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二十


 陽が沈み、月が顔を出す頃。

 『裏新宿』には灯りが灯り、時間が過ぎると共に妖たちが往来を闊歩し始めていた。

 夕暮れに突如現れた怪物によってボロボロにされた軒先と通りを直そうと勤しむ妖に、それを冷やかす飲んだくれ共。町の悲惨な有様を嘆くかのように小さな小競り合いがどんどんと大きくなってゆく。

 喧騒が再び町を覆う。だけどその喧騒が、万葉たちの耳元へ届くことはなかった。


 裏新宿の外れか、中心か。

 真っ暗闇に灯る淡い蛍火と提灯。泡沫の光に囲まれるように建つのは、壮観な屋敷。

 立派な日本庭園が見渡せる広間へ、万葉たちは連行されていた。

 

 差布団はない。冷たい畳の上に正座する万葉はひっそりと溜息を零した。また面倒ごとの匂いがしたからだろう。

 彼女の横に座る桐人も緊張した面持ちで、座敷に視線をめぐらせていた。


 噂の《椿会》らしく、強面の妖たちがちらほらと見える。メンチを切るようにギラギラとこちらを睨みつける輩もいた。

 なぜこのような場所に桐人達がいるのか。それは恐らく万葉に理由があるのだろう。

 ただ、能面のような顔で前を見据える彼女にも検討はつかないらしいが。

 桐人の隣に座るからかさは恐慌に陥っているのか、挙動不審に周囲を見渡しては震えていた。


 部屋に案内されてからどのくらい経ったのか、スッとお茶が桐人達の膝下に差し出された。

 差し出された手を辿って相手の顔を見上げれば、そこには中居の恰好をした妖と、桐人達を連行した蛇帯がいた。


「粗茶ですが、どうぞ」

「あ、お構いなく」


 慌てて頭を下げる桐人の隣で、万葉が蛇体と目を合わせる。といっても、そこには布しかないのだが。


「そろそろ、私たちが連れてこられた理由を聞いてもいいかしら?」

「……もう少しの間、お待ちください」


 誰かを待っているのか。

 ここで組長とか会長が出てきたらどうしよう、と桐人は不安を覚えた。

 まさかそんな大物が出てくるはずがないと思いたくとも、万葉が絡んでいる時点で、何故か期待はできなかった。

 しばらくするとドスドスと荒い足音が聞こえてくる。


「おー、噂の佐々木とやらを捕まえたってぇ?」


 大股で座敷に踏み込んできたのは、いかにもな風貌をしたパンチパーマの男だった。

 口から大きく突き出している下犬歯を見るに、人間ではなく明らかに妖だろう。目の前に現れた際には、桐人はその男を大きく(・・・)感じたが、周囲の妖たちと並ぶと身長は意外に低かった。

 だがサングラスの下から覗く眼光は鋭い。ぎくりと桐人の肩が強張る。


「あー? なんだ、尋問どころか、縛ってもねぇのか。蛇帯、おめぇヤル気はあんのか?」

「お蝶さまからはいらぬ無体は働くなと言われましたので」


 ――お蝶さま?


