖の後ろから、焦げ茶色の板張りの縁側に伸びる影がある。

 突如現れた影に驚くことなく、庭園に注いでいた視線を上げれば、襖の後ろからひょっこりと右半身を覗かせる強面の男を見つけた。

 ひょっこり、という可愛らしい形容詞が似合う姿勢ポーズではいるが、五尺以上はある上背にはその実、堅気には無い迫力がある。


「……どういう風に見えます?」


 ふっと、万葉は笑って問い返した。目が笑っていない。見事なまでの見え透いた愛想笑いだった。

 何が可笑しいのか、くつくつと喉を鳴らしながら男は襖の後ろから進み出る。


「物憂げな表情をしていた。よほど退屈に見える」

「……そうね。朝昼晩と豪勢な食事を用意してくれるのは嬉しいけど、娯楽も何もない部屋はいただけないわ」

「庭があるだろう。ちっとは自然を楽しめねぇのかい?」

「散歩なら足の裏が痛くなるくらい、さっきまでしたわ。凄まじい存在感を放つ、有能な監視かべ付きで」


 笑う男とは別に、微動だにすることなく縁側に正座したままの大男を、ちらっと横目にしながら最後の台詞を口にしたのは、万葉なりの嫌みだ。


 朝のちょっとした考えごとのために、気持ちを和ませてくれるうららかな日差しを浴びようと一歩踏み出した万葉の前に立ちはだかった、太陽を遮る壁のような巨漢。あれから既に二辰刻は経っているはずだが、せっかくの気分転換リフレッシュが台無しにされた不満は、今でも胸中で僅かに燻っていた。

 無口なくせに派手な道化師のように人目を引く当の人物は、素知らぬ顔で悠々と中庭を眺めている。


「まあまあ。ぼうに悪気はねぇんだ。許したってくれよ」

「別に許すも許さないもないわ。それが彼の仕事なんでしょう? ただ、日本家屋にスーツってどうなの。すごい違和感を感じるのだけど」

「如何にも八九三やくざってぇ感じがするだろ?」

「それ、認めてしまって良いの?」


 椿会は一応、『裏新宿』の自治体を名乗っているはずだ。

 そう思って万葉は方眉をつり上げながら確認をするが、男――搗山は肩をすくめて笑うばかりだった。


「しかし、背広のことを指摘されたのは初めてだな。そんなに可笑しいか?」

「普通であれば違和感はなかったでしょうけど、彼以外、全員きものを纏っているじゃない……というか、あなたも昨日はでなのを着てたわね。しかも、パンチパーマにサングラスとか――」


 どこの任侠映画だ。

 21世紀現代、時代錯誤なそのかみがたは、いわば絶滅危惧種に近い。

 やはり『隠り世』の者だけあって、人とは時間の流れが違うため、未だにそんな髪型を好んでいるのか。

 まあ、流行り廃り関係なく、万葉からすればその格好スタイルは理解しがたいものであるが。


「今日は、和装なのね」


 昨晩と打って変わって、搗山は地味な墨色の着流しを身に纏っている。

 しかし、相変わらずな髪型と蜻蛉目みたいな眼鏡のおかげで、物騒な雰囲気は相変わらずだった。むしろ、黒い着流しの方がより血生臭さを感じる。


「洋装を好んで着るのはウチじゃあ、塗り坊くらいだ。わしも他の組員も基本、着物の方が幾分か動きやすい」

「……変わりもの、というわけだ」

「まあな」


 黒いスーツに朱いマフラーという、夏場には忌避される格好をした監視、もとい、塗り坊。

 こっくりこっくりと黒い頭が首振り人形のごとく揺れているが、あれで果たして監視役として務まるのだろうか。


「おい」


 ぺしりと搗山が塗り坊の頭を叩いた。さすがに駄目だったようだ。

 

