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「あ、あの、先輩?」


 なにやら不穏な呟きが聞こえたような気がして、桐人は緊張したように万葉を見た。静かに佇む彼女の横顔。視線の先には赤い腕輪、というより腕そのもののように思える。


「ーーなに?」

「あ、いえ。その」


 なんと答えれば良いのかわからなかった。この胸の内に潜む不安を。渦巻く焦燥を。

 なんともない、平坦な声で彼女がなにげなく口にしたその言葉は疑わしくも、桐人にはこう聞こえたーー「切り落としてみるか」と。

 なにを、と問うのも怖い。ただ彼女の視線の先が答えだと、桐人は頭のどこかで確信していた。


 ーー初めて、心の底から彼女への恐怖を抱いた。


 別に、凍てつくような冷たい瞳を見たわけでもなければ、息ができないほどの圧を感じたわけではない。

 そもそも、この胸内で騒つくものが「恐怖」なのか、桐人にはわからなかった。ただ、そうーー強い違和感を覚えたのだ。あまりにも自然に、平淡な声でそれを口にするから。まるで何てこともないようにそんなことを言うから。桐人は言いようのない怖れを抱いたのだ。冗談だと思いすごそうにも、何故か彼女は本気なのだと、桐人の頭のどこかで断言する声があった。ーー彼女ならやりかねない、と。


 ごくりと唾を一飲みし、ゆっくりと渇いた唇を開く。


「先輩、なにか策があるんですか?」


 そう問うた少年をパチクリと見返すと、万葉は珍しく困ったように微笑んだ。


「策、とまではいかないけど鍵を解く心当たりみたいなのはあるかな?」


 ーーそれは心当たりというのではなく、試みというのだ。

 先ほど零した小さな呟きは無意識だったのだろう。己が口にした発言の異常性を理解していたらしい彼女は、誤魔化すように喋った。そんな彼女に桐人はツッコまずにはいられなかった。そしてそう思った瞬間に、桐人は咄嗟に問い返してしまっていたのだ。


「腕輪の外れない腕ごと、切り落とすんですか?」


 「えっ」と万葉の呟きが聞こえていなかったらしいからかさが驚いたように桐人を見た。終始変わらず笑みを湛えているオサキは落とされた波紋に興味を抱いたのか、楽しげに声を漏らしている。


「なるほど、その発想は無かったな」

「ちょ、ちょっとお持ちくださいな。腕を切り落とすってーー!?」


 有り得ないものを見るようにからかさが万葉たちを凝視する。対してとうの問題であるはずの女はくすりと笑いを零した。


「いやぁね。君の腕を切り落とすなんて、そんな恐ろしいこと考えるわけじゃない?」

「き、きりおおおとすって、ああああなたーー!?」


 顔を青くしたからかさが少年の身を庇うように、二人の間に割り込んだ。だが、桐人は目の前の傘を無視するようにただ只管に万葉の一挙一動を注視した。


「ーー俺の、じゃないですよね?」

「え?」


 惚けたように少年を振り返ったのはからかさだ。万葉は微笑みを湛えたまま、静観として桐人を見つめている。狐は観客のように事の流れを楽しんでいるだけだ。


「先輩、自分の腕ーー試しに切り落とそうとしてませんか?」


 「試しに」という言葉がいやに桐人の耳奥にこびりついた。「試しに」ーーなんて軽く、不気味な言葉なのだろうか。


(ああーーそうか)


 不気味ーーそれは最も正確な言葉だ。桐人が佐々木万葉に感じたのは「恐怖」などという短絡的な感情ではない、理解のできないものを前にした、気味の悪さだ。

 恐怖はある。だがそれ以上に勝るのは彼女に対する不安だ。ーーこのまま、彼女から目を離してはいけない。そんな気がした。


「ーーだとしたら?」


 ふっと、諦めたように万葉が肯定的な返事をした。

 ぐっと、桐人は口を引き結ぶ。彼女の自傷的な試みをどう止めれば良いのか分からなかったのだ。言葉だけでは彼女を止められないのは、過去の経験で学んでいる。

 そんな桐人の代わりに、声を上げたのはからかさだ。


「だ、だとしたらって、あ、あなた。腕を切り落とすのは、いくらなんでも」

「正規ではないが、良い医者を知っている。切り口が綺麗ならば、いとも容易く繋ぎ直してくれるだろう」


 あっけらかんと返す万葉に、慌てた形相のからかさもあんぐりと口を開けて惚けるしかなかった。無茶苦茶だ。

 本当にこのまま腕を切り落としそうな女に、悪趣味な狐がくつくつと笑いながら店内に飾られた短刀を差し出した。


「良いじゃないか。本当にこれであの怪物の術から解放できるのか、実に興味深い」

「ちょっーーオサキ殿!?」


 歓楽的に、彼女を助長させるような挑発に唐傘が焦ったように傘を広げる。

 その喧しさに片眉を顰めさせながら、万葉は目の前の男を見た。万葉の馬鹿みたいな言葉を本気にしていないのか、或いは享楽的な遊びとして見ているのか。万葉は少し考えたがすぐにどうでも良いと思考を投げ捨てた。

