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二十二

「椿の、毒?」

「そうさ……決して、持ち出してはならない【禁忌】。それが、【椿の毒】」


 聞き覚えのない名前に桐人は首を傾げた。

 椿の毒、とは一体なんなのだろうか。そもそも『椿』というのは、花の『椿』という認識で良いのか。それとも【椿の毒】というのは『椿の花』と関係なく、名称として存在しているのか。

 湧き出る疑問を喉奥でつっかえながら、万葉を横目で見た。


「その毒を、先輩……佐々木さんが持っているっていうんですか?」

「捕らえたウチの組のもんの証言によるとな」


 組員が本当に『万葉が【椿の毒】を持っている』と言ったとして、それは証言になるのだろうか。

 もしかしたら【椿会】の暴力から逃げる嘘かもしれない。

 何も答えない万葉は何かを隠しているのか、隠していないのか。どちらにしても桐人にとって搗山の言葉は「はい、そうですか」と納得できるものじゃなかった。

 事実を確かめるために、桐人は追及する。


「その組の者は?」

「……逃げた」


 それじゃあ、確かめようがない。

 間をたっぷり置いて答えた搗山には悪びれる様子もなく、桐人は眉を顰めた。

 すると、隣でずっと黙っていた万葉が可笑しそうに笑う。


「へぇ」

「っおい、てめっ何、わらって」


 癇に障ったのか、後ろに控えていた輩が非難の声を上げる。

 米神には青筋が浮かび上がっており、ご立腹なのは目に見えた。凶悪な顔をするチンピラに、だけど万葉は涼しい顔で笑い続ける。


「ごめんなさい。ただ、その逃げられた裏切り者の言葉を信じて、のこのこと私を捕らえたと思うと……ねぇ?」


 流し目で搗山を見る女の冷たい目には、揶揄いの色が混じっていた。挑発しているのだ。


「わしも完全にあの阿呆共の話を信じたわけじゃねぇ」


 疲れたような深い溜息を、搗山が吐いた。


「ただ、残った手がかりはそれだけ。血眼で奴らを探している間、あんたのことを調べれば――ひっかかる点がざっくざっくと出てきたもんでなぁ」


 要するに非は万葉にもあると言いたいのだろう。

 確かに万葉は一見変哲のない、そこらの妖のようで、よくよく見てみれば可笑しな点を幾つか抱えていた。


「確かにアンタは普通だよ。あまりにも普通すぎる」


 裏切り者の部下からその名前が出てこなければ、調べることはおろか、耳にすることもなかっただろう。

 それほどに、佐々木万葉という存在は取るに足らない、あまりにも普通の存在だった。


「うちの組員に名前を吐かれ、あの事件の日・・・・に突然姿を消してなけりゃな」


 笑う万葉を見つめていた鋭い瞳が、隣に座る桐人へと移る。綻びが出たとすれば、【黒い妖刀】の噂からだろう。

 あまりにも不自然な点を抱えている割に、普通すぎるその経歴が、逆に佐々木万葉の妖しさを際立たせてしまっていたのだ。


「しょっぴぃてくんのは、仕方ねぇだろ?」


 桐人は、鼻で笑う搗山が【山】に見えた。

 何かをしゃべるまで梃でも動かない、大きな【山】だ。押し倒すことも、超えることもできない。そんな厄介な山は、柔和な表情で宣う。


「乱暴はせんさ。まだアンタが確実に黒っちゅう証拠はねぇからな」

「随分と勝手なのね」


 これで何の関係もなく、ただの濡れ切れだと判明すれば、一体どう詫びるつもりなのだろう。

 決して口には出さないが、万葉はありありと顔でそう語っていた。それが搗山たちに届いたかは定かではないが、少なくとも桐人には通じていた。

 なんとなく今までの万葉の態度からして、彼女が【毒】の在処を知らないことは、察せられる。

 だけどそれでも、彼女が疑われている理由は――。


「少なくとも裏切り者か、【毒】の在処を知るまでは帰せねぇんだわ。分かるだろ?」


 しつこくも食い下がる搗山の声が桐人の耳元で流れる。

 黒いズボンで覆われた膝の上で、きつく握られた拳から血の気が引き、肌が白く染まる。


(俺の、せいだ……)


 あの事件で万葉へと疑いの目が向かうきっかけを作ったのは、自分だ。

 この場で一番に疑いの目を向けられている万葉とは別に、桐人が苦心に満ちた表情をしていた。

 その様子を目にしながら搗山は続ける。


「詫びの代わりと言っちゃあ、なんだが。わしも聞かれたことには、なるべく答えるが?」

「へぇ?」

 

