十
ーー叫びたいのはこっちの方だ。
絶叫する一人の少年と一匹の妖を横目にしながら、万葉は溜息を吐いた。
手錠をかけられたと思えば、まさかの囚人側が自分で看守役が目の前の少年だとは。どんな厄日だ。ここまで酷いのはそうそう無い気がするのだが。
「なにはともあれ。鍵が見つかるまでは大人しく鎖に繋がれているしかあるまい。こちらも出来るだけの助力はする」
「……お願いするわ」
オサキの言う通り今日は店をお暇する以外、他に出来ることはないだろう。万葉はとりあえず自分の行動範囲がどこまで許されているのかの確認と、他に武具による制限が無いか探ることにした。
石から灰へと化しそうな少年へと振り返って水を向ける。
「とりあえずこのまま一旦帰ってお互いに家に帰れるか試して、それから明日からコレを解く方法を探しましょう」
「えっ、でも」
「ーーそれとも他に案があるの?」
「いえ、ありません」と小さくなる桐人。手綱を握っていても、どうやら主導権は万葉にあるようだ。
彼是と少年に指示を出したあと、店の入り口を見やれば其処にはビクリと震え上がる唐傘が居た。
「貴様は今からココから裏新宿まで隈なく鍵とその情報を探せ。明日報告を聞かしてもらう」
「っひ! ーーは、はいぃぃぃぃぃぃぃ!!」
ピョンピョンと跳ねながら立ち去る唐傘の後ろ姿を冷めた目で見送りながら、万葉は今度こそ舌打ちをした。それに桐人が小さく肩を跳ねさせながら反応する。
得られる情報が無いのならもう此処にいる必要はない。店主の顔もこれ以上は目に毒なので、そろそろ自分もお暇しようと、万葉は通学鞄を肩にかけ直して歩みを進めた。
しかしくつりと誰かが笑う声が聞こえて、すぐに足を止める。
「いや、しかし本当に驚いた」
「……そうね。流石鳥守首が作っただけあるわ」
「そうでないよ」
投げやりに返された万葉の返事をオサキは更に可笑しそうにくすくすと笑った。
「確かにそれには驚いたが、それ以上に君にも驚いたよ」
「……」
「君とは以前どこかで会ったような気がしたのだが、こちらの勘違いだったようだね。君のよう狂気を秘めた女性ーー一度会ったら忘れるはずがない」
目を細めて微笑む男に、万葉は無機質な瞳を向けた。
「気を悪くしないでくれ。これでも褒めているのだよ」
「ーーそう。貴方のような美しい人に褒めて貰えるなんて、光栄ね。じゃあ、私たちはこれで失礼するわ」
それ以上の会話を打ち切るように背を向けて、店の暖簾を潜る。
その後を桐人は慌てて追いかけ、途中でぺこりとオサキに会釈をしてゆく。
店内から消えゆく影を傍目にしながらオサキは丁寧に卓の上へと収められた短刀をそっと撫であげた。その美しい顔にはいつもと変わらない柔和な笑みが飾られていた。
♢
「ーーつ、疲れた」
どさりと群青色の布団に少年の身体が沈んだ。
あれから、半刻。とりあえず他にどんな作用があるのか桐人が万葉と共に調べて分かったことは、桐人の方が万葉を縛る側であり、万葉は縛られる側であることだ。
ーー最悪だ。
女王様系の女性を不可抗力で隷属させてしまうとか、一体どこの青年漫画だ。物語として楽しむのなら良いが、現実としてはアウトだ。常識はあるが、基本的に無茶苦茶で横暴な彼女を服従させるとか、後を考えると最早恐怖しかない。共にいるだけで精神をガリガリと削られてゆくのが分かる桐人にとって、今の状況は最悪としかいいようがなかった。
勝久あたりなら喜んで鼻血を垂れ流しながこの状況を堪能するのだろうが、桐人にとっては全くもって不本意な出来事である。万葉ではないが、正直あの唐傘をへし折る、いや、彼奴のお気に入りのピンヒールを全て台無しにしてやりたくなった。
「明日、また顔を合わせなくちゃいけないのか」
大半の非がからかさにあるとしても、桐人が図書館に向かわなければ、この騒動に万葉も巻き込まれることがなかったわけでーーそこまで思考が行き着くと桐人は更に落ち込むように枕に顔を埋めた。
「恩、仇で返しちまった……」
一番の問題はそれだ。
罪悪感がズキズキと胸を突き刺し、頭を苛ませた。
ただ呪具どころか、手錠を女性の手にかけてしまった。しかも不可抗力であっても彼女を縛るようなことになってしまったわけでーー。
「あ゛ー、もう。どうすんだよぉ。これから」
悪感情を思考から切り離そうとガシガシと頭をかく。
それに、問題は佐々木万葉だけではないのだ。幼馴染の花耶とか毎回毎回タイミングの悪い赤鬼とか土御門とか。問題は山積みである。
「あれ、そういやーーー」
最近、あの赤鬼をあまり見ていない。一応花耶の周りをうろちょろはしているらしいが桐人自身が奴と遭遇することはあの事件以来一度もなかった。といっても蟲事件の直後、桐人は意識不明の状態へと陥り、つい先日退院したばかりなのだから無理もないのだが。
「あまり会いたくないな」
あの大雑把な鬼のことだから恐らく殆ど気にもせず自分のことは放置しているのだろうが、あの事件のことを聞かれると困る。どう言い逃れをすれば良いのかーー。
「……いや、もう考えるのやめよう」
これ以上考えこむと頭痛で苛まされそうになるので、とにかく今日は風呂に入ってご飯を食べて、ゆっくり休もうと身体を起こした。寝台から降りようと手を布団に着く。すると、ピリッと一瞬電流のようなものが右手首に走った気がした。
「ーーえ?」
見るとそこには先程となんら変わりなく収まっている腕輪。
「……気のせいか?」
腕輪を眼前まで掲げてみるが、何も起きない。やはり唯の気のせいかと、そのまま固まった身体を解すように腕を伸ばし、扉へと足を進めた。
「先輩、ちゃんと家に帰れたよな」
お互いに自宅へと帰れるか確かめようと別れたのが五十分程前だ。そのまま帰れたら良し。出来なければ連絡すると約束を取り決めた。
未だに何の動きも見られないということは帰れたということなのだろう。何処に住んでるのかは教えてくれなかったが桐人の家から三十分程の距離だと言っていたのだ、確実に家に着いているはずだ。
「ーー先輩、」
ふと徒然屋での光景が思考を過ぎった。途端、ぞわりと悪寒のようなものが足元から背中へと這い上がるような感覚がした。
(ーーあの時、)
あの時、確かに佐々木万葉は本気で己の腕を切り落とそうとしていた。
まざまざと蘇る記憶に桐人は震えそうな腕をぎゅっと抑えた。
(考えちゃ、駄目だ)
ぎゅっと瞼を閉じて、頭を振る。頭を占める感情も思考も全て振り払うように。そうして、思考を切り替えた。
(ーー何はともあれ)
共に住む、ということにだけはならなくて良かった。と、桐人はホッと息を吐いた。そんなことになったらもう目も当てられない。というか、佐々木万葉と目を合わせることも出来ない。
そう安堵した桐人は、今万葉が何をしているか、知る由もなかった。