 基本的に女には紳士的な男だ。自傷行為は止めないけど、後で繋ぎ直しやすいようせめて綺麗に切れる刀を渡してくれたのだろう。

 ーー別に切り口が汚かろうが、後で再生すれば関係ないのだが。

 だが後で元に戻った腕をどうしたのかと聞かれても困るので、このまま刀を使わしてもらおう。

 いつもの万葉ならこんな安い挑発には乗らないのだが。唐傘たちのせいで大分疲れていたのもあってか、投げやり半分に大胆な行動を取ろうとしていた。

 だが今更ではあるが、未成年である少年の教育上あまり良ろしくない光景になるので、見えないように桐人から距離を置いて背を向けた。


「え、え、えーーう、嘘ですよね? え、本当に!?」


 軽いパニック状態に陥っている唐傘が背後で騒ぐ。狐は止める気配もなく、 止血用にと布と救急箱を店内の卓から取り出していた。

 呆然とまるでテレビ越しに目の前の光景を見てるような心地でいる、桐人の視界に一人の女が映る。

 しゅるりと止血用にか、女が口で上腕部分を縛った。赤い紐が白い肌に痕を残しながら、その柔肌へと食い込む。


「ーーお、オサキ殿! あなたも止めてください」


 耳元を掠める傘の声とは別に、スラリと抜ける白刃の音が聞こえる。あの大太刀とは違う、繊細な輝きが光を反射した。


 ーー待て。


 どくりどくりと早鐘を打つ少年の心臓の音などまるで知らぬように、短刀をゆっくりと振り上げる後ろ姿。その影へと踏み込むように少年の足が動く。


 ーー待て。


 女の腕が躊躇いもなく振り落とされる。

 その一寸前。


「ーーやめろ(・・・)! 斬るな(・・・)!」


 ーーばちりと赤い腕輪から青い閃光が迸った。

 強烈な衝撃と鋭い痛みが女の手首から脳髄まで伝った。痛烈な痺れが全身を蝕み、どさりと膝が床へと落ちる。腕輪が嵌まった左腕が万葉の視界の端で痙攣を起こしている。


「先輩!」


 恐らく今の衝撃の原因であろう少年が彼女の元へと駆け寄り、膝をつく。慌てたような形相からして先程の戒め(・・)に意図があったどころか、その有無にさえも気づいていないのだろう。

 

「ーー大丈夫かい?」


 柔らかい声で気遣ってきたのは、オサキ狐だ。

 優美な仕草で己の顔を覗き込むように腰を低くする男に、万葉は眉を釣り上げることもなく冷たい眼差しを向けた。それに対して男が苦く微笑む。


「そんな顔をしないでくれ。こちらもまさかこのような物騒な仕掛けがあるとは思わなかったんだ」

「しかし、なにかしらの仕掛けがあるとは?」

「錆びていたはずなんだけどね。君だってそれには気づいていただろう? 連れの子供がどんな反対することを分かっていたのに、それでも事を進めようとした君も人が悪いと思うが」


 無実を主張するかのように両の手を上げる男の言葉にも一理あるのでそのまま口を閉じる。だが、何が起きたのかも理解していない少年にはとってはそうもいかないようだ。


「ちょっ、待ってください! 俺には何が何だかーー。今のってこの腕輪の仕業なんですか?」

「そうさな。君の『やめろ』という命令に従って彼女を強制的に止めた、といふところかな?」

「え、じゃあそれって、俺のせい」

「腕を切られるよりはマシなのでは無いかな?」

「ーー」


 あんぐり。桐人の開いた口が閉まらない。

 まさかの腕輪の効果に驚愕と悪寒を覚えずにはいられなかった。

 

「じゃ、じゃあこのまま腕輪が外れなければ」

お互い(・・・)に一定以上の距離は恐らく離れないというよりは、()が一生君に縛れることになるのでしょうね」

「え゛」


 まさかの回答に桐人の白い顔から更に血の気が失せる。


「囚の輪というよりは、隷属の輪、かな?」


 苦笑するオサキによって落とされた爆弾に桐人だけではなく、唐傘も叫ばずにはいられなかった。

 

「ぇぇぇぇえええええええええええ!?」

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