 軽い声色に反応を示したのは万葉だ。

 まるで良い事を聞いた。というように、眉が上がる。


「それは、なんでも?」

「ああ、もちろん」


 なんでも答えてやろう。そう続くはずだった搗山の言葉は、だが、廊下からどたばたと響く足音によって遮られた。


「っ搗山さん、大変だ!!」


 荒い息を零しながら、慌てたように組員らしき妖が搗山の名を呼ぶ。

 それに気分を害したかのように、搗山は相手を睨みあげた。


「ぁあ? なんだ、騒々しい」

「陰察官が、――土御門が来た!!」



 ♢

 

 背の高い門から続く長い石畳の道。蒼然たる月光に照らされた屋敷の前で、墨色の青年が粛然と佇んでいた。

 手に武器はない。拳銃を装備した様子もない。ただ、屋敷を訪ねただけの風貌だ。

 白い肌は月光によって艶やかさを増し、その存在感を一際強くしていた。

 だが、無害に見えるはずの恰好は、しかし、その佇まいから漂う隙のない雰囲気のせいか、危険なものに見えた。

 それを証明するかのように、青年の侵入を阻むように、チンピラのような風貌をした一つ目の男が、その秀麗な顔を睨みあげている。


 ――青年、土御門春一(はるひと)が屋敷を訪れて既にどのくらいの時間が経ったのか。五分か、十分か、それとも然程の時間は経っていないのか。

 しばらくすれば、開きっぱなしの大きな門へと、玄関から二人の付添を伴って、大きな威圧感と共に影が現れた。

 春一の相手をしていた一つ目が咄嗟に「搗山さん」と、相手の名を呼ぶ。


「これはこれは。かの土御門がこのような場所に来られるとは。明日は槍でも振るんですかねぇ」


 外していたサングラスをかけ、厳つい面が口角を上げる。

 鋭い下八重歯を覗かせながら、搗山が声をかけた。


「先触れも出さずに参った非礼は詫びます。しかし、こちらも知り合い――それも人間の未成年が一緒に捕縛されたと聞けば、放っておくわけにはいかないもので」

「捕縛とは、またそれは物騒な……我々はただ組員と接触した可能性のあるものから事情を聴いていただけなんですがねぇ」


 どことなく嫌味をきかせてくる若い陰察官に、搗山は白々しくもにこやかに答えた。だけど、そこで怯む土御門春一ではない。


「そうですか。それにしては、随分と帰りが遅いようですが……」

「それは、失礼しやした。今、お帰ししましょう」

「搗さんっ!」


 なんて、簡単に搗山が返せば、後ろに控えていた妖たちが搗山を竦めるように声をあげた。それでも搗山は心得ているかのように続ける。


「ただし――」


 濁った眼に理知的な光を灯しながら、男はゆっくりと言葉を紡いだ。

 言い渡された条件に、春一の瞳が細まる。


 ♢


「なんでですか!?」


 少年の声が玄関口に響き渡る。

 暴れだしそうな桐人を抑えるように、後に合流した春一とは別の若い陰察官が、彼の肩を掴んでいた。

 

「なんで、俺たちだけ解放されて、先輩だけ捕らわれたままなんですか!?」

「そりゃあ、あのお嬢さん……いや、ねぇちゃんの疑いがまだ晴れてねぇからさ」

「疑いって、けど、先輩が【毒】を持ってる証拠なんてっ」

「それはじっくりとこれから調べる」

「そんなっ……!」


 桐人が納得のいかないような顔をした。連れ帰ろうとする陰察官に逆らうように暴れる少年に、搗山は駄々っ子を前にしたような心境で溜息を吐く。


「我々も面子がかかってるんでね。そう簡単に引くわけにはいかねぇんだよ」

「……っ」

「坊ちゃん。これはな、取引の一環でもあるんだ」

「とり、ひき……?」

 