 不意に拾い上げた呼び名に桐人は首を傾げた。

 さま付けをしているということは《椿会》の幹部か或いはもっと上の存在か。名前からして女性のようだ。


 蛇体の静かな口調を耳にして、パンチパーマの男が舌打ちをする。


「ああ、そうかい。まあ、確かにいきなりチンピラみてぇにかましちゃぁ、椿会の名折れってもんだ。どれ、佐々木万葉ってのは、お前さんかい?」

「え゛」


 よっこらしょっと年寄臭い声を漏らしながら目の前へと屈みこんでくる男に、桐人はぎょっと目をむいた。


「え、え、あの」

「こりゃ、またあどけねぇ顔をして……『岸松』みてぇだな。しかも人間と来たかぁ……確か、雌の蟲喰いだと思ってたんだがな」

「いや、あの」「佐々木は私ですが」

「あ?」


 息遣いまでもが感じられるほどに迫ってきた顔に、桐人が戸惑いの声を上げると、助け船を出すかのように万葉が口を開いた。


「……なんでぇ。こりゃあ、またエレぇ別嬪さんが来たじゃねぇか」


 サングラスを僅かに下げて裸眼で目を合わせてくる男に、万葉も静かに視線を返した。


「やぁ、お嬢さん。すみませんね、気づかなくて。わしは椿会で最高顧問をやっている、搗山つきやまというもんです」

「搗山さん」


 相手を確認するかのように名前を繰り返す万葉に、搗山は絵にかいたような笑顔を見せた。


「私に用があるとのことで、そちらの方に同行を願われたのですが」

「ええ、そうです」

「ご用件をお聞きしても?」


 万葉が核心に触れた途端、三日月を描いていた搗山の目がゆっくりと開く。


「佐々木万葉に聞きたいことがある」

「……」

「なあ、佐々木万葉さん。あんた、岸松ーー夜須か、志戸という名前に心当たりありませんかね?」

「いいえ。何故、わたしにそのようなことを?」

「いやね。その二人はつい先日、随分なおいたをしちまって、今、皆で血眼になって探しているんですわ」

「あら、まぁ」


 大変、と言って万葉が驚いたように白い指先で口を覆う。搗山の目は既に笑っていなかった。


「ええ、大変でしたよ。なんせあの馬鹿どもはウチのご法度(・・)に触れたんですからねぇ」

「ご法度?」


 さらりと首を傾げた万葉の髪が肩から滑り落ちた。


大事なもん・・・・・を勝手に持ち出したんですよ」

「大事な、もの」

「そうそう」


 落ちる一瞬の空白。の次に落とされたのは、爆弾だった。


「――あんたに渡した、ものですよ」


 「え」と声を漏らしたのは桐人か、からかさか。

 二人とも驚いたように万葉を見つめていた。だけど、万葉の顔色は変わらない。微かに驚いたように眉を上げたが、すぐに表情を戻す。


「わたしに、ですか」

「ええ」

「覚えがありませんね」

「っざけたこと抜かしてんじゃねぇぞぉぉ!! この糞尼がぁ!」


 万葉が相手の言葉を否定した途端に、壁際に控えていた組員が怒鳴り声を上げた。

 驚いた桐人が振り返れば、熱り立つ妖が居た。

 ミイラのように全身を札で包まれた影が肩を怒らせる。


「志戸らは確かにお前の名前を吐きやがったんだ!! ささきかずはってなぁ!!」


 唾をまき散らす勢いで咆える妖を万葉は白けたような目で見た。


「……それで?」

「っこの、あまぁ!!」


 関心がまるでないように聞こえる万葉の態度に、ついに相手が激昂したように襲い掛かった。

 妖が馬鹿でかい拳を構えて一気に振りぬこうとすれば、風圧と共に霊子が飛び散り、座敷に小さな竜巻を起こす。万葉の鼻先へと拳が叩き込まれる瞬間だった。

 ずどんと大砲が打ち放たれたかのような重い衝撃が畳を襲った。

 万葉を襲おうとした妖が床へと叩きつけられたのだ。


 一瞬のことだった。妖が立ち上がって万葉に襲い掛かったと思った次の瞬間には、事態は収束していた。

 騒ぎを起こした妖は頬を畳へ押さえつけられ、腕は突如現れた赤いマフラーの男によって捻りあげられていた。

 札だらけの背中に足が乗りかかる。