「寝るんなら、茶を持ってこい、茶を」

「……茶葉は」

「抹茶つくってこい。菓子はみたらしな」


 こくりと一つ頷いて、のっそりと黒い山が動いた。

 朱いマフラーの端をゆらゆらと振り子のように揺らしながら、縁側の向こうへと歩いて行く。

 その姿をなんとも形容のしがたい気持ちで見送りながら、万葉は何度目になるか分からない溜息を吐いた。

 なんだか、調子がくるう。


「どれ。暇なら、ちょっとワシと茶でも飲むか」

「昨日も同じこと言ってましたけど、結局は尋問でしょう」

「なぁに言ってんだ。アンタらの質問にも答えたじゃねぇか。ちぃっとばかし危ない鉛玉を捻じ込んではいたが、賑やかな明るい雑談だったろう」

「賑やかな、あかるい雑談ねぇ……」


 なるほど。

 確かに憤り立った輩のおかげで賑やか(・・・)、かつ、赤い涙(・・・)でも流れそうな、雑然・・とした談話場だった。――まあ、万葉もその原因の一端を作っていたのだから、相手を強くは責められないのだが。

 そんなことよりも、だ。


「ねぇ、搗山さん。質問には答えたというけど、椿の毒とは何か――その答えを、聞いてない気がするの」

「……おやぁ?」

 

 どさっと、和室の隅に積まれた座布団を拾わず、そのまま畳に腰を落とした搗山に問えば、なんともわざとらしいすっとぼけ面を返された。

 けれど、気を害した様子を見せることなく、万葉は平坦な口調で続ける。


「禁忌だ禁忌だ言ってるけど、何がどう禁忌で、なぜ持ち出してはいけないのか、答えてないじゃない」


 大体、持ち出してはいけないとは言っているが、搗山たちは肝心なことを幾つか説明していない。

 そう。例えば、


「一体、どこ(・・)から持ち出してはいけないのか、それさえも聞いてない」


 小さな微笑みとともに問題を掲げて、じっと搗山を観察する。

 相変わらず、すっとぼけた面のままだ。

 ふっと、また溜息がこぼれた。


「べつに、答えなくても良いわよ」


 最初から、答えなど期待していなかった。

 「だから」と、言葉をつなぐ。


「ただのお茶だって言うなら、自慢の甘味を用意していただいて、ゆっくり抹茶を啜りながら雑談しましょう」

「おう。なにか、話題でも提供してくれるのかい?」

「人の話、聞いてました?」

「質問には答えなくていいんだろう?」

「答えなくてもいいですが、話題を変えていいとは言ってません」


 どちらに主導権があるのか、分からなくなる会話だ。

 被疑者として捕縛された万葉と、万葉を尋問する側にあるはずの搗山。

 罪人を決める審問というより、長閑な喫茶店で繰り広げられるような空気に、どことなく歪さが入り交じっている。


「あんた、自分の立場わかってるかい?」

「それ、私が一番くちにしたい質問ですが?」


 はあ、と落ちた深い嘆息は、一体どちらのものか。

 二人とも、いつのまにか姿勢を崩して、楽な格好で座り込んでいた。


「聞きたいことがあるなら、さっさと聞けばいいものを……なんで、私はこんな暢気な空気で無駄な時間を潰されているわけ?」

「客人という名目で、ここに置いてるからな。あと何回も聞いているが、すっとぼけてるのはアンタの方だろう?」

「……だって、本当に知らないんだもの」


 埒が明かない、と万葉は米神を押さえた。

 お互いがお互いに、空回りをしている気がする。いや、気がするではなく、実際にしているのだ。

 万葉はおそらく椿会が求める何かを持っているし、そして、椿会も万葉の欲しい何かを持っている。事態を進めたいのはどっちも一緒だ。

 なのに、何故、一歩も進めていないのか――分かっている。


 どっちも探り合いのしすぎ(・・・)なのである。


 椿会が何故、こうも慎重なのか正直解せないが、万葉は先のリスクを考えて無茶な行動は控えていた。

 けれど、もう潮時なのかもしれない。

 無茶をしようがしなかろうが、どちらにしたって厄介ごとが待っていることには変わりない。

 昨日と今日、じっくり思考してみて、よく解った。


 そもそも事件の中心人物に名指しされ、こんな窮屈な事態に陥れられた時点で、万葉に残された選択肢は絞られていたのだ。

 頭隠して尻隠さず。古い知人にこの話が伝われば、きっと後ろ指を指されながら大笑いをされるに違いない。

 意固地な態度で無理に手札を伏せようとするから、こうなるのかもしれない。


 万葉はいい加減、先へ一歩踏み込んでみることにした。


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