 前触れもなく、突然落とされた言葉に、桐人は不信に満ちた表情を見せた。

 搗山を見れば、その視線は扉の横に控える春一へと移している。まさか、とざわつく心のまま、桐人が振り向けば、冷たい顔をした春一が不満を表すように腕を組んでいる。


「陰陽の警察組織が、幽世の組織と手を組む、と?」

「まさか……わしはただ、あの女子をなんの収穫もなく返すわけにはいかないと言ってるんですよ」

「佐々木万葉は捜査協力のため、現在、我々の保護下に置かれている」

「生憎だが、それはこっちにとっちゃ知ったこっちゃないんですわ――縄張りを荒らされ、組は乱れ始めている。どこぞの【糞】がバラまいた種のお陰でね」

「……」

「土御門さんよ、我々はこれでも抑えた方だ。実際、あの虫けらどもが裏新宿に押し寄せた時も、伸すだけにとどめて、あんたらの管轄には手を出さなかった」


 搗山の言葉が場を制するように、静かに広がる。それを春一はどう感じ取っているのか、ただ、黙って男の声に耳を傾けていた。


「わかるか、お兄さん? 我々は一応、ならずものなりに、あんたらの顔を立てていたし、場を弁えているるんだ。だけど、今回はそうもいかない」

それ・・は、そちらの責任だと思いますが?」

「その通り。わしらの責任だ。だからこそ、手を出さないでほしい」

「あなた方のその尻拭いのために、彼女をこのまま置いて帰れと?」

「馬鹿いっちゃいけねぇよ、お兄さん」


 低い笑い声が、男の喉を鳴らした。凶悪な牙を覗かせながら、搗山が口が裂けたような笑みを浮かべた。


「臭い匂いがプンプンする異物がそこにあるのに、そのまま投げ出すなんざ馬鹿の極みだ」


 鉛が空気に溶け込んだかのような重圧が、全員の肩に圧し掛かった。

 その感覚・・に慣れていない桐人が、息苦しさに喘ぐ。

 今までとは比にならない畏怖を感じさせるプレッシャーが、搗山から放たれていた。


「別にあのネェちゃんを悪いようにする気はねぇ。だが、あの綺麗な面の下に隠しているきな臭いものを晒すまで、帰すわけにはいかねぇんだよ」


 地を這うような恐ろしい声に、空気が張り詰める。それを壊すように、変わらない表情のまま、春一が口を挟んだ。


「交渉は……決裂どころか、最初から成っていないように思えますが」

「今、手掛かりとなるものは、あれしかねぇんだ」

「彼女は現在、我々の捜査協力者です」

「【協力者】という名の監視対象の間違いじゃなくてか?」


 搗山と春一の視線がかちりと重なり合う。色のない、強い光を宿す双眸に、搗山が更に言葉を足した。


「たとえ、アレがどうあったとしても、未成年じゃあるまいし、このまま【客人】として置いておくことに、問題はねぇはずだ」

「客人――ですか」

「ああ、そうだ。サツが口出すことじゃあねぇだろ。茶をもてなして、話すだけのことに、なんの問題がある?」


 その発言に目を瞠ったのは桐人だ。

 確かに桐人達は半ば連行されるかのような形で、大人数で【椿会】の屋敷へと招かれたが、実際に暴力を振るわれたり、刃物で脅すようなことはされなかった。怒鳴るように横やりを入れる組員は居たが、すぐに幹部らしきものたちによって押さえつけられていた。

 【茶をもてなす】というその言葉に、嘘はない。話の内容を抜けば、あの光景は正にそれだった。


(……それでも、)


 理不尽に思えるような状況に、桐人は疑問を口にした。


「いつ……いつ頃、そのもてなしは終わるんですか?」

 

 サングラスで覆われた眼が、苦心に満ちた顔をした桐人へと向けられる。


「問題が解決するまで」

「――それって……!!」


 相手を問い詰めるように身を乗り出す桐人を、陰察官が必死に取り押さえる。

 不条理な答えに、頭に血が上りそうになっていた。

 【問題が解決するまで】、ということは、【この一連の事件が解決するまで】と同義になる。もし、本当にそのような意図でいるのであれば、万葉が解放されるのは――。


「わかりました」

「――土御門先輩!?」


 降参の意を先に上げたのは、春一だった。

 桐人はありえないものを見るような目で、その人形のような横顔を凝視する。


「これ以上、押し問答をしても終わりは見えそうにありませんし。確かにそちらのおっしゃる通り、ただ【お茶】をするだけのことに関しては、我々も口出しする権利はない……」

「おう、分かってくれるか」「ただ――」


 ひたりと、力強く、冷たい声が、搗山の朗らかな声を遮った。


「先程も申しましたように、佐々木万葉は、一応我々の捜査協力者であり、業務上、後々帰していただく必要があります」


 鈍い光を纏った、深淵のような瞳が、搗山を捕らえる。

 搗山はただ、黙って、口を閉じ、無感動な瞳で、相手を見返した。


「【捜査妨害】をされれば、組織として、我々も黙っておりません。そのことをお忘れなきよう」

「――ああ。肝に銘じておこう」


 そう言って、男は笑った。

 








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