 ほんの数秒で急変した光景に、桐人と唐傘は目を白黒させ、万葉は淡々と眺めていた。


「……塗坊さっ」


 背中にかかった重みが苦しかったのか、問題の妖がうめき声をあげる。

 事を黙って見守っていた搗山が妖へと歩み寄り、顔を突き合わせるようにしゃがみこんだ。


「そこまでだ、阿呆が」


 サングラス越しに覗く瞳はどこか冷たく、妖は己を恥じるように面を伏せた。


「品のねぇことしやがって……椿の看板に泥を塗る気か。ああ?」

「すみません……でした」


 一言だけ。ぼぞりと落とされた謝罪に搗山は疲れたように後頭を掻くと、へらりと笑って万葉たちへと振り向いた。

 万葉の横に座っていた桐人の肩が、僅かに強張る。緊張と恐怖によるものだろう。


「すまんねぇ、驚いただろう」

「……そうね。ただ、まあ。貴方たちの持ち出されたもの(・・・・・・・・)が、どれだけ大事かは分かったわ」


 向けられた笑顔に万葉が平然と返す。そして相手を目で探るように、首を左へと傾げた。


「いえ、それとも。そのご法度の重さ(・・・・・・)と言えばいいのかしら?」

「……ものわかりのいいお嬢さんで良かったよ」


 ふっ、と搗山の口から笑うような溜息が零れた。


「お嬢さん。わしはな、別にあんたを全面的に責めてぇわけじゃねぇんだ」


 どかりと、万葉たちの前へと腰を下ろせば、搗山は気を抜いたように吊り上がっていた眉を下した。

 桐人の肩の強張りが僅かに解ける。


「椿会のものっつっても、所詮、掟を破るチンピラだ。考えたくもねぇが、わしらが尋問を行った際に夜須らが咄嗟に嘘を吐いて、あんたの名前を出した可能性もある」


 それは、つまり。実際には万葉をそこまで疑っていない、ということなのだろうか。

 隣で話を聞く桐人が怪しむように眉間に皺を寄せた。


「けどな……咄嗟の嘘とはいえ。あの状況で出された名前だ。何かしらの関連性は持っているはずだと、わしらは踏んでるんだよ」

「何が、言いたいのかしら?」


 なかなか本題に入らない搗山を足すように、万葉は目を細めた。


「あんたのことは色々と探らせてもらった……なかなか、てこずったけどなぁ」


 そう言って、搗山は古傷だらけの骨ばった手を翳した。


「三つだ」


 不意に搗山の視線が鋭くなった。


「あんたのことを組の情報部――総勢力をもってして探ったってのに、あんたに関する情報はほとんど出てこなかった。そもそも、佐々木万葉ってのは誰か、というちっちゃな情報さえも得るのが大変だったんだ」


 本当に骨が折れた、と相手が凝った肩を鳴らす。


「まあ、お互いに闇に潜むもんだ。そら、しょうがねぇ……けど、それにしてもだ」


 気が抜けているのか、抜けていないのか。緊張と緩んだ空気が変に合い混ざって、妙な意心地の悪さを桐人たちは感じた。

 搗山の声色は軽いのに、どこか有無を言わせない圧力がその全身から漂ってきている。


「こりゃあ、わしの勘から来るもんだが……なんか、可笑しくねぇか?」


 緊張の糸が、ぴんと、座敷に張り詰められた気がした。


「アンタに関して分かったのは、大きくわけて三つ・・だ」


 指が三本、万葉の眼前に立てられる。 


「一つは、あんたの名前と為り……表での暮らしぶり」


 まあ、随分と趣味の良い生活を送ってるな。と、搗山が笑う。


「二つ目は、あんたが陰察庁とつながってること」


 冷や汗が桐人の米神から顎へと伝った。


「三つ目――」


 空白が一瞬だけ、満ちた。


「なぁ、お嬢さん。あんた、あの日。どこで何してたんだ?」

「……あの日、というと?」


 万葉は搗山の尋問にまるで動じてないかのように振る舞った。

 琥珀色の目が細まる。その瞳の中で、男のかさかさの唇がゆっくりと動いた。


「――蟲事件の日だよ」





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